はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

<font size="-3">東京遠征初め2006。(part1)</font>

2006-01-07 23:57:19 | アートなど
新年早々東京遠征に参りました。
目的は4つほど。
まず、原美術館で開催中の「オラファー・エリアソン展」。
つぎに、新宿シアタートップスで上演中の舞台、親族代表「3」。
そして、前から行ってみたかった銀座の老舗画材店「月光荘」。
最後に、初台の東京オペラシティアートギャラリーとICC(インターコミュニケションセンター)の様子見。
結局、本日は「月光荘」訪問と「3」観賞、ふたつの目的を果たすことができました。


「月光荘」では店員さんのとにかく親切な対応に感激。
念願のオリジナルバッグと素敵なスケッチ帳も入手できましたし、思いがけぬハンコ談義もできて、非常に充実した時間を過ごすことができました。
ところで、この「月光荘」のトレードマークはホルン。店内にも趣深いフレンチホルンがディスプレイされています。このホルンを見て、わたくし、ある連想が浮かんで仕方がありませんでした。
クラフト・エヴィング商會の「クラウド・コレクター」に登場する『奏でるものたち』。かれらの使うホルンはきっとこんなものなのではないか・・・そう思えるほどイメージぴったりの造型だったのです。時を経て重厚な輝きをもった楽器は、それ自体がひとつの作品であるかのような存在感を持っていました。
画材等含め、本当に素晴らしいお店だと思います。
とりわけ、クラフト・エヴィング商會好きの方はぜひ一度足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
おすすめです(^^。
なお、月光荘のHPは→こちら


親族代表「3」は昼公演および夜公演の2ステージを観賞。
ネタバレになるので詳しくは申せませんが、とにかく親族代表の嶋村氏、竹井氏、野間口氏3氏の演技力に唸って参りました。外部6氏の脚本によるオムニバスコントだけあって、いろいろな笑いの方向性を提示されるのも新鮮。3氏のもっといろいろな顔が観たくなる、私にとってはそんな舞台でございました。
親族代表「3」、9日まで上演されておりますので、興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょう。
なお、親族代表のHPは→こちら


ところで、今日の観劇とは直接は関係ないのですが、観賞後になぜか笑いと悪意の関係について考えてしまいました。
昨年末に、media CLUBKING で配信されている、佐藤雅彦氏と茂木健一郎氏の対談「人間が生き生きとしている状態を『ステュディオス状態』とします。」を聴いたわけなのですが、この対談の中で佐藤氏は次のような主旨のことを述べておられました。
『CM業界には悪意がいっぱいなんです。なぜかというと、CMはちょっと悪意を入れると受けるんですよ。僕はぜんぜん善人じゃないんですが、そういった悪意のないものを作りたかった。悪意をまったく入れなくても面白いものが作れるんだ、ということを証明したくて、『peko!』のCMをつくったんです。』
私はこの対談を初めて聴いた時、このくだりで思わず泣きそうになってしまいました。感動するほど嬉しかったからです。こんなことを考えて実践してくれている人がいるという事実。それが他ならぬ佐藤氏であったということ。「kino」を観た時と同様、幸せな気持ちになりました。
そして、この対談を聴いて以来、表現の中に潜む悪意が気になってしかたがないのです。
意識して見渡すと、この世の中は悪意を含む表現に満ちています。
とりわけ、笑いの分野は不思議なほどに悪意を利用したものが多いように感じます。むしろ、悪意を含まない笑いは成立しないのではないかとさえ思えるほどです。笑いは悪意と本質的に結び付いたものなのでしょうか。それとも、悪意のない笑いも成立しうるのでしょうか?
「kino」や「ピタゴラスイッチ」を見る限り、悪意を用いずにある種の笑いを成立させることが可能であるように思えます。しかし、その笑いを主目的とした時にも悪意の不使用は有効なのでしょうか? そこのところが今の私にはまだ具体的に要素還元できずにおります。
引き続きこっそり考えてゆきたい命題です。
なお、対談に関する過去の記事は→こちら