お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

今を生きていることに感謝する

2023-11-05 03:56:01 | 日記

今を生きていることに感謝する

 

加齢は生きている限り全ての人に等しく与えられるが、老化は個人によって様々な違いがある。

人は普段は当り前のように自分の身体機能を使って生活していて、そのことに感謝する人は少ない。

しかし、老化によって当り前と思ってる身体機能に障害が起きると、狼狽え、悲しみ、時には怒りや苛立ちさえ感じる。

とかく、当たり前と思って日常生活を送っていると感謝することを忘れがちだが、障害を受けてその有り難さに気づかされる。

僕自身15年前の大病の後遺症が残っているが、今こうして普通に生活できるようになった。

このことに僕個人の努力と現在まで心身共に支えてくれた全ての人のおかげである。

人は身体機能や精神に支障がなく日常生活を送れてることを当り前のように思っている。

しかし、このこと自体が最高の幸せであり感謝すべきことを忘れてはならない。

たとえ、障害を持っていても今を生きてると実感できることに感謝の気持ちを持ち続けたいと思ってる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気楽に気軽に考える人は心が柔軟な人

2023-11-04 04:21:56 | 日記
気楽に気軽に考える人は心が柔軟な人


「こんなはずではなかった」。

自分が思い描いていたことと違った現実が顔を出すと、怒りを表す人がいる。

誰しも自分の思うように進んでほしい人生ですが、そう思うように行くものではない。

歩いていて、石につまずいて転ぶこともある。

そんなとき「誰だ!こんなところに石をおいたのは!」と怒ったとしても仕方がない。

「こうでなければならない」と考える人は、想定外に弱く、怒りっぽくなり、なかなか落ち着いた生活ができない。

反対に「まあ、いいか」と考えるとトラブルも立ち直りが早い。

石につまずいて転んだとき「たまには、こういうこともあるか」と考えると素早く起き上がれる。

人と揉めることが少なくなり、すべての変化を人生の一部として受け入れることができるようになる。

諸行無常である。

変化があるのは当たり前で、変化を受け入れる姿勢を持つことです。

思いどおりにいかないことに怒るのではなく「まあ、こういうこともあるか」と思い受け入れることです。

気楽に気軽に考える人は、心が柔軟な人です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「多様性」は「多様な個性」として理解する

2023-11-03 04:07:30 | 日記

「多様性」は「多様な個性」として理解する

 

本来、多様性は「人にはいろんな考え方がある」「自分とは違うもの」と理解していた。

そして「受け入れること」はないと思っている。

なぜなら、多様性を「受け入れる」ことは、自分らしさを見失う恐れがあるからだ。

「多様性」と言うより「多様な個性」と言ったほうが、なんとなく、わかり易く僕にはしっくりくる。

そもそも人間の個性は多様である。

しかし「受け入れること」はできなくても、「そこにいる」「そこにある」ことなら認めることができる。

自分の「中に」受け入れるのではなく、自分の「外に」置いておく感じである。

例えば、「私はその考え方は好きじゃないけど、そういう考え方もあるね」。

「なるほど、あなたはそう考えるんだ。私はこうだけど」。

「今まで、私はそう考えたことはなかったけど、確かにそういう視点もあるよね。善し悪しは別として」。

このように、視点が広がる感じである。

「多様性」とは「無条件に受け入れる」ことではなく、だからといって「排除する」ことでもない。

様々な個性や価値観を排除せずに「そこにいてもいいよ」と考えることである。

「考え方は違うけど協力できることは協力しよう」それが「多様な個性」ではないかと思っている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同調圧力と日本文化

2023-11-02 04:27:07 | 日記

同調圧力と日本文化

 

例えば「話し合いの場で周りと違った意見が言えない」「仲間からの食事の誘いを断れない」といったことが同調圧力である。

日本の社会に強い同調圧力があるのは、文化や歴史によって説明できる。

例えば、昔から大切にされている「和の文化」で、他人と衝突することはなるべく避け、和を尊ぶという考え方が広く共有され

ている。

もう一つが「村社会」で、農業を中心とした村では、お互いに助け合うための秩序が重視されてきた。

村の掟やしきたりは絶対で、従わない少数者には「村八分」と呼ばれる制裁が科された。

このようなことが、日本社会の強い同調圧力に繋がっているのかもしれない。

よく日本人は群れたがる気質を持ち、集団行動を好むなどと評される。

これに関しては、日本人特有として「場の空気を読む」という言葉の存在が指摘される。

集団の人間関係や利害関係、雰囲気などを暗黙のうちに理解する能力である。

この能力がないと「KY(空気が読めない)」などと、ネガティブな評価を受けてしまう。

また群れずに孤立してしまうと、「周囲になじめないかわいそうな人間」と思われてしまう可能性がある。

学校や職場などでそうした状況にならないために、空気を読んで集団に馴染もうとする心理が高まる。

同調圧力は否定的な意味で使われることが多いが、適度に働く分にはメリットもある。

お互いに周囲に合わせようとすることで、チームワークがよくなる。

また「周りに迷惑をかけたくない」という気持ちが、頑張るためのモチベーションになったりする。

しかし同調圧力が行き過ぎれば、新しいことに挑戦できなくなり、失敗を過度に恐れて萎縮してしまうなどマイナスに働くこに

なる。

社会の中で生きて行くことで、この同調圧力は、なかなか厄介な問題だと思っている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生は選択の連続である

2023-11-01 04:09:44 | 日記

人生は選択の連続である


以前にも同じようなことを書いたような記憶があるが内容は殆ど覚えていない。

これが私の毎日思い付いたことを書いている欠点でもある。

人間は一日に2万~3万回の選択(決断)をしていると言われている。

毎日のように様々な選択をしているが、その判断基準も選択する物事によって違ってくる。

人生を生きて行く上で、後の人生に大きく左右する選択(決断)の機会は幾度かある。

それも最終的には自分の判断で選択しているので、たとえ後に後悔しても納得して前進するしかない。

日常の中での選択は、個人差が大きく些細なことでも判断方法は様々である。

「いろんな情報を参考に選択を判断をする人」「直感的判断で即決する人」「家族や友人に相談する人」など。

このように、我々は毎日の選択を幾度となく判断している。

それは自分が今日までの経験で得た感性が、選択する判断基準となっていると思う。

今後も自分が培った価値観と感性によって選択することは、紛れもなく自分らしい人生を歩んでいると思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする