伝教大師最澄様についての書物は数多ありますが、私がつい最近読んだ立川武蔵氏の『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』には感銘を受けました。とくに第13章の「日本仏教における空(一)—最澄と空海」は圧巻でした。
私は常日頃から最澄様の教えの核心が「諸法実相(しょほうじっそう)」ではないかと思っていました。そのことを立川氏は正面から論じていたからです。
立川氏は「『諸法実相』という表現程最澄の思想を的確に語る言葉はないであろう。大乗戒の階段を延暦寺に建てようとしたことの根底には、この『諸法はそのまま実相(真実である)』という思想があったのである」と書いています。
立川氏が指摘しているように、比叡山延暦寺では法然、親鸞、道元、日蓮といった各宗の開祖が輩出することになったのは、最澄様の「諸法実相」であったからだというのです。
しかも、その意味するとことを「たとえばリンゴのかたち、香り、味などがやがて消滅する定めにあっても、否それだからこそ、それらの法(現象)はそのものの真実のあり方(相)を示しているのであり、かたちや香りが無常であるからこそ、それらはわれわれ人間にとってかけがえのないものという諸法実相の考えが日本仏教の根底にはある。無では決してないのである」と解説しています。
現象世界は無ではなく、そこに本質が顕現(けんげん)しているという考え方を明確に打ち出したのが、日本天台の開祖である最澄様だったのです、最澄様が朝廷に大乗戒の戒壇を建てる許可を求めたのは、日本仏教にとっては一大決断でした。出家修行した者だけが悟りに達するという法相宗を、小乗の立場だと批判し、厳格な戒律主義と一線を画したからです。それによって、日本仏教は妻帯した僧たちによって支えられることになったのです。
また、立川氏は「諸法実相」という方向に日本仏教の舵を切ったにもかかわらず「その理論構築は彼の後継者にゆだねられた」とも述べています。念仏もお題目も禅も、全ては「諸法実相」の異なった表現であるからです。
立川氏のその本では、空の思想の成り立ちと展開ということに関して、スケールの大きい見方をしていますが、あくまでも私は一端に触れただけですが、日本天台の奥深さを噛みしめることができました。
合掌
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