『極夜行』角幡唯介(文藝春秋)
「明けない夜はない」なんて、よく悩み疲れた人に慰めの言葉をかけるけれども、この探検は来る日も来る日も夜が明けない、恐ろしいものだ。ではなぜ角幡さんは、こんな探検を思いついたのだろう。
この本の冒頭で、そもそも現代において探検とはなんだと彼は投げかけている。地理的な探検は、もう終わった。地球上に未知なる場所はもうないと続ける。未踏峰はあるけれども、たんにルートが開拓されていないだけで、それに登ることにいかほどの意味があるのかと。たしかに記録が残されていないだけで、すでに誰かに登られているかもしれないし、それほど困難なく登れるけれども、ただ誰にも見向かれずに放置されているだけかもしれない。となれば、そこに行くことの価値は低いといわざるをえない。
そこで角幡さんが見つけた、新たな未知なる世界=探検の舞台、それが極夜だ。北極圏に入れば、冬は太陽が昇らず、何ヵ月もの間、闇に閉ざされる。光といえば、星と月以外にない。月が昇らなければ、星灯かりだけになり、さらに雲が空を覆えば、漆黒の闇に包まれる。想像するだに身震いする世界だ。
私はすぐにナイトウォークを思い出していたが、ナイトウォークは、何時間か経てば、明るくなってくる。しかし太陽が地平線より上に出てこない極夜の世界はまったく違う。気温は零下30度や40度になるし、視界は常に限定される。おまけにブリザードが1週間も吹き荒れることもあるというのだから、人間の住む環境ではない。
彼は、この冒険を遂行するために、天測を学び、装備をそろえ、食糧のデポをしと準備に余念がなかった。しかし、そんな準備はことごとく自然の猛威のなかで破壊されていく。だからこそ探検だともいえるのだ。
探検中は、驚くほど次から次へと難題に見舞われる。そのたび考え、迷い、決断し、実行していく。その思考の過程で、人間の弱さや人間の根源的ななにかを著しているのがこの本の醍醐味だ。まるで哲学者のようなそんな思索に触れることは、私たちの今後の生き方の参考にもなる。
最後にひと言。装丁の地味さに、内容も地味なのではと思っているあなた(私もそう思っていたが)、全然そんなことはない。角幡ワールドにどっぷり浸かって迷い込んでしまえば、共感したり、困惑したり、ワクワクしたり、ハラハラしたり、笑ったり、安堵したりと、こんなに人間の感情は多様だったかと、思い知らされることになる。
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