目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

要害山と一度は訪れたい深草観音Part1

2019-04-23 | 山行~八ヶ岳とその周辺

要害山 標高 780m 深草観音 847m 山梨県

2019年4月21日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:06要害山登山口駐車場8:16--8:57要害山9:00--10:00深草観音10:35--11:22要害山(昼食)11:52--12:12駐車場

山の神とGW前に足馴らしに少し歩いておこうということになり、近場の山梨県の山はどうだろうかと、『山梨百名山』を眺めていた。最初は付箋をつけていた大蔵経寺山に狙いを定めたのだが、Webで調べると道は荒れているようだし、行程が短かすぎて、あっという間に山頂に着いてしまう。しかしあちこち調べているうちに、たまたまそこから要害山に抜けている記録を見つけた。これだと思った。ただ忠実に真似るのではなく、われわれ用に短いコースに組みなおした。

5:00起床。4:00台の起床はあくびばかりが出て厳しいが、この時間なら、比較的無理なく起きられる。自宅を出発したのは5:35だった。中央道に上がり、いつものように談合坂SAで朝食。一宮御坂ICで高速を下りた。途中セブンイレブンで買出しをし、武田神社の横を上がっていく。

 
左:要害山登山口駐車場。写真奥を左折していくと登山口 右:やまびこフォルティナ(元要害ホテル)

予定よりも若干早い8:06要害山登山口駐車場に到着した。先着1台だったのだが、山の神と準備をしていると、ドライバーが戻ってきて、そのまま帰っていった。もう登って来たのか。

8:16駐車場を後にするころ、1台だけ車がやってきた。

 
左:史跡 要害山のモニュメント 右:門跡がいたるところに

元の要害ホテルへ向かって車道から左折して入っていくと、かなり大きな「史跡 要害山」のモニュメントがあった。ウィキペディアによれば、1991年に史跡に指定されたとのこと。ただ、これだけ要害山城をつくった武田信虎(武田信玄の父)を顕彰しても、訪れる人は少ない。

登山道に入ると薄暗い杉林となり、またかという気分になったが、すぐに明るい気持ちのいいアカマツ林にとって代わる。

 
左:毘沙門天像 右:明るくて気持ちのいいアカマツ林

やがて道が分岐していて奥のほうを覗くと、毘沙門天像が鎮座していた。戦国武将は毘沙門天が好きだ。この憤怒の顔に自らを投影したり、あるいはこうあるべきと目標とするのだろう。

登山道に戻り、登高を続ける。たちまち汗が噴出してくる。駐車場ですでに16℃くらいあったから、Tシャツスタートでもよかったのかもしれない。

 
左:武田信玄生誕の地と書かれていた 右:山梨百名山の標柱

8:57あっさり要害山山頂に到着した(写真上2点)。小広い山頂で、ここに武田家の城(館)があったのだが、礎石も何も見当たらず、その名残はまったく感じられない。

 
左:要害山山頂。中央は山の神 右:深草観音へ向かうと、いくつもの分岐が出てきた

あとから単独行の方が山頂に来たが、ここまでで終了という。ハイキングなんだろうね。山の神と私は、水分補給をして深草観音へと先を急いだ。

いくつもの堀切や竪堀を越え山を下っていくと、事前に調べたときには気づかなかった分岐が出てきた。意外にもルートはたくさんあるようだ。

 
左:苔むした岩の分岐点 右:ヒトリシズカの群落

ほぼ横移動に近いトラバース道を山の神とどんどん進む。斜面につけられた登山道が少し崩れているような箇所もあったが、通過できないほどではない。

やがて杉林に入ると、ヒトリシズカの群落を発見した。深緑色の葉に純白の花がコントラストをなしていて非常に映える。これから向かう深草観音の「深草」はもしかして、ヒトリシズカから来ているのだろうか。


深草観音への道は沢(谷筋)を上がっていく

超穴場だった深草観音へとつづく


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