
【宿泊したホテル・スパジオから見たアッシジの
聖フランシスコ大聖堂】
ちなみに私と9歳の娘は日曜のミサをこの大聖堂にて体験。
聖堂に入る時、老神父さんが英語(何故か)で、
「ゴッド・ブレス・ユー」と言ってくれたのを
印象深く覚えている。
ミサはなめらかな朗読と
信者たちとの掛け合いとでおりなされ、
どこかグレゴリアンチャントを思わせるような、
音楽的で荘厳な響きがあった。
私と娘はもちろん言葉が分からないので
内容まではわからない。
でも、隣に座った地元のおばさんが、にこにこと
「どこから来たの」と英語で話しかけてきてくれた。
「日本から、私はプロテスタントですが、
クリスチャンなんです」
と言うと、
「カソリックもプロテスタントも関係ないわ。
同じく神を信じているんですもの」と返され、心があったまった。
ミサ中はとにかく、アーメン、だけは皆と同じように口を合わせておいた。
アーメンとは世界共通の「そうです、そうですとも」といった
ニュアンスを持つ神への賛美の表現だ。

【ホテルから市の中心へと向かう道中の家並。聖フランシスコの絵が施されたタイルが印象的】
キリスト教史の中でもダントツに有名な聖人と言えば、
聖フランシスコ(1182-1226)だろう。
ひょっとしてアメリカのカルフォルニアにある
サン(聖)フランシスコ、て彼の名前が
そのまま都市の名になったんだよね。
そして、アッシジはその聖フランシスコが祈りの場として
選んだ聖なる地だ。
小鳥に説教をする聖フランシスコの姿を描いた
ジョットのフレスコ画は余りにも有名だ。
大聖堂にて、娘に本物のジョットの
「小鳥への説教」を見せることができ、
母としては本当に満足だった。百聞は一見にしかず!
しかも、そこには日本人の神父さんがいらして、
私たちに親切に声をかけて下さった。
聖フランシスコに関わる遺品展示室では
つぎはぎだらけの修道服が展示されていた。
娘と見入る。そのすさまじいボロボロぶりに唖然とした。
聖フランシスコはもともと裕福なお坊っちゃんだった人だ。
それが、どんなに好意的にみても現代のホームレスでさえ、
ここまでボロは着ない、という代物!
それを身にまとっていたなんて。
貧しい人に全て(財産も)捧げてしまった愛の人、
聖サンフランシスコの心の大きさに震撼した。
さてアッシジで出会った親切な日本人神父さんが下さった、
聖フランシスコの有名な祈りをここに記しておく!
(日本語は紛失してしまったので、英語)

Lord, make me an instrument of your peace
Where there is hatred.....let me sow love.
Where there is injury.....pardon.
Where there is discord....unity.
Where there is doubt......faith.
Where there is error......truth.
Where there is despair....hope.
Where there is sadness....joy.
Where there is darkness,..light.
O Divine Master, grant that I may not so much seek
To be consoled.....as to console.
To be understood...as to understand.
To be loved........as to love.
For
It is in giving....that we receive.
It is in pardoning, that we are pardoned.
It is in dying.....that we are born to eternal life.
by St. Francis.