昨日19日、あひょの実家で花火大会があった。
デジカメで、三脚もなしに撮影すると、写真はこんな感じ。ブレブレである。
遠賀川(おんががわ)河川敷で毎年行われるこの花火大会は、実はかなりの穴場である。
全長1kmの巨大“ナイアガラ”をはじめ、7,000発の花火が夜空を彩る。
そこそこ大きな規模でありながら、河川敷は広くてかなりの余裕があり、大きなビニールシートを広げ、頭の真上に大きく広がる花火を寝転んで楽しむことができるのだ。しかも、隣のグループとは結構離れ、のんびり広々開放感。
今時、ビール片手にゴロリと寝転がり、真上から降りかかる光のシャワーをゆったり拝める花火大会など、そうはない。
打ち上げ場所が、川の流れを隔てたすぐ目の前にあるから、迫力も半端じゃない。
スボッ、シュルシュル、ヒューヒュー・・・・と、打ち上げ時の音もしっかり聞こえるくらい近いから、花開く時の音はもう雷鳴級(?)である。ドォーン、ドォーン、とズンズンお腹の底に響いてくる。
連続花火の時などは、あまりの光の洪水に、まるで自分が夜空に吸い込まれていくかのような錯覚を覚えるほどだ。
色とりどりの光のシャワーを存分に浴びたい御仁は、是非来年足を運ばれては。なかなかですぞ。
さて。その実家近くの公園で、カブトムシのメスが仰向けにひっくり返ってじたばたともがいていたので、保護した。
外羽が少々色あせ、艶もあまりなくややコフキ系ではあったが、脚の力の強さはさすがカブトムシ。
あひょママ特製の“樹液風ジュース”(黒酢と蜂蜜を薄めて混ぜたもの)をティッシュに含ませて与えると、すぐに飛びつき、顔をうずめたままティッシュをひしと抱きしめて動かなくなった。よほど飢えていたのだろう。
本当は飢えを癒したあとは元いた自然に帰してやるつもりだったが、たまたま遊びに来ていた姪(4歳)が飼いたいと言い出し、止む無く近所のホームセンターで飼育セット一式を購入した。
逃げ出し防止用ロックのついたプラスチックのケースにくぬぎマット(土)を敷き、止まり木を置き、ゼリー状の専用エサをセッティングした後カブトムシを放すと、すぐにそそくさとマットの中に潜り込み、姿が見えなくなってしまった。
飢えを満たしたら次は昼寝、か。
子どもの頃、カブトムシをはじめとするあらゆる甲虫類、蝶、蚕、バッタやコオロギ、鈴虫、カタツムリ、果ては蟻、とあらゆる虫を飼育した。羽化させたり、餓死させたり、手に負えなくなって自然に帰したりしながら、きっと子ども心にいろいろなことを学んでいたのだろう。
初めて対面する、小さな“死”、そして生まれくる“命”。
人生においてとても大切な感性、その、いろはのい。
自然の生き物たちと直に触れあうことによって幼い頃に学ぶモノは、大人になってからのそれとは比べ物にならないくらい貴重で大きい。幼少時代の経験は宝、だ。
このカブトムシが、今後どのような生活を送るのかはわからないけれど、心が柔らかく純粋な姪たちの小さな記憶の欠片として刻みこまれることを期待しているオバチャン(ヨーコねーね)なのである。
そして、願わくは、カブトムシが雄の伴侶を購入してもらい、健やかに生きて卵を産み子孫を増やさんことを。