あるひのあひる

sometimes"♯",sometimes"♭" ,and always"NATURAL”
猫とハーブと酒と音楽

違和感

2009-08-18 11:00:06 | 私見・雑感

未だマスコミは飽きもせず、連日、酒井法子の事件を取り上げているようで・・・。
“全国に衝撃が走った”なんて、よく言うわ。
初めて聞いた時は確かに驚いたけど、“ふ~ん、そうなんだ”で終わっている人も結構いるはずなんだけどね。


ところで。
最近、事件や事故のニュースが報道されるたび、その中継現場の光景の不気味さに嫌悪感を覚えるのは私だけなのだろーか。
最初にそれこそ衝撃を受けたのが、秋葉原での通り魔殺人事件のとき。
そして、先日の酒井容疑者の事件も同様。
その他の悲惨な事故現場や事件現場なんかでも、そいつらはしばしば現れる。

“写メ族”

中にはTVや新聞に動画や写真を提供し、それが放映・掲載されていたりもする。
金が目的か?
だいたい、そこまでリアルに映像で事件や事故の詳細を放映する意味はあるのか??
キャスターの言葉での解説や、新聞記事だけでも、事故や事件の重大さや悲惨さは十二分に伝わっているんじゃあないのかい?

そいつらが野次馬根性丸出しで構えた携帯の向こう側、すぐそばで、被害者は負傷したり、亡くなったり、苦しんだりしていること、果たして分かっているのだろーか。
ホント、“写メ”を撮ろうという心境自体、理解に苦しむ。

パパラッチがカメラを担いで、仕事と割り切ってある面命がけでスクープを狙っているというのなら、好ましくはないけれどまだ“そういう職業もあるんだから仕方ない”と見切ることもできる。
だけど、たまたまそこに居合わせた一般の人間が、しかも携帯で、他人が不幸に見舞われて死ぬほど苦しんでいる姿を平然と(もしくは薄笑いを浮かべながら)写すという行為が、底なしの冷たさやその心に潜む残虐性を感じさせられ、思わずゾッとするほどとてつもなく恐ろしい。

ドラマのワンシーンじゃねーンだぞ。
現実で、しかも人の命の瀬戸際なんだぞ。


そもそも、写メというのが論外。
古くて固い偏見なのかもしれないけれど、家族や仲の良い友人同志だとか、街の風景とか動物とかを遊びの一環で楽しんで撮るのならともかく、全く面識のない第三者に対して携帯を向けるっつーのは、大変失礼なことなのではないのかい?
この前、政治家の有名なオッサンが、地域の夏祭りかなんかに参加して、ニコニコ愛想笑いしながら若い子から写メ撮られてたシーンが流れてたけど、なんかちょっと複雑な光景だったなぁ。


写メも初期の頃は携帯向けられてムッとする芸能人がよくいたけれど、今じゃもう、なんてことないのかなぁ。ないんだろうなぁ。
だがしかし昔の感覚の方が私にはまともに思えるぞ。

根底に流れるのは、「所詮は他人事だ」というスタンス。
もし自分が反対の立場となり、大怪我をして瀕死の重傷の時に、その苦しんでいる姿を赤の他人からニヤつきながら写メを撮られたとしても、やっぱりなんにも感じないのかい?
それとも、こんな簡単なことにすら思いを巡らすことが出来ない人間が増えてしまっているのか?

他人がどういう状況なのかなど全くの無関心。
不幸事に見舞われていても他人事。
同情や哀れみの心を欠片も持たない。
単純な好奇心と野次馬根性のみ。優しさも思い遣りもない。
・・・もし、そんな人間がどんどん増殖しているとしたら・・・。


考えるだに恐ろしい。
これまでの人類の歴史を見ても明白なこと。
他人の痛みが分からない、愛を知らない、利己的な人間たちがやがてたどり着くのは・・・「戦争」だ。


写メから話が大きく飛躍してしまったけれど
最近の風潮は、なんだか底知れぬ、言いようのない不気味さを感じて仕方がないのだ。


というわけで、今回は超シリアスあひょでした。
・・・ま、たまにはいっか。

コメント
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