『剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む』永井義男(朝日新聞出版)
楽しすぎる。一言でこの本を表現すると、これ以外にない。江戸時代版バックパッカー紀行文の紹介本だ。私も江戸時代に生まれていたら、剣術修行と称して、全国行脚していただろう。ただ百姓の家系だから江戸時代に生まれても、それはかなわなかっただろうが。
まえがきにもあるが「諸国武者修行」、「他流試合」といえば、すぐに道場破りをイメージしてしまう。しかし実態はそうではなく、道場におじゃまして練習させてもらうという、穏やかなものだった。江戸時代は、太平の世とはいえ、各藩剣術修行を推進していて、希望者は藩に書面を提出し、認められれば、公費で修行の旅に出ることができた。修行人宿というものがあり、そこに泊まれば宿泊費は無料。すべて各藩が修行者のために負担していた。
本書の主役は、「諸国廻歴日録」を書いた牟田文之助。20代で妻帯者。宮本武蔵のあの二刀流の一派、鉄人流の使い手であった。のちに江戸時代の剣豪として、彼は名を残すことになる。その彼が佐賀を出発し、諸国の道場を経巡る。おもしろいことに彼は、行く先々の道場で、歓迎された。なぜかといえば二刀流が非常に珍しいからだ。相対したことがないから、ぜひともお手合わせをとなる。
稽古のあとの夜は宴会。道場に来て稽古しているのは、若者ばかりで同世代だから、すぐに打ち解けて親しくなり、話題は尽きない。また諸国を廻る修行者同士で親しくなることもある。文之助も意気投合して、他藩の修行者と連れ立って、旅にも出ている。たださびしいのは、何せ江戸時代。手紙のやりとりは可能だったものの、当然往来の自由はない。電話もなければメールもない。いったん別れてしまえば、他藩の人間とは、まず再会できない。今生の別れになってしまうのだ。悲しいね。
さて修行の中身はといえば、道場で稽古している人たちと一人ずつ竹刀でパンパン打ち合っていたようだ。後に剣豪と称されるだけあって文之助の腕前は秀でていたようだ。「日録」の中で、立ち会った相手の力量を記しているが、ほとんどが大したことはないと歯牙にもかけない。ときどき骨のある人物と立ち会うとそれを率直に記してもいる。江戸の3大道場といわれた、千葉周作の玄武館、斎藤弥九郎の練兵館、桃井春蔵の士学館にも足を運んでいる。
私は中国武術をかじっているが、いわゆる“遣える人”に会うとわくわくする。すごい。この拳の重さはなんだ? この速さは? どういうふうに動いているのだ?と興味津々になる。いっぽうで大したことのない人、いわゆるフツーの人への関心は薄い。だからなんとなく、この日録での文之助の書き方には納得がいってしまう。著者は若くておごっているふうに懐疑的にとらえているのだが。
ともあれ「諸国廻歴日録」は、武術の楽しさと、その土地土地での修行者同士の交流、弥次さん喜多さんの東海道中みたいな面白さを兼ね備えた、青春謳歌の旅の記録である。そんな江戸時代の稀有な本を研究、紹介してくれた著者にはどんなに感謝しても余りある。
剣術修行の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻歴日録」を読む (朝日選書) | |
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