竹内洋岳さんの少年時代から書き起こし、山登りを始め、ヒマラヤにのめりこみ、8000メートル峰12座目までの登頂を著した本が『初代竹内洋岳』。そしてこの本は、前著出版時には、まだ登られていなかった13座目のチョー・オユーと14座目のダウラギリについて書いている。
13座目のチョー・オユー登頂後、下山時にルートを見失ったということは、大したことではないように今までは語られていたが、この本を読むと、かなり深刻な状況だったことがわかる。14座めのダウラギリも下山時はヘロヘロになりだいじょうぶなのかと、皆ハラハラしていたものだが、それ以上の深刻さだったのだ。
確か13座目の登頂時も、14座目と同じように、私は竹内氏のブログでサミットプッシュまでのプロセスを追いかけていた。2010年は雪が多くて断念し、翌2011年に再チャレンジになるわけだけれど、天候や積雪量など条件さえ整えば、楽々と山頂に着くものだと思っていた。
おなじみカメラマンの中島ケンロウさんが同行し、登頂後竹内さんに先行して下山していくわけだが、竹内さんはケンロウさんの姿を見失う。そしてルートを見誤るのだ。登り時にはなかったロープがフィックスされていたせいだ。ケンロウさんがそのロープに惑わされなかったのは賢明であるけれども、高所で酸素が薄いところでは、判断能力も低下する。
竹内さんはヘンだと思い、意を決して元来た道を高度差にして300メートルも登り返していく。そして疲労困憊する。再び下ってきて、登ってきたシェルパによって、ロープのことを知るわけだ。再び同じルートを下るという正しい判断(?)ができたのは、もちろん経験のたまものなのだろうけど、ある種の勘と忍耐のなせる技なのだろうか。それにしても竹内さんの体力はすごい。ロクに食事もとらず、というか食料をほとんど持たずにサミット・プッシュをしている。
なにしろ驚くのは、非常にスリムな体型であること。無駄に筋肉をつけると、その分余計に酸素を消費し、疲労もたまるというポリシーをもっている。さらに驚かされるのは、高度順化の速さだろう。ケンロウさんは常人の順化スピードらしいのだが、竹内さんは瞬く間に高度順化を果たしてしまう。だから必ずといっていいほど、ついていくケンロウさんは、高山病になる。しかも、歩く速度が並ではない。13座目に公募で同行することになった阿蘇さんは、常に皆より遅れて到着とあったが、どうやらメチャメチャ速いようなのだ。体が軽い分、足も速く運べるということなのか。それこそが、竹内さんの14座登頂の秘密なのかもしれない。
この本には、ちょっとしたトリビア的な情報が散りばめられていて、なるほどとうなづけたり、こんなことがあったのかと興味を引く場面も描写されている。最後まで飽きることのない面白さだった。テレビや講演で、竹内さんの話を拝聴していたので、重複するところもあるけれど、それを差し引いても読む価値があった。
参考:
竹内洋岳の友人が挑む「K2」の頂http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20120421
階段でいえば、踊り場にいる~竹内洋岳講演会http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20121111
ついに8000メートル峰14座制覇! 竹内洋岳http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20120527
標高8000メートルを生き抜く登山の哲学http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20130618
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