昨日の礼拝讃美の最中にこんな思いが降って来て、キリストの犠牲と恵みの大きさを思って、讃美したのだった。
父親が家の敷地に引いて台所だけではなく、庭に滝や池があって楽しんでいた山の水は高速道路の建設のために枯れたが、神の水は決して枯れることがない。
父親は高速道路を無料化する働きをした。だか、それは一部の区間だけだった。神の道は、キリストの十字架による犠牲によって設けられた天国まで続く永遠への道だ。
昨日の礼拝説教では、自分の内に恐れがあることが示された。
今月末には、10年ぶりに故郷を訪問することになり、最近よく思い出す父親の実家を訪問することになっている。
しかもアンチキリストの息子と一緒である。
私の田舎は、いまだに昔の仏教文化=サタンの働きが満ちているところなので、私は自分はすでに主にあって勝利していることを忘れていたのだった。
そこで、悔い改めて、聖霊に満たされて、サタン・悪霊を追い出す程の力を得て、大胆に進ませていただけるように祈った。
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