「裏切り」とか「正義」とかに対する考え方に、司馬遼太郎は非常に高度な見識を披露している短い文章があった。それが大勢の命を救い、最大多数の最大幸福につながっている場合が多い、と。
明智光秀が信長を殺さず、室町幕府最後の足利義昭を、もっと早く殺していれば、信長の天下統一ももっとスムーズだった。丹後住人は光秀の高い人柄による支配下で穏やかに暮らせたに違いない。配下や一族も繁栄しただろう。足利将軍といえども、初代は力で切り開いたのだから。そのボンクラな末裔に忠誠を尽くそうとするのは、単に餌をくれた飼い主に尻尾を振っているだけのこと。それなら、もっと美味しい餌をくれる方に忠義を尽くしても、少しも悪くない。
江戸末期の会津藩など典型的な例だろう。さっさと徳川幕府に見切りをつけて、ただでさえ貧困な藩の財政を無理して、京都の警護などにノコノコ出かける必要はない。最後には、あの美しいお城まで攻撃され、大勢の若者の命まで犠牲にするのだ。庶民や農民、下級武士などの貧困層からみたら、ロクでもない藩主だったことは間違いない。
赤穂浪士47人の所業も、今で言えばテロ事件。「よくぞ、忠義を尽くした武士の鏡」と時の政権、幕府は褒めるどころか、切腹を申し渡した。まさに、テロ事件の首謀者と実行犯として、処罰したのだ。世渡り下手のボンクラ藩主が松の廊下でかあっとなって、刀を抜いた結果だ。闇夜に刺客を送り込んで、吉良上野介を暗殺させれば良かったのだ。
結果的に大勢の命を犠牲にするのがスバラしいことだったら、太平洋戦争勃発の責任者として戦後戦犯と占領国アメリカに裁かれた当事者たちを、我々日本人は何で崇拝しないの?
ニコラス・ケイジ主演の映画「NEXT」は面白いねえ。