青空に白い月

ゆったりゆるりと生きましょ~よ

vier minuten (4分間のピアニスト) 鉛筆画

2007-12-25 23:46:56 | アート・文化

映画 4分間のピアニスト

写真だと真っ黒に映らなかったなぁ~、ちょっと残念。

ひたすら4B使って書きました。

4

手錠に繋がれた一人の女性の手首から、手錠が外れることを許された時間はたったの4分間

ピアノに全てを注ぐ4分間

一生にたった一度、たった数分だけでも

あれほど自分に入り込める時間を過ごせたらどんなに素敵でしょうか

私は楽器はてんで駄目だけど、ピアノの音は大好き


知らなくていい人、知って欲しい人

2007-12-24 23:26:34 | シェーグレン日記

私の友人達は今頃クリスマスを楽しんでいるかな?

このブログの存在を知っている人は、私と親しい人の中でもほんの二、三人程度で、ほとんど教えていない。

別に都合が悪いわけではないけどね、単にミクシィ化してしまったりするのが嫌だったから。

それに発端が入院と病気のブログだけど、私と時々会う人は私が病気はおろか、入院していたことも知らない人もいて、

知らないで会えている人に、あえて病人宣言する必要もないから、必然的にこのブログも見せられない。

元々自分と同じように髄膜炎を繰り返しているような、長期間原因が分からなくて悩んでいるような人が一人でも減ればいいと思って書き始めたけど、実際に参考になっているのかどうか

私が前に付き合いが会った人の奥さんが、私と同じように髄膜炎を繰り返して入院していることを知ったのは、偶然奥さんを連れて救急外来に来ていたその人と会った時だった。

私もかなり具合が悪くて、その時に私はその病院では手に負えなくて別の病院に移ってしまったから、もう病院でその人と会うことも無かったが、症状からすると多分またその人の奥さんも髄膜炎で入院しただろうと思う。

今ではもう会うこともないし、連絡もつかない。

でも身近に同じような人がいるということは、他にも多分同じように髄膜炎を反復している人がいるのだろうと思い、このブログを書き始めた。

だって、私がインターネットで「髄膜炎」「繰り返す」「反復」とかいろいろ検索しても、一個もそれらしい有力な情報がヒットしなかったから。

お医者さんであっても、

髄膜炎=繰り返す可能性が低い

という認識が常識となっているようで、だから繰り返す人が例え現れても、そういった特例のような症状は教科書に載っていないからほとんど解明されなくて、症状が改善してその場を回避出来ればそれで終わる。

次にまた繰り返したりすると大変だろうとか、そういうことまで考えてくれる場合はほとんど無いだろう。

だから私をいろいろ検査してくれた若い医師にはとても感謝している。

私がシェーグレン症候群とか、髄膜炎とか、繰り返すとか、反復とか、何度もここに書いたりするのは一応意味があってね、私のように検索しても何も引っ掛からないとかいうことが無いように、あえて時々具合悪くなくても病気の記事は書くようにしている。

同じような患者が長く不安を引きずらない為にも。

だから私の身近にいる人達には、私が元気だと思ってくればいればそれでいいかな。


弟子走(でしわす)

2007-12-24 09:00:27 | 日々思うこと

あー、首痛い。

前と同じく、首から肩にかけて痛い。

下を向けない。

また何日か放っておいたら治るだろうけど、肩こりではないのが辛い。

痛いたびに変に力が入るもんだから、頭の方まで痛くなるから困ったもんだ。

もう年末なんだよね。

年末って特に忙しくなくても、何故か忙しくしてなくちゃいけないって気持ちになるんだよね、どうしてだろ?

私なんか特に何に追われている訳でもないのにさぁ~。

31日の夜くらいになると要約落ち着くみたいな・・・

12月って師が走るくらい忙しいから師走っていうんだって小学生の時の先生が言ってた気がするけど、でも師が走るのは師自身が忙しいからじゃないんじゃないか?

師は単に走ってるだけで、本当に忙しいのはその先で追い回されてる弟子なんじゃないか?

少なくとも今の日本はそういう図式が成り立ってないか?

だから首も痛くなるんだよ、きっと。


絵の中の記憶

2007-12-22 20:58:45 | アート・文化

自分で書いた絵を見返すと、書いた時の記憶が中に入っている。

今でも記憶が絵の中に閉じ込められているけれど、入院中に書いた二十数枚の絵の中には、今の数十倍も数百倍もの記憶がある。

それは今書いているような絵と違い人物は一つも無く、主に線で書いた病院内の風景や想像で書いた絵。

それは今見てみると下手だし、ただの薄っぺらいB5のメモ帳にシャーペン一本で書いてあるもので、とてもここに載せられるような絵ではない。

でも私にとってその絵には、その時の風景も感情も時間までが閉じ込められている。

それは決して楽しい記憶ではない。

ただ辛いだけの最悪な記憶。

今でもそのノートを見ると泣いてしまいそうだ。涙は一生出ないけど・・・

今までも何度も入院してきたのに、退院してから思い出すなんてことは無かった。

それは入院していた記憶を呼び戻す媒体が無かったからだろう。

でも私はそれを、絵という嫌な記憶が甦るには最悪な形として、知らず知らずに残してしまった。

絵にはたくさんの記憶が埋まる

その時、私はそれを知らなかった。

退院して何日か経った時、私は何気なくそのノートを開き、一生忘れられないくらいのショックを受けた。

ノートと一緒に記憶までが一気に開かれたのだから。

不安を抱えて書いたことも、寝れない夜に小さな明かりの下で書いたことも、いつもの窓も、休日に外来の椅子に座って書いたことも、点滴をしながら眺めた外の風景も、とにかく全部。

私はその時から、絵や写真や他にもいろいろ見る視点がちょっとだけ変わった。

綺麗、きたない、うまい、下手、もちろんそれは大事な事だけど、それより何より私はその中にある記憶や感情を見てみたい。

心がある作品には必ず記憶や感情が閉じ込めてある筈だ。

それが例え嫌な記憶であったとしても・・・

私にとって最悪な記憶が刻まれたそのノートは、決して忘れることの無い記憶のノート

自分にとってとても大事なものなのです。

絵には深く記憶が刻まれる

見ようと思えばきっと見えます。


感じで判断しちゃ駄目

2007-12-21 21:05:47 | シェーグレン日記

私には特に筋力低下はありませんが、神経内科に入院すると、神経伝達で筋肉が十分に動かせない人も多いので、医師が回診の時に握力計を持ち歩いたりしていました。

でも自分のところに回診に来ても、私は当初、長期の不明熱で入院したから、特に握力を測る必要もなく、先生もベッドの横に座って問診していくだけでした。

しばらくして検査の結果、シェーグレン症候群と診断されてから、ある日持っていた握力計を渡され、

「ちょっと握ってみて?」

ということで、ギュッと握ったら針が60のところにあり、先生がちょっと意外な表情で私を見て、

「結構力あるねぇ~、へー」

という感じで言われました。

その時は私自身は力が落ちたと感じていたから、力があると言われて??????な感じでしたが、最近テレビで日本人の20~30代の男性の平均的な握力は50キロ弱だというのを見て、

「なるほどなぁ~」

ってちょっと納得しました。

医師からすれば、ずっと微熱続きで3回連続入院して、体重も幾らか落ちて冗談にもガッチリとした丈夫そうな体には見えなくて、まともに数ヶ月働けなかった人間の握力が落ちていないことにビックリしたのでしょう。

入院中に病院内で持った一番重い物はなんたってお茶の入ったマグカップでしたからね(^_^;)

でも実際にはそうじゃなく、私は以前握力が80弱くらいあったから、実際には大分落ちていたんです。

でも私の外観と体重と握力60キロのバランスがうまくとれなかったんでしょうね。

今は少し戻って握力が65キロ位まで復活してきたから、血液検査の結果の通り、筋肉の破壊はやっぱりなさそうで、筋肉痛ともあまり関係なさそう。