マロリーの死体が発見された1999年は、結構な騒ぎになったから、覚えている方も多いのではないだろうか。NATIONAL GEOGRAPHIC日本版99年10月号にもたった6ページではあるがその記事が掲載されている。その後、間髪置かず発見のルポが緊急出版され、すぐに買って読んだ。『そして謎は残った』である。タイトルどおりで、結局マロリーのカメラは発見されず、登頂したのか、しなかったのかは判明しなかった。謎は残ったのだ。
その謎に興味をもったのが、ジェフリー・アーチャー。まったくの畑違いだから、どうかと思っていたが、もともと筆力のある作家だから、期待以上の作品に仕上がっている。でもこれって、逆に畑違いだからこそ、登山の技術的なことを云々するといった専門的なことに陥らずに、人間ドラマとして描けて、面白いんだろうね。
この物語のなかで、マロリーがチョモランマ(エベレスト)へ向かうまでは、彼の特異稀なる身体能力や冒険心を表すエピソードが一つひとつ積み上げられていく。面白いエピソードを書き連ねているから、読んでいて楽しいし、またそのエピソードがまた、彼は冒険家であるし、登山家であるし、とてもカッコイイ生き方をしていて、まさにヒーローそのものだと誰もが信じるように(実際マロリーという人間はそうなんだろうけど)、読み手の気分を絶妙に誘導していくのだ。
マロリーが若かりし頃、やんちゃをしたエピソードは読んでいて、にやりとしてしまう。エッフェル塔に登って、途中で警察に捕まって留置場送りになったり、ヴェネチアのサンマルコ広場の鐘楼に登って警察に追われ、奥さんとなるルースとともに逃げ切った話などは、なかなか痛快だ。また、兵役が免除されていた教師の職をなげうって、第一次大戦に志願して出兵していく様は、まさに彼の倫理観・正義感の表れだ。仲間や同志を思う心、大切にする心はこういう面にも現れるのだ。
ルースと結婚すると、夫婦愛、家族愛が手紙という手法で、とことん描かれていく。チョモランマ遠征中に書かれる手紙は、この本のストーリー展開に核心的な役割を担う。ただたんに、ルースへの報告ではなく、まさに心のつながりの象徴、絆そのものなのだ。
史実とは異なり、この本ではマロリーは2度目のチョモランマ登頂チャレンジで、命を落とすことになるが、最後は美しくまとめられている。99年の死体発見時に奥さんであるルースの写真を所持していなかったことを、こういうふうにまとめるとは、ジェフリー・アーチャーの創造力も粋なもんだ。一方でカメラは?と突っ込みたくなるのだが……。
読んでない人の興をそがぬためにこのへんでやめておこう。
読了後ふと気になって、この時代に生きた日本人って誰だ?と思い、1886年生まれのマロリーと同年代の人を検索してみた。まず、このブログで採り上げた田部重治が1884年生まれ。85年生まれに正力松太郎。まったくマロリーと同じ年の生まれでは、谷崎潤一郎、画家の藤田嗣治、夭折した歌人の石川啄木がいる。去年話題になった、マロリーと同じケンブリッジ大卒の白洲次郎は1902年生まれ。大昔のようで、そうでもない、自分からみれば祖父や曽祖父の世代にあたる、ちょっと昔の出来事なのであった。
遥かなる未踏峰〈上〉 (新潮文庫) | |
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