なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

国民性?

2011-03-17 19:33:27 | Weblog
 我が家の車は日曜日の外出時に燃料補給警告ランプがつきました。
  そこで通りがかりのガソリンスタンドに寄ろうとしたのですが、入り口で店員さんにストップされました。
 理由は「売り切れ」なんだそうで、、、非常に気分が悪かったのですが、店員に悪態を突いたり脅かしたり、あるいは懇願なんて嫌なので、「あっそう」という感じで立ち去りました。
 その後GS周辺は延々長蛇の列か、取り巻く順番待ちの車、車、車。
  こんなにこれ程多くの車が同時に燃料補給を必要とするわけが無いと思うのだが、、、もしそうなら、こういう混雑が日常的な筈ですが、そうではないと言う事は今回の地震が問題。
 千葉県の石油会社のガスタンク炎上が引き金なのか、それとも今後ガソリン供給に問題が出ると言う予測のもとに取り敢えず満タンにしようと言う事だろう。
 尤も現在はひとり10リットルとか20リットル程度しか入れられないらしい・・・
  私が疑問が思うのは、満タンにして車で何をするか?。
 マア家族の誰かが具合が悪くなって病院に行くのに使うとか、買い物の荷物を載せるとか、通勤の最寄り駅までの送り迎えとか・・・車があれば便利だけれど、無ければ生活が出来ない訳ではない。
  それとも何時でも遠くに逃げ出せるような備えなんだろうか、、、狭い日本、どこに逃げても大差ないと思わないのだろうか?。
 この時期にどうしても車を使わなければいけない?・・・皆が皆?。
  どうもこういうのも国民性?、、、それともこういう事は人間が社会生活をしていく上での集団心理?。
 
 我が家の近所は駅まで歩いていけるし、病院も買い物も近くで済ませることが出来る。
  徒歩でも行けるし自転車でも行ける。
 だからどうしても車が無ければ生活が出来ない地域ではない、、、燃料が絶対に必要かどうかは?。

 さてこういうのは、誰かが「並ぶ」とその気になる国民性だろうか?
  「災害対策物資」の家庭レベルでの備えがいい加減なのに、いざとなると泥縄式に買いに走るので一気に品不足になる。
  こういうのも被災地の救援活動に対して阻害要因になるように思うだけれど。
 水道断水のためにやむを得ずタンクを買いに走るのは仕方が無い面はあるが、「計画節電」と聞いただけで乾電池類・懐中電灯・ローソクが店の棚から消えるのだから、、、何だか変。
 そこまで必死になるのなら普段の備えが必要なのに。
  「無いものは仕方が無い』という諦めも悪い。
 私?、「ウィルビーウィルビー」か「ケセラセラ」で生きて来たし、これからも続くだろう。
  なんせモットーは「まっ、いいか」で生きている