なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

受け継がれる記憶

2011-03-16 20:58:56 | Weblog
 私は戦後数年して生まれ団塊の世代と呼ばれる。
  何をやるにも常に競争を強いられている割にはご褒美が少ない、ちょっと不公平な世代とも思う、、、マア折角この世に送り出して戴いたのだから不平より感謝ですね。
 でも、子供時代からヒネたところがあって「人は何のために生まれたのか」などと言う作文のテーマには,心の底で「気がついたら生まれていただけの事で理由なんてない」と思っていたからマトモな事は書いていない筈です。
 この事については今も変わっていないので、そういう大命題を前にすると白けてしまうのは変わっていない、、、要するに私は”進歩”していない。

 ところでこの原稿の下書きをしている最中に大きな揺れがありました。
  震源は静岡県東部富士宮方面とか、、、震度6+!!、、、何だかこの間の東北沖から震源が段々南下しているような感じ。
 大きなプレートとプレートのひずみは1つの地震では収まらなくて、幾つもの地震を引き起こしているのでしょうか?
 ともあれ先日の東北方面の揺れは観測史上最大だとか、、、と言う事は今後私などが生きているうちはアレ以上の地震に遭遇しない可能性が大きいと言う事だろうか?
  私の祖父母の世代から関東大震災の惨状が語り継がれてきたけれど、これからは東北沖地震が伝説になるのでしょうネ。

 話が少し横に逸れますが、私が生まれる数年前、民族的記憶?として戦後のドサクサの中で生き抜いてきた話がある。
 買い出しとか耐乏生活とか・・・こういうものが祖父母・父母の世代から話として聞かされてきた。
 私の子供時代は貧乏ではあっても戦後すぐの闇市時代とは違った筈、、、でも配給は終わったものの「お米の通帳」などがあったりして、、、。
 オイルショックの時に「洗剤」「トイレットペーパー」「カップヌードル」などを買いあさった流れ、今度の地震で乾電池・懐中電灯・水・弁当類・パン・ガソリン・・・などが売り切れるkとと少し似たところがあるような気がする。
 こういう流れ、、、何が不足するかを素早く判断し家族のために買いに走る。
  そういう家族愛も有るのかもしれませんが、少し寂しい。
 もし本当に「不足」がやって来るなら多少早くなるかどうか程度の違いですから、目の色を変えて我勝ちに買いあさるのってチョット、、、。
 困る時はみんなで困るしかない、、、「自分と自分の家族だけは少しでも楽をさせたい」のでしょう。
  しかし、そういう事が受け継がれ語り継がれて行くのは寂しい気がする。

これは一種のブラックジョーク

2011-03-15 22:24:17 | Weblog
 大きな災害なのに、私は根が不謹慎に出来ているのか、真面目な事にも「冗談」を感じてしまうところがある。
それと、「可笑しさ」と言うものが、例えばバナナの皮ですってんころりというのもそればかりでは飽きて来る、、、「ジワっとした可笑しさ」とか「何やら不釣り合いの可笑しさ」が好き。
 お笑い番組で其の場で大笑いするのも好いかも知れないけれど、どちらかと言うとその時は「?」でも、翌朝になって「そうかッ」トニヤッとするのが好きなんです。

 日曜日に近くの大型スーパ-の別館にあるベーカリーの前を通りかかった時もそう、、、大きな店舗にはパンの陳列棚がたくさんあって、いつもならおいしそうなパンが並んでいるのだが、この日は大地震の翌日と言うことなのだろう陳列棚には何もない。
 イヤ棚の隅にホンの一種類のパンが2,3個鎮座するのみだから、流石にこれは大地震の影響だと直ぐに理解できる。
 ところが、女子高生くらいの年恰好のアルバイト店員と言うか、超若い女子店員がナント4人何もすることが無いのに立っているのだ!!。
 ウーム、出勤して店に立っているのが彼女たちの仕事であったのだ。
 (昔なら、「暇でやることが無いなら窓ガラスとかショウウィンドウを磨け」といわれたものです。今はしういう事をやらない事は無いのでしょうが、やる時間が決まっているのかな?)

 マア、こんな事で内心の憂さ晴らしみたいなもの。
  月曜日にはブラックジョークを発見。
 
 仕事の帰りにある大型スーパーに立ち寄りました。
  無理だとは分かっていてももしも在庫があればと言うはかない望みと言うか、在庫切れ確認のようなものです。
 「懐中電灯」探し、もしくは蝋燭でも良い。
 断水は解決しそうですが、新たに計画停電と言う問題が出てきました。
  私自身がワークシェアーみたいな嘱託職員ですから、電力もシェアーに異存は有りません。
 こういう事態では避けては通れない。
  但し我が家には懐中電灯が無かった、、、どうしても見つからない。
 あるいはローソクでも良いのですが、これもまた無い。
  近所のコンビニにもスーパーにも無い、、、売り切れなのです。

 食料品とか懐中電灯・乾電池・ローソク、それにお米、ポリタンクなどは軒並み売り切れで、これはコンビニにも、家庭大工用品店、100均一店にも無い。

 一瞬嘗ての石油ショックの時を思い出しました。
  アノお時は「洗剤」「トイレットペーパー」それに容器不足の推測でカップヌードルまで異様な売れ行きだったと記憶している。
 その時は私はそれらを売る立場だった。
  勿論売り惜しみなど一切しないで、入荷次第に店に全部並べていた、、、なんでこんな売れ方なんだと内心驚きと呆れながら仕入れ・販売をしていた。
 今回は先ほどの商品に加えガソリン、、、近い将来に「笑い話」になれば良い。
 
 さてそのスーパーの表には宝くじTOTOの店がある。
  こういう世の中緊急事態の日にもボックスの中にオバサンがひとりいて、開店しているが客は誰も来ない様子だから節電では無いですネ。
 見方を変えれば、ある意味で「安全な国」の証みたいに見える、、、なにかあると暴動とか略奪が横行する国ではとても危険でこういうのは無理でしょうネ。
 そういう意味では初めに話したベーカリーの女子店員みたいなものとどこか共通したおかしみを感じた
、、、しかし、しかし宝くじボックスの外の壁にある貼り紙に「大当たり」と大きく書いてある!!。
 確かに私たちはみんな「大当たり」をくらってしまいました。

一面の泥の海

2011-03-14 21:08:03 | Weblog
 日曜日の話です。
  普段なら土日水+祝日が晴れなら通っている公園ですから、地震の被害で当地としては非常事態では有るけれど、個人な道楽心は我慢しきれません。
 土曜日は流石に地震の翌日でも有り、敷地の至る所で液状化のためにしみ出した泥の撤去作業(作業は女房殿と息子ですが・・・)のため、「出かける」とは言えない状況(私が家に居ても役に立ちませんからどうでも良いようなものですが)。
  断水のためマンションの大型タンクあるいは近所の小学校まで水汲みに行く仕事がせいぜい、、、それでもこの時にはいなくては「猫の手以下」の烙印を貼られるだけでは済まないだろう。
 と言う事で二日間は家でジッと我慢の子。
  こういう事は頭で理解しているけれど、気分はイライラ、、、表には出せないイライラ状態。

 流石に日曜日は我慢しきれず「ちょっと行って来る」、、、これが言葉通りチョットの筈は無いが。
 肩からカメラを2個下げて、自転車のかごにはこまごまとした道具類の入った布製のトートバッグに折りたたみ椅子。
 これだけの道具立てで出かけたら最後、後はカメラのバッテリーが無くなるかあるいは目当ての鳥が居なくなるかするまでは帰らない可能性が多い。
 
 ところがどっこい、、、公園も地震の被害があった。
  大きな被害!!。
 公園の入口に職員がいて「片付け作業のため閉鎖中」だと言っている。
  マア搦め手からは入れるのですが・・・。
 入ってびっくり、いつもの池!!、、、池が無い。
  例えて言うなら池が「有明海」状態になっている。
 あのムツゴローの住む有明海の干潟状態。
  池の水面だったところが、9割は泥で覆われていて残りの1割が水面で、かなり浅そうに見えるから、もはや池では無く泥の海
 大きなコイなどは背びれが水面に出るくらいで、群れている筈のカモ類は居ない。
  アオサギとコサギが1羽づつ、泥の上を歩いているのみで、これではカワセミは来ないと思われる、、、復旧を考えると愕然。
 少なくとも昨年の9月以降、今年の1月1日に猫被害に遭ってから別のカワセミが来るようになる間の約3週間を除いてカワセミを見ることが出来た、、、ほぼ毎日出会う事が出来た。
 それが池が無くなって小魚が居なくなればこの鳥が来る筈が無い、、、5月くらいから9月くらいまでの子育て期間に来なくなるのは仕方が無いが、池が無くなるなんて論外。
(公園の関係者の話では、泥を撤去した後に池の修理をして復旧させるとか、、、それで小魚等復旧できるのは何年後?、、、数年後ではカワセミも世代交代してしまう)
 
 もう一羽の青い鳥、、、林の中のルリに会いに行きました。
  こちらは何とか会う事が出来ました。
 カメラを構えているところへ何度も舞い降りて来ました。
  いつものカメラ仲間?、、、流石に今日は私一人、、、あとウォッチャーのオジサンと二人。
 それに顔馴染みの警備員さんがパトロールに来ました。 
  世の中大変だし、この近所の団地・マンションは埋立地に立っているのですから、どこも液状化の被害がある筈だし、そうなれば断水などもしているかもしれないから「鳥どころでは無い』のでしょう。
 
 PS.私のところの断水は幸いな事に日曜日の夕刻前に復旧して、おかげさまで風呂・炊事・トイレOKになりました。
 
 

余震は続くよ今日もまた

2011-03-13 06:01:14 | Weblog
 「線路は続くよ何処までも・・・」みたいな感じですが、被害程度が軽いからそんなアホな事を言っていられるのでしょう。
 地震の専門家の話では余震は1週間とか、もっと後にもあるとか、あるいは別の場所で大地のバランスが崩れたために地震が起こることがあるとか。
 つまりこの国では初めの地震とそれに伴う余震、さらにそれらの影響で起こる地震、、、要するにずっと続く事になる。

 さて私の住む場所では液状化の影響で水道管の被害があって、電気・ガスは大丈夫だけれど水がダメで。
 水がダメだから料理も食器洗いも出来ないから買って来た弁当で何とか数日を凌ぐ事にする。
  問題はトイレとお風呂、、、マア仮設トイレと近所の学校のトイレ開放で、、、但しトイレの度に100メートルは歩かなくてはいけないけれど、この程度で済めば贅沢は言えないカモ。
 洗濯はコインランドリーで何とかなりそうなので、残りは風呂。
  と言う事で土曜日はちょっと贅沢して車でスーパー銭湯に行ってきました。
 要するにチョット贅沢な銭湯。
  銭湯なるものは大学に入った時に初めて入り、その後社会人になり結婚当初は近所の銭湯にお世話になりましたがそれ以来になる。
 娘が生まれた時はアパート住まいの時でしたが、そこには風呂があったのだから少なくとも30年ぶりくらいにはなる。
 
 他の入浴者を見ると、どうも家に風呂が無いからここに来ていると言うより、たまに贅沢な入浴を楽しむために来ていると言う感じですネ。
 それはそうでしょう、、、1回1000円近くかかるのですからこれを家族で毎回続けることは難しい。
 さて、最初にアロエ入りの風呂でこれが40.5度。
  最初は少しヌルメな感じでしたが、案外温まりました。
 ジャグジーの方は人気がある割に定員が3名なので常に人がいるので諦め。
  水風呂とか電気風呂はパス。
 表の露天岩風呂は気持ち良かった。
  温度は高目ですが表だけあって頭がすっきりと気持ちが良い。 
 街中で露天風呂も気持ちが良いので○ですネ。
  隣の炭酸湯と昼寝の湯は時間の関係で今回は素通り。
 ともかく、地震2日目なのに久し振りみたいな気分で風呂を楽しみました。
  家の風呂と違って湯船が大きいせいか温まり方が家の風呂と違うような気がします。

 ところで娘は隣の市に住んでいますがそこは水は出るが電気がダメ。
  と言う事で夜の灯りとかTVが見られ無い、、、但し水は出る。
 さてさてこういう比較はナンセンスかもしれませんがどちらがより凌ぎやすいか?
  情報が入りにくくて、この時期家の中が寒い・・・さてさてそれも困る。
 娘からの電話では電気は復旧したらしい、、、良かった良かった。
  そう、電気の方が水道管より修理しやすいのですネ。

「やはり」と「おやっ?・・・」

2011-03-12 13:58:16 | Weblog
 大変な災害で一夜明けた後でもまだ余震は続いているし、津波の余波も警戒が必要。
  嘗ての大地震の場合は神戸淡路の時も新潟の時も奥尻の時も被害の当事者では無かったが、今回は少し事情が違う。
 東北方面の津波被害に比べれば当地の被害はかすり傷程度ではあるが、マア被害には違いないし住民の協力で作業が必要になっている。
 当地は埋立地にマンション・団地が並んでいるので建物そのもは割合丈夫だと思いますが、問題は水道を中心とするライフライン。
 そういう事は以前から分かっていましたが,なんせ経験が無いので何処がどうなるのか分からなかった、、、そういうものが今回の地震で事実・警告としてはっきりしてきた。
  当地の弱点はやはり従来から言われていた通り「液状化」ですネ。
 我が家のあるマンションでは何カ所も液状化・・・駐車場とか・・・そして建物の立っている基礎と路面に属するところの接点で高さにずれが出たところが。
 このために水道管が一部破損した。
  そのため嘗てニュースなどで見たような、水の問題が発生。
 しかし不幸中の幸いと言うかガスは問題が無くてよかったし、また電気も大丈夫。
  それでも周辺は泥だらけで翌日の当たる今日も住民による清掃作業が続いています。

 ところで我が家の息子。
  小さな頃は最近CMで見るような「マメスケ」みたいなものでしたが、最近すっかりズータイが大きくなってグータラ2世になってしまった。
 だから、地震の後も家で寝ているのかなと想像していたら・・・。
  私が家に帰ったところ家には居ない(なぜ?)。
 間も無く帰ってきたがナント家の周辺とか駐車場で泥の片づけをしていた、、、(予想外に感心)。
 それだけでなく水が無い事を前提に近所のベーカリーとか食料品店で食料品の買い出しをして、
給水施設で飲み水を確保。
  ウームなかなかヤル!・・・しかしオヤジとしては「当然」と言う顔で対処。
 そう言えば家の隣の家の息子さんも大学生ですが頑張っていた。
  息子については、「スポーツジムに行こうとしていたら地震が起きて・・・」と言う事で「ジム代わりの作業?」だったようなので左程感心な息子でも無いのかも知れんないが、でも、一応「おやっ?」でした。

 夜遅くネットの囲碁クラブを除くといつものメンバーたちが打っている・・・イヤ、流石にいつもよりは少ないか。
 それに東北方面の会員はいないように思える。
  でも碁キチ達は打っている。
 夜も遅いし他にやることが無いのならこれも良いでしょう。
  そう言えば昔碁会所に通っていた時代、例えば台風の悪天候の日でも碁を打ちに来る人は来るものでした。
 考えて見れば一旦碁会所に来てしまえばビルの中に居るわけですから、木造の家に居るよりは安全かもしれません。
 だから「雨が降っても槍が降っても」と言うことですネ。

 さて当地は土曜日天気だけは良い・・・恨めしい。
  いつもなら公園に行って午前中はカワセミ、午後はルリビタキそして夕方は再びカワセミを追いかけている。
 しかも、木曜日に新しいカメラが届いて張り切って週末を迎えたのに・・・。
  流石に「チョット公園に行って来る」とは言いだせない。
 表の災害対策の力仕事は持病の関係で参加できないが、だからと言って「俺、いなくてもいいよね?」とは言い出せない、、、明日なら言えるかな?。

大変な一日になってしまった。

2011-03-11 23:01:47 | Weblog
 午後2時46分、、、そこまでは何と言う事のない普通の週末。
  翌日は土日ですから気分は半分休日前バージョンでした。
 そうですよね、何にもなければ今週も残り2時間程度で仕事を終って、あとは囲碁を打ったり、土日の野鳥の公園に行ってどういう風に写真を撮ろうかとか考えて楽しむ時間。
 それと仕事の帰りに少し遠回りしてパソコン用の機会を勝って行く予定・・・ネットで概ねの商品を確かめてある。
 家で使っているノートパソコンのCDのターンテーブルの中心にある部品が何故かあっさり破損してしまったのです。
 殆どの記憶はSDカードとかリムーバブルスィッツクを使うので、問題はCDで映画を見る程度なので殆ど影響は無いのですが、問題は新しいカメラを買ったのでそのデータを取り込むためのCDを使えない。
 解決方法としては修理に出すのが良いのですが、それは費用も日数もかかるので外付けのCDドライブをとりつける方法。
 これならパソコン用品の安売り店に寄れば購入できる、、、その予定だった。

 しかし震源からだいぶ離れたここでも大きく揺れましたし、揺れる時間も長かった。
   
  家は被害は無いのですが、問題は地面の液状化による水道の被害。
 電気・ガスなどは幸い大丈夫なんですが、水が困る。
  食事は何とかなる、、、灯りはつくし暖房も大丈夫、、、風呂は我慢できる、、、トイレが困る。
  もっと差し迫った被害に比べると贅沢でしょうか。
 女房殿は今日は帰れずに職場に泊まる予定・・・これは電車が止まっているのだから2,30キロ歩いて帰るわけに行かないので仕方が無い。

 余震はまだまだ続く、、、今も揺れている、、、
  さてさて明日、どうなるかな。

鮒に始まって鮒で終わる

2011-03-10 18:15:30 | Weblog
 昔から言われている言葉ですが、なかなか意味が深い言葉だと思う。
  私も小さな頃は近所のため池とか貯木池で鮒釣りをしたものです。
 尤もそこの池はマブナだろうと思います、、、だから今住んでいる地方のようなヘラではありませんが、ともかく生まれて初めて魚釣りを試みた相手はフナでした。
 川に住むカニとかザリガニの類を除くとフナが最初です。
  つまり釣と言うものをフナ釣りで初めに経験した。
 餌の作り方(当時はサツマイモの蒸かしたものを練ったり、ミミズであったり飯粒でも釣ったり)とか、仕掛け、ウキの見方合わせ方などなど、ともかくフナ釣りを通して「釣のイメージ」が出来た。
 子供ですから池とか川でジッと待つのは苦手で、直ぐに海で小アジとかクロダイの方に転向し、その後は渓流でアマゴなどを追いかけていましたがともかく最初はフナ。
 ・・・但し「フナで終わる」の方は今のところ未定。
  と言うのは、自然条件に関わらず、、、つまり炎天下でも寒い時期でも川とか池の傍で釣り糸を垂れる予定は今のところ無い。
  今は池の傍で熱い時期も真冬でも野鳥を待っている、、、それは出来る・好んでやっている。

 話が脱線しましたが、要するに最初に憶えた事が、実は初心者の導入部であるだけでなくその道の基本でもあると言うような意味でしょうネ。

 と言う事になると仮にこの話を囲碁に置きかえることが出来るとしたら、、、
  最初に憶えるのは「ポン抜き」だろうか?
   「囲碁はポン抜きに始まりポン抜きに終わる」・・・これはチョットしっくりしない。
 もう少しカッコつけると、「囲碁は一間飛びに始まり一間飛びに終わる」?
  うーん「始まり」は良いとして「終わる」とは言い切れないような気がします。
 では「囲碁は小目に始まり小目に終わる」・・・これも反論異論が多そうですね。
  やはり言葉として無難なのは「囲碁は礼で始まり礼で終わる」・・・これは間違いないでしょうネ。
 若い頃に町の囲碁道場で最初に習ったのが、マズ座り方。
  「正座し」「碁笥の位置」「碁笥のふたの置く場所」「挨拶し一礼」「初手を打った後に”失礼します”と断って膝を崩す」・・・。
 今ネットでしか打った事が無い人が増えているらしいので、こういうのって面倒で敬遠されるだろうな。 
 それとも、もしかして案外新鮮だろうか。

力負け

2011-03-09 21:46:16 | Weblog
 どこかで聞いたことがある言葉が頭の中を過ぎりました、、、確か「勝ちには理由有り、負けには理由無し」だったように思う。
 つまり「弱いから負ける」の1点しか無いのに、あれこれ敗因をあげるのはみっともないと言うような感じで、、、イヤ反対だったかな?。
 「勝ちと言うのは結果だけの事で、負けの方に教訓が詰まっている」と言う感じ。
 それで行くと「負け碁の方が勉強になる」事になる。
  確かに負け碁から学んで負けないようになれば勝ちしか無いので、結果”強くなった”事になるのかなとは思う。
 尤も、勝負事相手があるわけだし、「負け碁に学ぶ」と言っても所詮ザルですから局後に振り返る事はあっても、実際にどれだけ勉強になっているかは相当怪しい。
 負け碁の後の振り返りが、勉強と言うよりスポーツでのクールダウンのようなものかもしれない。
 悔しさを単になだめていて、そういう”ケア”の後で「もう一局」となるかあるいは他の事に集中するかで、一種の自分なりの儀式カモ。

 さて昨日は「また、負けた」でして連敗。
  その前の負けははっきりした一手バッタリで負けたのに対して、今回は「力負け」のような負け。
 捩じり合いに負けたのではないが、スタートしてからジリジリと確実に離されて行く感じでレース半ばで絶望感があるような、、、。
 結果は7,8目ではあるが手合いが私の先で3目半コミ出しだから、結果で言うとスタートしてから5目負けではあるが、この5目が大きい感じ。
 
 一手バッタリの負けは悔しい事は悔しいが理由がはっきりしているのでシンプルな悔しさで、「理由のはっきりしない、力負けとしか理解できない」負けは一種の絶望感がある・・・マアだからと言って碁を止めるわけではありませんが。
 外から見ればあそこが悪いここが酷いと指摘出来るでしょうが、当事者としての私本人としてはそこのところが見えてこないし、一手一手の問題と言うよりトータルで相手の方が強いとはしょって考える方が早い。
 唯一考えられるのは、、、対策が立てようがないが、もしかしたら「相手は同型」なのかも。
  「押し相撲は押し相撲に弱い」みたいに、同じタイプだと力のある方が相手に力を出させないで押し切ってしまうのかも、、、。
 それってイソップの「届かないところにあるブドウ」みたいな感じで、「諦めるための理由付け」かもしれないが、ザルの碁キチだからネ。

後の祭り

2011-03-08 18:43:26 | Weblog
 意味は覆水盆に返らずとかオーバースピリットミルク・・・ですが、表現としては「後の祭り」が一番俗っぽくて私には似あっているかも知れません。
 ふと気がついたのですが言葉の意味の内容としては「祭りの後」みたいなちょっと寂しい感じで、「祭りの後」と言う言葉では”取り返しがつかない事柄の意味になりますね。
 それで意味は少し違うような同じのような、、、私にはよく分かりません。
 そう言えば昔「○○をしない前に」と言う表現の意味は「○○をする前に」と同じだと聞いた時には何だか変だと感じました。
 マア、人がそういう表現をする時は”そういう”意味だとして聞いていますが、自分では「・・しない前に」と言う使い方はしません。
 そういう変な拘りを持つ性格なんですね。

 さて昨日の対局では”やってしまいました。
  何をって、もうザルのやる事で一番後悔を伴うもの。
 打つ前にちゃんと考えれば良いのに、、、イヤ私なりに考えながら打ち進めてきたのに、優勢を意識していたためかどうか、その時だけ本当にその時だけ頭の中が空白になっていたらしい。
 打った瞬間自分で「アッ!!」、、、で、そして相手が打った瞬間「ショボン」。
  ルンルンの次の瞬間投了。
 死んだ子の年を数えるではありませんが、もしもその場面以降間違えないとしたらと言う事で地合い計算すると楽々10目以上残っている。
 そう本当に小さなヨセしか残っていない場面での大大チョンボでした。

 ふと思い出したのですが、碁会所でのこういう時の表現・口調。
 「医者では間に合わないナ(お坊さんを呼んで来なくてはいけない)」
 
 発想があらぬ方向に飛びまして。
  最近葬儀のお寺離れ目立つのだとか、、、私も自分の葬儀を決めておかなくてはいけない。
 私の両親の葬儀はお寺、、、故郷の兄が喪主で決めた事だから仕方が無いが、普段お寺と付き合いがあった訳ではないので私としてはやや不満。
 父は神主の家の二男ですからなんで神式でやらなかったのだろう?、父方の祖母の時は神式だったのに。
 多分お墓をお寺の墓地に確保するためにはお寺でやらざるを得なかったのだろうな。
  でも私本人の場合は、、、その時は私自信は発言できないが希望としては神式の家族だけを希望としてどこかに書いておかなければいけない。
 お墓?マアどっちでもいいけれど、何かのお入れ物に入れて家の隅でもいいし、それが家族が金気味が悪いのなら散骨でもいい。
 神式では戒名要らない・・・名前の下に「比古之命」がつくだけですから。
  アレッ?脱線しすぎたようです。

もしかして非常識の世界?

2011-03-07 22:14:34 | Weblog
 私が初めてカメラを持って公園を歩き回る事を始めたのが昨年の夏。
  その時は朝6時頃から人工の浜辺の方とか、公園の西側ハズレ・東京寄りの場所で東京スカイツリーの写真などを撮っていた。
 海に突き出ている突堤の上で、カモメの空を飛ぶところとか、砂浜を餌を獲りながら移動する身指シギの写真などを撮ったり、花の美術館の奥庭で休憩を兼ねてバラのある景色を撮っていました。
 その頃にたまたま池を通りかかってこの池にカワセミが来る事を教えて貰い、その鳥のファンになって行きました。
 カメラの初心者ですから、持っていたカメラは望遠・接写に優れてはいるけれど、マア普通のカメラ、、、やがて知り合った池の鳥写真のファンは皆持っているカメラ・レンズ、、、イヤ装備が違う。
 望遠鏡+カメラみたいなものを知ったのもその頃。

 やがて全国紙の写真コンクールで月刊賞を受賞するような方と知り合えたのもこの池の縁。
  彼の写真を見てそれまでとは違うものを見てしまった感じです。
今までの写真のイメージとは違うもの。
 鳥の姿・しぐさ、色、表情、、、こういうものを「見てしまった」と言うかそういうものが「ある」事を知ってしまった。
 自分のカメラではそれらを切り取って見ることは難しいのだが、私の眼には見えていないけれど目の前にある・・・そういう感じ。

 以来自分のカメラの性能を再学習して、持っている能力一杯を目指しました。
  停まっている鳥ならいかに細かなところまで写せるか、日光など自然の条件も、、、。
 それに飛んでいるところ、ダイビング、フォバーリング、樹上から舞い降りる姿、、、こういうところが撮りたくて土日祝条件が許せば6時間くらい粘る。
  同じような写真を撮り続ける・・・1日400枚近く。
 今持っているカメラでは「蟷螂の斧」みたいな挑戦ですが、まだ初めて半年足らずの駆け出しですから今が修業時代みたいなものですネ。

 そういう事で我が家の大蔵大臣に新カメラの予算請求をしたところ1回目は「今のカメラで好いでしょう」とか軽く却下、2回目は「まだ初めて1年も経っていないのに今のカメラはどうするの?」とダメ。
 この程度では引き下がるわけにはいかないので、まずは「予算請求」・・・それに対し「何その値段?」。
 そうカメラをやらない人にはとんでもない値段らしい。
  確かに中にはレンズだけでも100万円近いもので撮影している人もいる。
 聞いた話では猛禽類を追いかけている人などはもっとすごいらしい。
  マア私の場合はそこまでは考えていない、、、けれど我が家の家族の常識にはかけ離れているらしい。
 私は両方知っていると言う所でしょうネ。
  偶然見てしまったものを、「あれは別世界」と距離を置いてみるか、無理には違いないが少しでも近付きたいと思うか?、、、既に「見てしまった」。

だんだん春が近づいて来る

2011-03-06 23:44:15 | Weblog
 先週は3連チャンでカワズザクラ+メジロの写真を撮りに行ったのだから、春が近い事は実感で解ってはいる。
 そう、メジロが群れるサクラの木の下の藪ではウグイスが(まだ下手ですが)啼いているのですから、春は直ぐそこです。
 なのに寒い日が続きチョッピリ恨めしい。
  ナンセ暖かなところでヌクヌク育ったせいか自慢ではないが寒さには滅法弱い。
 それでいて、暖房の整った暮らし方をして来ていないので、暖房の効きすぎも宜しく無い。
  つまりエアコンとかストーブは少し敬遠気味で、クラッシックにコタツとかアンカの方が好みなのです、、、マアそれだけで年が解りそう。

 そういう寒がり屋の私が何の弾みか公園で写真を撮るようになってしまい、土日水祝のほとんどを近所の公園で過ごしている。
 本格的に始めたのが9月の中頃ですから、、、あの頃は快適な季節。
  どちらかと言えば日射に気をつけなければいけなかったのが、今は冬なので着ぶくれダルマ。
 見てくれはいかにも・・・ですが、おかげさまで他人の目を気にしない年になりましたし、やせ我慢したとしてもそれでモテル事も無いし、無駄な見栄は張らない。
  
 1月に雪が降った時などは、誰も居ない公園の松の木の下で、ジッと鳥が来るのを期待して待っている、、、我ながら狂ったジイサマでしたね。
 2月などは早朝から林の中の日影で、、、足元の土も凍っているような季節に、ひとりで黙って座っていました。
 その割にはよい写真が撮れなくて、努力と結果は比例しないよい例です。

 ところで今日は8時過ぎには池の傍のよい場所に陣取ったのは良いけれど、お目当ての鳥がいない、、、と思ったのがとんでもない場所で流れの中にダイビング、、、完全に外されてしまい、おまけに奥の池方面に飛び去ってしまいました。
 こういう時は2者択一。
  飛び去った鳥の後を追って「追っかけ」をするか、ここで戻って来るのを待つかのどちらか。
 今朝は後者を選択、、、マア面倒くさかっただけですが。
  目当ての鳥が戻るまで、取り敢えず見えている鳥を撮影、、、と言ってもアオサギやカモは撮る気にならないので、松の木の中に居たオナガを撮影。
 オスのほうが奇麗なので絵になりますが、今日は雌だけで、、、ちょっと残念。

 ソウコウするうちに鳥が戻って来まして、サクラの枯れ枝にとまりました。
  「枯れ枝」と言うのは実はまちがいですネ。
 望遠で覗くとサクラの木の枝には蕾がたくさんあって、だんだん膨らんで来ているのを感じる。
  そう、後三週間もすれば咲くでしょう。
 その頃には林のな中のルリもそろそろ帰る頃?、、、池の方の鳥もペアリングするだろうからだんだんやって来る頻度が少なくなるだろう。
 そう、春から夏は寂しいですネ。

連日対局

2011-03-05 18:41:22 | Weblog
 先日は対局で相手の対応で苦戦?しましたが、連日の対局。
  結果は事務局預かりだったものが私の勝ちで決着がついたので(元々そうだった筈ですが・・・)その時の勝ち点1点は何だかオマケみたいな感じですから、今度は負けて元々みたいな気楽な気分です。
 マア、相手の名前を見たらそう考えないといけないですネ。
  多分互い先でも苦戦する相手で、今日は向う先で白からコミ3目半・・・つまり9目程度ハンデを負ってのスタート。
 黒小目+星、白2連星で立ち上がる・・・良し悪しなど抜きで私は2連星が気が楽と言うかなれていると言うか、臨機応変に戦えると言えば聞こえが良いが私の場合はもっと無責任な2連星。
 つまり黒さんの地を強引に奪いに行き、結果相手が厚くなるので、その分星に白石があった方が打ちやすいような・・・。
 それも素人考えではあるが、何とか上手く言って6目半残りました・・・何だか3月は良い予感・連勝。

 さてサッカーの方は土曜日にJ開幕、、、やっと土日の楽しみが始まる。
  新年度の始まりなんだけれど・・・中継を見ていてちょっとがっかり。
   関東のチームと東北のチームの対戦、、、この解説が私の大嫌いなK氏で、相変わらず上から目線の発言と関東のチームよりのコメント・・・確かに関東の方が圧倒的に人口が多いから、関東のファンに受けが良い方が商売?としては良いのでしょうネ、、、しかしこういうのは嫌です。
 それと昨年度のチャンピオンと関東の老舗チーム。
  トリカラーのチームがリードするも試合終了前のラストプレーでPKで追いつく!。
 劇的ではあるが何だか、、、実際のプレーを見ていないので何とも言えないけれど、昨年もこういう流れだったような気がする。
  劇的!と言うか、審判の演出と言うか、、、これって昨年と似ている、、、何だかがっかり。
   開幕戦でチョッピリ気も地がくじけそう。

ロバの耳?

2011-03-04 18:16:22 | Weblog
 有名な童話だし子供時代には国語の教科書にも載っていたような気がするけれど、もしかしたら「裸の王様」と混同しているかもしれない、、、マアいいか?(このいい加減さで今日まで無事に生きて来ている)
  内容はご存知・有名で、王様の耳を見て子供が「王様の耳はロバの耳」と叫ぶアレ(やはり裸の王様かも・・・)
 他人の身体的なところを「叫ぶ」と言う点では多少問題があるとは思いますが、「白を黒と主張する」と言う力に対して、素直に見たままを言えるという点では教訓になる筈です。
 童話の方はいい加減ですが、この辺りはかなり強く感じています
  
 もしも何かの判断について他の人が皆「A」と言う答えを出したのに対し、自分はどう見ても「B」だと思う場合、、、それがそれぞれの判断でどう思っても自由な場合は問題が無いのですが、仮に利害関係が発生する場合は困ります。
 この場合多数決なら完璧に多勢に無勢ですし・・・。
  私の「B」という回答がいかに間違っているのかを教示して貰う機会があれば問題ない、、、納得がいく答えならば私は最初の答えにこだわりません。
  これがネットでの囲碁の場合はそういう機会が無いまま両者の立場を態度でぶつけ合う事になりそう、、、それに近い事が起きました。
 昨夜の対局で私の白番。
  終盤かなり時間の余裕があったのでキチンと地合い計算をして『少し差のある結果』だと考えていました。
 差があると言っても5,6目ですからザルレベルとしては細かい内かも知れないが小ヨセでミスがあっても逆転される可能性は小さいでしょう。
  碁は黒が291手目に半コウを継いで終局と思ったですが、、、私の「終局要請」が相手から拒否されてしまった!、、、。
 、、、と言う事は地に関する着手がまだ残っていなくてはいけないのですが、私の眼にはそういうところは無い。
 残り時間を見ると相手の方が私より10分は多く残っている、、、と言う事はモタモタしていると地ではなく時間で負けになってしまう可能性もある。
 仕方無いのでネット碁では本来無用のダメ詰めをして時間の減少を防ぐ。
  相手も打つならダメしか無いのですから、堂々と相手もダメを詰めて来るが、再度の終局要請も拒否されてしまう!。
  何度終局提案しても全て却下、、、この辺りで「相手は酔っているのか」あるいは「チーター的になっている」と感じました。
 全てのダメを打ち終わったところで、仮終局し地合いを計算すると私の6目半勝ち、、、なんですが相手は結果に同意せず終局にならず、、、これ以上打つのなら相手の地の中に手にならないのを承知で打つか、自分の地に打つしかない。
 それは一手打つたびに損をする、、、それ以上にそんな無駄と言うかおかしなことはしたくない。
 結局両者パスを繰り返したので自動的に「結果は事務所預かり」。

 こういう時って気分はブルーかダーク。
  『もしかしたら自分では気がつかない何かがあるのか?、、、』
  『でもソフトでも白勝ちと計算しているのに』、、、これは堪らない。
 数時間後事務局の判定が出ていた、、、ソフトの判定通り白の6目半勝ち。
  では、黒の主張は何だったのだろうか?その点が疑問として残る。
 対局中は勿論1対1で二人しか対局に関与しないのですが、『もしかしたら相手の主張が正当で、私の方が”王様”?』と不安になる。
 同時に相手の強腰に辟易して『どうでも良い』気分になりかかる。
  
 ところで預かりの対局が他にもいくつかあって結果が出て載っていた。
  私の相手の彼の名前が他の対局結果に載っている・・・私と打つ直前に誰かと対局して、その結果を不服として事務局判定になっていた。
 その結果は彼の相手の46目半勝ち。
  つまり彼は連チャンで「事務局預かり」になって彼の主張は、、、。
 もしかして彼は常習犯?
  実名サイトだしよくやる!!
 それとも酩酊していてコントロールが効かないのだろうか?
  いずれにしても当分彼は「対局拒否リスト」に入れておかなくてはいけない。
 そうしないと私が「対局オファーボード」ますに名前を載せた時にチャレンジされてしまいます。
 「自分の判断が狂っている?」かもしれないと思う気分は結構つらい。
  マア,事務局が白6目半勝ちと判定を下してくれたのでほっとしました。
   しかし本来なら初めからそうだったに過ぎないのですが、、、。

ウコッケイ騒動の教訓

2011-03-03 18:50:33 | Weblog
 このブログの軸は囲碁ですが、最近鳥の事が多くなっている。
  ソレではならじと、多少気にしているのですが図らずも今日も鳥の話になってしまいました。

 さて、誰も被害者はいないだろうし、犯罪の臭いがしないので「事件」ではないだろう。
  と言う事で表現を数ランク下げて「騒動」と言う事に。
 但し実際に関わった人間、「ソレが起きたところを舞台として主な登場人物はどこかのオジサンと私に交番の警察官の3人、それに多少台詞のある役はオバサンに年配のオバサン、中学生Aと中学生Bに通り過ぎて行った通行人数人、、、で以上。
 でも、今日みたいな寒い日に夕方の日が暮れかかった時刻に帰宅時間が1時間ほど遅くなったのですから、、、それはそれなりに理由があるのです。
 
 帰宅途中自転車を走らせていると、大きな団地の中にある中学校の通りの歩道わきにあるツツジの植栽の中から変な鳥が顔を出している。
 最近「鳥」には興味があるのでつい自転車を止めて見ると、それは明らかにニワトリの一種。
  第一感は「どこかから逃げ出したナ」、「交通量が多いので車に轢かれると可哀そう」
 私もだいぶ仏さんチックな心を持ち合わせている!?。
  そこに通りかかった自転車の婦人が私に「どうしました?」
 「イヤーこの鳥放置しても良いのでしょうか?」と答えると、そういう事に関わりたくないらしくさっさと行ってしまいました。
  さて鳥の見た感じから「中国のニワトリかな?」、、、そう言えばおの団地には中国系の人が多い筈だなと思いました。
 マ、それは推理としてだいぶ無理がある。
 団地で犬猫を飼ってはいけないのに、鶏は無理だろう。
  第二の推理「横の中学校で飼っている鳥が逃げ出した?」、、、これならわかる。
 丁度そこにランニングしている中学生が通りかかったので、彼を止めて訊くと「中学校では飼っていません」との返事、、、。
 ここに自転車でジイサマ登場、、、私もジイサマの内だからジイサマ二人になった。
 事情を話すと「中学校の隣の小学校で鶏の声がするから、多分そこから逃げ出したのだろうな」
  その可能性は大いにある、イヤそうに違いない。
 但し小学校では気づいていない?それとも探していない?そこが不思議。
  そのジイサマは行動力がある。
 マア暇なジイサマガ二人揃ったので出来るのだが、彼はその鳥用にだろう小さなビスケットを投げ与えて、交番に話をしに行った。
  この間私は鶏が逃げないように・危なくないように見張り番。
 そこへ婆様が通りかかった、、、「ウコッケイネ」

 やがてやって来た交番の巡査さんも「ウコッケイだな」
  どうやら鶏はウコッケイらしい。
 但しかのウコッケイはツツジの藪の中に逃げ込んでしまいました。
  幸い外からは見えるので、、、オマワリさん「暗くなったら鶏目ですから網でつかめますよ」
で一応決着。

 この間約1時間、、、私は暇人なんでしょうネ。
  家に帰ってネットで調べると、確かに彼女はウコッケイの雌に違いない。
 トサカが無くて特徴的な頭の形。

 今日の教訓は、、、第一発見者は行きがかり上多少の負担がかかると言う事でしょう。
  結局一段落までそこにいたのですから、忙しい人には無理なんでしょうネ。
 事情はいろいろあるけれど「見て見ぬふり」と言うのもこういう事情も関係するかも。

 私?、、、確かに暇人出し、それ以上に「何と言う鳥?」「どうしてここに居る?」「それで、どうなる?」という好奇心が強い。
 そう、この好奇心が生きていくパワーかもしれませんネ。
  道楽+好奇心で自分の年を忘れて、、、これに気がつくと一気に「玉手箱を開けた状態」になるかも。

(大した事では無いけれど)大変な誤解

2011-03-02 22:38:10 | Weblog
 昨日寝る前に『明日天気にナーレ』と念じたけれど、必ずしも希望通りではありませんでした。
 女房殿に命じられて区役所に印鑑証明を取りに行く用事があったのですが、コミュニティの「住民票・印鑑証明自動発行機」は朝9時からなので、センターの隣の大型スーパーの庭に寄り道(実は朝8時過ぎには行ったのですから、寄り道と言うより予定の行動)。
 生憎の曇り空で、おまけにポツリポツリと雨粒が落ちて来る天気。
  カワズザクラはまだ大丈夫(多分今週の週末は大丈夫)で、メジロも朝早くから10羽以上来ていたし、サクラの花の木の下の藪では「ホーホケキョ」。
 
 そうそう先日お話しましたが、面識のない老夫人に質問された話。
 「黒い目で小さな鳥がいるのだけれど、あれは何と言う名前ですか?」
 私はサクラの木の上のメジロに夢中なので「黒くて小さな鳥」の存在が目に入らな勝ったので、「エッ?そんな鳥いるのですか?」と答えると。
 「さっきから足元で動いていたのに・・・」
 「すみません私にはメジロしか目に入らなかったので」、、、そんな会話があったのですが、老婦人は「もうイイッ!」と言う感じで立ち去ったのです。
 「分からない」と言う事で叱られたみたい。
 あるいは注意力が無い事で軽蔑されたのかも知れません。
  だいたいカメラを手にしたのが昨年の夏以降だし、野鳥の写真を撮り始めたのが9月から、、、だから恥ずかしいけれど知っている鳥は少ないのです。
 大型スーパーのような人が大勢いる場所でカメラを持ってウロウロしていても本当はカメラも野鳥も初心者なのですから、内心『私に訊くなヨ』
 だから老夫人は質問する相手を間違えたのです!。

 勘違いと言えば相当スゴイ勘違いの話を耳にしました。
  場所はメジロの来るそのスーパーの庭。
 これも老夫人らしいがメジロの事をウグイスだと思い込んでいるらしい。
 確かにウグイスの鳴き声がするし、カワズザクラの枝にメジロが動き回ってる。
 ウグイスには所謂ウグイス色と言う言葉がある、、、メジロの色は日に当たるところでは薄緑ですからウグイス色とも言える。
 花札のには「ウメにウグイス」出し、現実に梅の花が咲く時期にウグイスが来るとサマになる、、、けれど目の前で動いている鳥はメジロで藪の中で鳴き声だけするのがウグイス。
 カワズザクラのメジロを指してアレはメジロでウグイスではありません」と言って老夫人に「さっきからホーホケキョと啼いているではないですか」と叱られたとか。
 成程声と姿が入れ替わったと言うかミックスされたと言うか、、、話を聞いてあり得るナと思いました。

 囲碁ならこの手の間違いはきっとある。
 定石のちょっとした条件違いで選択するものが変わるのに、その違いが分からずに「馬鹿の一つ憶え」になっている物がある筈です。
 プロとかアマの高段者から見れば「これだからザルは、、、」なんでしょうが、気がつかずに繰り返すからザル・碁キチなわけです。
 人のふり見て、、、とか他山の石とか、、、しかしマアこれが「わが身が見えれば」ザルをやっていませんよね、私。