なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

マダはもう、もうはマダ。

2011-03-22 18:11:35 | Weblog
 これって一般的に通用する言葉かどうかは知りませんが、私がまだ30才になる前の事で、同僚であり競馬のお師匠さんであったKさんから教わった言葉。 
 奥が深い言葉ではありません。
  要するに自分が信じる馬券、期待が出来る馬券を買えばいいのであって、その日の流れとか周囲の評判とかに流されない方が好い事が多いヨと言う意味でしょう。
 例えば10頭出走する馬の能力を正確に把握できるのなら相当高い確率で結果を予測できる筈。
  それでもほんのわずかな要因で結果が変わってしまうと言うのがギャンブルです。
 そういう結果が例えば○ー○と言う当たり馬券の結果になって、今日はやけに8枠が良いとか、3はダメだなとか言う流れになったとします。
 本来は数字が結果を操ることは無いし、単に数字に過ぎないのは分かっていても、そういう流れが一日続くのではないかと思ったりもする、、、そこが人間の弱いところでもあるカモ。
 あるいは反対に、数字は結局平均化する筈なので、そろそろ3が来るだろうなどと、あたかも数字が走っているかのような錯覚をしたり。

 そう言う流れの時に「まだまだ続くと思ったのがもう終わり、もう無いと思っていたのがマダ続く」と言う意味で、結局「惑わされる事無く自分の考え通りヤレ」と言う意味である。
 マア、そうすれば確率が良くなるわけでも有りませんが、自分の信じるものが外れた方が、変な流れに惑わされて外れた時より納得がいくでしょう。
 競馬などギャンブルは胴元に20%以上ピンハネされていますから、普通損をします。
  単発のレースで儲かったりはしても長い目で見れば必ず損をする筈、、、自分だけは違うと思っている人は余程お人よしか自信過剰だと思う、、、だから負けたと言うよりお楽しみ代金を払って遊ばせて戴いたと思えないならやらない方が良いですネ。
  見物料とかお賽銭みたいなもの。
 そういう事で納得のいく負け方が出来るかどうかが楽しく遊べるかどうかでしょう。

 そういう所は囲碁も多少似ている。
  勝負事ですから当然似ている部分はある。
 勿論囲碁でキャンブルはしませんが、勝ったり負けたりの中で勝ちの方は問題が少ないとして、問題はどういう負け方をするかと言う事でしょう。
 納得のいく負け方のようなものは、残念ながらまだ悟りを得ていない私には難しいですが、それでも「懸命に打って、ミスらしいミスをしなかったのに負かされた」時は、さっぱり味の負け方と言いましょうか、あまり悔しさが後を引かない。
 これが変な負け方が続くと、、、「そろそろ勝てるだろう」などと根拠のない心理で、一つの価値を欲しがったりする、、、。
 詰まり○連敗しても、今日の最後に1回勝ちたいナドト、、、全く根拠のない期待ですネ。
  マア点数制度ですから負ければ点数が下がって、相対的に勝ちやすくなる筈だと言う事を何かの錯覚で「そろそろ勝つ頃」にすり替えているのでしょう。
 私の感想では駄目な時はダメなので、そういう時は修業して出直さないといけない。