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Tcupサ終のため2022年春に移籍しました。岩手盛岡のことやサッカーなどスポーツのことを書きたいと思います。

福田先輩

2011-01-25 17:35:00 | 岩手のネタ
渋民の人がメジャーデビューです。


彼も渋民人です。ひとつよろしく。2/11にマリオスでコンサートあります。

確か彼は門前寺です。門前寺福田一家とは先輩や同級生にたくさんいた仲です。
サンビルの着物屋にいるのが同期の和志君ですね。


斉藤晃の革命、未だ成功せず

2011-01-25 15:34:00 | 岩手のネタ
斉藤仁さんと話をして来た。

盛岡ゼブラの補強の話については「上山はない。あとはわからん」とのこと。
ちょうど白澤実さんが来た。千葉裕也を山谷が誘っているらしいが、岡田サントスに慰留されていると。ベガが大久保取る(戻す)のと同じ理屈か?

それから「金くれ」みたいなこと言うので、IRVからということで5000円。これはクラブのフロントへ。


さて、帰りの岩手飯岡駅で考えた。

結局IRVの革命というものはなんだったか。果たして革命というにふさわしいものか。
盛岡人は相変わらずサッカーに無関心なのだろうか?でなきゃ鶴は今ごろ福士と高橋大取っていたし、藤村たちの入団が報道されているはず。
ゼブラもIRVの仲間が盛岡市民で構成されているはずだ。よそ者に応援をお願いする必要もないかも。

結局小笠原の時代から岩手サッカーが何ら変わらなかったというのが現実か。
それを破壊するための革命だったはずが、今ではただのゼブラ至上主義とか岩手統一論のような屁理屈羅列。たまにまともなことを言うけど。

しかしひとりで盛岡ゼブラを構築できるはずもない。ここは市民、
県民ひとりひとりのサッカー力(理解、知識、情熱)を結集させなければならない。

サッカーのキラーコンテンツ力は世界で実証済み、日本が世界に誇るべき選手を生んだ盛岡にできないはずはないと思う。
しかしIRVの現状ではそんなことは無理だ。残念ながら無理だ。
誰か岩手を強く、革命したいという人間はいないのか?セルジオ越後的な弁舌、市民を導くカリスマ性、そういうのがある人ならなおよし。

15年…

2011-01-25 02:02:00 | SOCCER
15年前の話をしよう。

僕がまだ県立T高校の生徒だった時代。
もしあの時仙台に住まう決心がついていたら、僕はどうなっていたか?という話。

1996年1月、当時のブランメル仙台(今のベガルタ仙台)のファンクラブに入会した。

当時リトバルスキー入団が騒がれた。それについていったのが越後和男(今期仙台Y監督)や草野修治(仙台大学監督)、水内猛、高橋範夫、小杉敏之(ドイツW杯の柳沢について厳しい指摘を書いた)ら。
また、平聡、根子達也、吉田暢もいた。これが僕がブランメルについていくと決めた理由であるが。
それから現大宮監督の鈴木淳を忘れてはならない。

そして盛岡と仙台を行き来する時代の始まり。永島や和田のいた神戸、吉原の入団したばかりの札幌、大熊監督にキング・アマラオの東京ガス(FC東京)、鳥栖はまだ「フューチャーズ」だった。そうそう、ロペスという本田技研のストライカーがいたな。
東北ではNEC山形がモンテディオを用い始め、福島FCも国体メンバーを切り離した(それがFCプリメーロとなる)頃だった。

考えてみたら僕がメモを取り始めたのはこの頃から。当時はまだまだディテールとか何とかわからなかった。だから結構1試合の感想が短いかもしれない。


もしその時点で「仙台」を考えていたならば、今も僕は仙台ではホーム側にいたはずである。
その年の暮れ、サポーターミーティングで「東北」を意識してしまう発言をした。それと天皇杯の1県1代表制もあったと思うが、そこで「仙台」から「東北」に考えが飛躍したことが今の自分を作ったと思う。そうして最初は仙台や山形のサポーターと文通を行なっていた。

そしてその際「岩手レボリューション」というものが生まれたのだ。
往時からIRVの略称を用い、常に守り神とか呼ばれた。しかしその神通力が失せ、盛岡ゼブラに傾いてしまった。
結果、1997年より盛岡ゼブラのひとりサポーターとしての活動をメインとすることになるのだ。

ブランメル、つまり今のベガルタや先輩であるモンテディオ、今は無き福島FCとこの時代に出会ったことは幸運である。それが野に下ってなおT1などで生かされていることも事実だ(IRVとPoFとか)。
1990年代半ばを地域~旧JFLで過ごした地方サポーターには、往時の記録を語り継ぐ義務があると思う。PoFのサイトはそれができてるんじゃないか?僕も負けないようにしないと!