未だマスコミは飽きもせず、連日、酒井法子の事件を取り上げているようで・・・。
“全国に衝撃が走った”なんて、よく言うわ。
初めて聞いた時は確かに驚いたけど、“ふ~ん、そうなんだ”で終わっている人も結構いるはずなんだけどね。
ところで。
最近、事件や事故のニュースが報道されるたび、その中継現場の光景の不気味さに嫌悪感を覚えるのは私だけなのだろーか。
最初にそれこそ衝撃を受けたのが、秋葉原での通り魔殺人事件のとき。
そして、先日の酒井容疑者の事件も同様。
その他の悲惨な事故現場や事件現場なんかでも、そいつらはしばしば現れる。
“写メ族”
中にはTVや新聞に動画や写真を提供し、それが放映・掲載されていたりもする。
金が目的か?
だいたい、そこまでリアルに映像で事件や事故の詳細を放映する意味はあるのか??
キャスターの言葉での解説や、新聞記事だけでも、事故や事件の重大さや悲惨さは十二分に伝わっているんじゃあないのかい?
そいつらが野次馬根性丸出しで構えた携帯の向こう側、すぐそばで、被害者は負傷したり、亡くなったり、苦しんだりしていること、果たして分かっているのだろーか。
ホント、“写メ”を撮ろうという心境自体、理解に苦しむ。
パパラッチがカメラを担いで、仕事と割り切ってある面命がけでスクープを狙っているというのなら、好ましくはないけれどまだ“そういう職業もあるんだから仕方ない”と見切ることもできる。
だけど、たまたまそこに居合わせた一般の人間が、しかも携帯で、他人が不幸に見舞われて死ぬほど苦しんでいる姿を平然と(もしくは薄笑いを浮かべながら)写すという行為が、底なしの冷たさやその心に潜む残虐性を感じさせられ、思わずゾッとするほどとてつもなく恐ろしい。
ドラマのワンシーンじゃねーンだぞ。
現実で、しかも人の命の瀬戸際なんだぞ。
そもそも、写メというのが論外。
古くて固い偏見なのかもしれないけれど、家族や仲の良い友人同志だとか、街の風景とか動物とかを遊びの一環で楽しんで撮るのならともかく、全く面識のない第三者に対して携帯を向けるっつーのは、大変失礼なことなのではないのかい?
この前、政治家の有名なオッサンが、地域の夏祭りかなんかに参加して、ニコニコ愛想笑いしながら若い子から写メ撮られてたシーンが流れてたけど、なんかちょっと複雑な光景だったなぁ。
写メも初期の頃は携帯向けられてムッとする芸能人がよくいたけれど、今じゃもう、なんてことないのかなぁ。ないんだろうなぁ。
だがしかし昔の感覚の方が私にはまともに思えるぞ。
根底に流れるのは、「所詮は他人事だ」というスタンス。
もし自分が反対の立場となり、大怪我をして瀕死の重傷の時に、その苦しんでいる姿を赤の他人からニヤつきながら写メを撮られたとしても、やっぱりなんにも感じないのかい?
それとも、こんな簡単なことにすら思いを巡らすことが出来ない人間が増えてしまっているのか?
他人がどういう状況なのかなど全くの無関心。
不幸事に見舞われていても他人事。
同情や哀れみの心を欠片も持たない。
単純な好奇心と野次馬根性のみ。優しさも思い遣りもない。
・・・もし、そんな人間がどんどん増殖しているとしたら・・・。
考えるだに恐ろしい。
これまでの人類の歴史を見ても明白なこと。
他人の痛みが分からない、愛を知らない、利己的な人間たちがやがてたどり着くのは・・・「戦争」だ。
写メから話が大きく飛躍してしまったけれど
最近の風潮は、なんだか底知れぬ、言いようのない不気味さを感じて仕方がないのだ。
というわけで、今回は超シリアスあひょでした。
・・・ま、たまにはいっか。
おぉっ。前回記事からもう10日も経っていたのか・・・
いやいや、ネタ切れ&お盆の行事ですっかりご無沙汰しておりました。
皆様お健やかにお過ごしでいらっしゃいますか。
あひょは13~15日まで、大分は上津江村という携帯の電波も届かぬ山奥で、きょん家親族キャンプなどに参加し自然にまみれて遊んでおりました。非常に楽しゅうございました。
それにしても、今年の夏は短かった。
こんな見事な青空&夏雲も、いったい何日あったやら・・・。
ところで。
キャンプや、親戚の寄り合い、お盆のお墓参り・・・
“家族”を感じる行事が増えるこの季節、いろんな事を改めて感じましたね。
家族の絆、思い遣り、親兄弟のありがたさ、親戚付き合い・・・。
あまりにも当たり前過ぎて、当然のように享受し、取り立てて何も感じないでいることが、後から振り返るとどれほど在り難く、束の間で、貴重なことなのか。
感謝の気持ちは、心の中で秘めているだけではなかなか伝わらない。
照れくさくても口に出すことがどれほどさりげなく大切かというのを改めて感じたりして。
それと、どんな小さな事柄であっても、自分がこれまでの人生で経験したことは、必ず役に立つのだということ。
子どもの頃に楽しんだキャンプでのあれこれ。
お盆の過ごし方。おばあちゃんが作ってくれた料理やお盆のお菓子。
親戚が来たときの家事手伝い。
親に教えられたり、親の背中を見て子ども心ながら感じ取ったりしたことが、大人になって気配りとして言動に表れてくるんだよねぇ。
あひょ家は昔、毎年夏になると親戚中が集まって大世帯だったから、その中で学んできた様々なことが今、親戚付き合いで活かされたりして。
ジョリジョリと、冷たく美味しい「南国白くま」なぞ喰らいつつ、“絆”と“経験”の大切さを噛み締めている盆休み明けのあひょです。相変わらず求職中で~す うけけけ。
伸ばしていた髪を、思い切ってバッサリ。
久しぶりにショートになりました。うふふ。
ヘアスタイルを変えると、ちょっと生まれ変わったような新鮮な気持ちになるから不思議です。
『必要なことには、必ず道が拓ける。
うまくいかないときにも、意味がある。
別の道を示されているのか
努力の仕方が足りないのか
焦りすぎるなというメッセージか
必ず何かしらのメッセージがある』
ある人のこの言葉を読んで、ちょっと気が楽になりました。
そして、何もかもが中途半端で八方塞に感じている現状について改めて考えてみたとき
今、本当に一番望んでいること、もはっきりと見えました。
だから、今は、現状を肯定的に、全面的に、素直に受け容れることに決めました。
迷っている自分自身をも含めて。
これが、今の、ありのままの私、なんだと。
今宵は満月。
ベランダから見える月があまりにも美しくて、すっごく嬉しくなりました。
清浄と澄んだ白く凛とした月の光に、心が洗われるよう。
長い髪と一緒に、後ろ向きで悲観的な想いまでバッサリ切り落としたような、ちょっとすっきりした気分です。
「博多の美味しいもの」と聞いたとき、真っ先に思い浮かぶものはなんでしょう?
とんこつラーメン?
辛子明太?
水炊き?
それとも、もつ鍋でしょうか。
美味しいものは数々あれど、意外に知られていないのが「うどん」
実は博多はうどんも美味しいのです。
というわけで、仕事も決まらず毎日家でうだうだしてばかりでネタ切れとなってきた本日のブログは、『あひょ的おすすめうどん店』と行きたいと思います。
出張・旅行の際のご参考になる・・・かなぁ
醤油で黒めの関東風とは違い、関西風の博多のうどん。
お出汁が味の決め手です。美味しいお店のお出汁は本当に絶品
その上、青ネギ入れ放題のお店も多く、ネギ好きの人間にはたまりません
うどんそのものは、讃岐と比べると全体的に柔らかめ。でも、歯ごたえはモチモチ
お店によってはゆで方も指定できるところもあるので、かためが好きな御仁は“かため指定”なさったほうが良いかも。
お薦めの具は、やっぱり「ごぼう天」(発音は“ごぼ天”)他ではなかなかないしね。
薬味としては、おなじみ七味の外に、柚子胡椒も
さて。お店です。
まず、お腹いっぱい食べたければ“牧のうどん”
いろんな意味でインパクト大のお店です。郊外型も多いので、ドライブのついでに寄るパターンが多いかな。
同じようなレベルで、チェーン店の“ウエスト”
とにかく安い。店舗数が多い。そんでもって値段のわりに、結構美味しい。
博多駅近郊だと“因幡うどん”
そして。あひょの本命2店。(ちょいとマニアック)
まずは、地元、福岡市西区は姪浜の“まことうどん”
地元の繁盛店。
それと、福岡空港近くの“峰松本家”
先週も行っちゃいました。
きょんくんが頼んだセット。シンプルだけど、これがまたたまらない旨さ。
これぞ、博多のうましうどん。
揚げたての蒲鉾(いわゆるさつまあげ)も、アツアツプリプリ
あひょは、名物「どんめん」を。
上品な和風ちゃんぽんって感じかな。シャキシャキのお野菜がたっぷり入って、ボリュームのわりにペロリと入る。
特にもやしの美味しいこと。是非一度食べて欲しい
あー、お腹すいた