自分で書いた絵を見返すと、書いた時の記憶が中に入っている。
今でも記憶が絵の中に閉じ込められているけれど、入院中に書いた二十数枚の絵の中には、今の数十倍も数百倍もの記憶がある。
それは今書いているような絵と違い人物は一つも無く、主に線で書いた病院内の風景や想像で書いた絵。
それは今見てみると下手だし、ただの薄っぺらいB5のメモ帳にシャーペン一本で書いてあるもので、とてもここに載せられるような絵ではない。
でも私にとってその絵には、その時の風景も感情も時間までが閉じ込められている。
それは決して楽しい記憶ではない。
ただ辛いだけの最悪な記憶。
今でもそのノートを見ると泣いてしまいそうだ。涙は一生出ないけど・・・
今までも何度も入院してきたのに、退院してから思い出すなんてことは無かった。
それは入院していた記憶を呼び戻す媒体が無かったからだろう。
でも私はそれを、絵という嫌な記憶が甦るには最悪な形として、知らず知らずに残してしまった。
絵にはたくさんの記憶が埋まる
その時、私はそれを知らなかった。
退院して何日か経った時、私は何気なくそのノートを開き、一生忘れられないくらいのショックを受けた。
ノートと一緒に記憶までが一気に開かれたのだから。
不安を抱えて書いたことも、寝れない夜に小さな明かりの下で書いたことも、いつもの窓も、休日に外来の椅子に座って書いたことも、点滴をしながら眺めた外の風景も、とにかく全部。
私はその時から、絵や写真や他にもいろいろ見る視点がちょっとだけ変わった。
綺麗、きたない、うまい、下手、もちろんそれは大事な事だけど、それより何より私はその中にある記憶や感情を見てみたい。
心がある作品には必ず記憶や感情が閉じ込めてある筈だ。
それが例え嫌な記憶であったとしても・・・
私にとって最悪な記憶が刻まれたそのノートは、決して忘れることの無い記憶のノート
自分にとってとても大事なものなのです。
絵には深く記憶が刻まれる
見ようと思えばきっと見えます。