私はよく人に言われます。
若いころから、公務職場を転々とし、懇親会が非常に多く、姑に甘えて、子育てしてきました。
よく、子供がまともに育っているよね、と嫌味を言われることもしばしば…。
はい、おかげで子供たちはまともに育っています。(今のところ)
わりといい子たちで、それはそれで人に、いい子ほど危ないと嫌味?を言われ…反抗期で暴れたりはしなかったけれども、長男は口数が少なく正直何考えてるかよくわからんことも多いのですが、それでも大好きなスキーでは、全中、インターハイに出場してくれましたし、あとは親として自分の後姿を見せるしかないと思っています。
その子供たちも、今年で下の娘が大学を卒業すれば、独り立ちしてくれる予定です。
生まれたときから、今の世の中、大学までは親の責任で進学させようと頑張ってきました。ですから、子供たちには奨学金は使っていません。そこまでは親としての義務だと思っています。その代わり、子供達には自分の子供にも、きちんと自分がしてもらったようにしてあげなさいと言ってあります。
ホンネを言えば国公立の大学へ行ってもらいたかったのですが、その努力が足りず、途中で私大に変更。長男は、子供の頃から続けてきた競技スキーを続けられ、尚且つきちんと技術が身に付けられる大学として、東京農業大学へ進学しました。負け惜しみではないですが、今になって考えれば、そこで全国からやってきた仲間や、スキーで競い合った仲間などとの付き合いなどは一生の宝になるんではないかと思います。
そして、無事就職して一人前の技術者を目指して日々精進です。
娘も、子供のころからうすぼんやりと教員を目指し、スキーでは長男の跡を追うのですが、期待されながら結果が出せず、予選会での一漏れが続き、中学でジュニオリに出場出来たことが唯一の結果。結果が出ないときは、娘の努力を見てきただけに親の私も娘の前では慰め役、娘に隠れて泣きました。
周囲からは、スキーなんかさせるから、子供達が勉強に専念出来なくて惜しいことをしていると言われることも多かったです。もちろん、高校の先生たちからも。
でも、私は結構頑張ったと思います。父親が仕事で要職についているので、休めないことが多く、学校の先生たちとの教育のことや、スキーのこと、全て私がやってきました。
今、振り返ればそれは子供達だけでなく、私の人生にとっても最も輝いた日々でもありました。(もちろん、まだまだ輝きたいですよ)
子供達がいなければ、あんな楽しかった日々は無かったです。
その娘が、学校でお世話になった先生たちを、特に、中体連の先生方を見て、自分も子供達の夢追いの手伝いが出来ればと思うようになったのだと思います。中学校教員が狭き門であることを知り、小学校教員を目指そうと教育学部を目指したのですが、思った大学の教育学部に入れず、いまの東京家政大学の環境教育学部というところに入学しました。そこで残された可能性は、中学理科の教員。そこで、頑張ろう、スキーも周囲の人たちに助けられて続けることにしました。そして、岩岳で初勝利することが出来、これも一生の宝となりました。
そして夢の教員に向かって臨んだ教員採用試験。結果は、先日のとおりだったのですが…
その後届いた合否通知の内容が補欠という扱いになっていました。まだ、本年度の採用が詰んだわけではないようですし、来年は1次試験免除となるということです。
もう、目指すところに前を向いて歩くしかありません。私たち親子は、今までずっとそうしてきたのです。あきらめなければきっと夢は叶うと信じています。
そんな折、実は長男が8月に、お隣の市役所の採用試験に合格したというのです。
土木技術者として、来年からそっちに転職するということです。自分の人生だから、自分で責任を持って決めなさいとしか言えませんでしたが、子供たちはもちろん、自分でもいろいろ考えているようです。
そろそろ、子育てについて私なりの持論があるのですが、ちゃんと語っていこうかなと思えるようになってきました。
そうそう、いま巷で有名な横沢夏子ちゃんのお父さんの家は、もともと根知谷です。旦那と同級で私の部活の先輩です。子育てのセンセイですよね。
根知谷って素晴らしい!
若いころから、公務職場を転々とし、懇親会が非常に多く、姑に甘えて、子育てしてきました。
よく、子供がまともに育っているよね、と嫌味を言われることもしばしば…。
はい、おかげで子供たちはまともに育っています。(今のところ)
わりといい子たちで、それはそれで人に、いい子ほど危ないと嫌味?を言われ…反抗期で暴れたりはしなかったけれども、長男は口数が少なく正直何考えてるかよくわからんことも多いのですが、それでも大好きなスキーでは、全中、インターハイに出場してくれましたし、あとは親として自分の後姿を見せるしかないと思っています。
その子供たちも、今年で下の娘が大学を卒業すれば、独り立ちしてくれる予定です。
生まれたときから、今の世の中、大学までは親の責任で進学させようと頑張ってきました。ですから、子供たちには奨学金は使っていません。そこまでは親としての義務だと思っています。その代わり、子供達には自分の子供にも、きちんと自分がしてもらったようにしてあげなさいと言ってあります。
ホンネを言えば国公立の大学へ行ってもらいたかったのですが、その努力が足りず、途中で私大に変更。長男は、子供の頃から続けてきた競技スキーを続けられ、尚且つきちんと技術が身に付けられる大学として、東京農業大学へ進学しました。負け惜しみではないですが、今になって考えれば、そこで全国からやってきた仲間や、スキーで競い合った仲間などとの付き合いなどは一生の宝になるんではないかと思います。
そして、無事就職して一人前の技術者を目指して日々精進です。
娘も、子供のころからうすぼんやりと教員を目指し、スキーでは長男の跡を追うのですが、期待されながら結果が出せず、予選会での一漏れが続き、中学でジュニオリに出場出来たことが唯一の結果。結果が出ないときは、娘の努力を見てきただけに親の私も娘の前では慰め役、娘に隠れて泣きました。
周囲からは、スキーなんかさせるから、子供達が勉強に専念出来なくて惜しいことをしていると言われることも多かったです。もちろん、高校の先生たちからも。
でも、私は結構頑張ったと思います。父親が仕事で要職についているので、休めないことが多く、学校の先生たちとの教育のことや、スキーのこと、全て私がやってきました。
今、振り返ればそれは子供達だけでなく、私の人生にとっても最も輝いた日々でもありました。(もちろん、まだまだ輝きたいですよ)
子供達がいなければ、あんな楽しかった日々は無かったです。
その娘が、学校でお世話になった先生たちを、特に、中体連の先生方を見て、自分も子供達の夢追いの手伝いが出来ればと思うようになったのだと思います。中学校教員が狭き門であることを知り、小学校教員を目指そうと教育学部を目指したのですが、思った大学の教育学部に入れず、いまの東京家政大学の環境教育学部というところに入学しました。そこで残された可能性は、中学理科の教員。そこで、頑張ろう、スキーも周囲の人たちに助けられて続けることにしました。そして、岩岳で初勝利することが出来、これも一生の宝となりました。
そして夢の教員に向かって臨んだ教員採用試験。結果は、先日のとおりだったのですが…
その後届いた合否通知の内容が補欠という扱いになっていました。まだ、本年度の採用が詰んだわけではないようですし、来年は1次試験免除となるということです。
もう、目指すところに前を向いて歩くしかありません。私たち親子は、今までずっとそうしてきたのです。あきらめなければきっと夢は叶うと信じています。
そんな折、実は長男が8月に、お隣の市役所の採用試験に合格したというのです。
土木技術者として、来年からそっちに転職するということです。自分の人生だから、自分で責任を持って決めなさいとしか言えませんでしたが、子供たちはもちろん、自分でもいろいろ考えているようです。
そろそろ、子育てについて私なりの持論があるのですが、ちゃんと語っていこうかなと思えるようになってきました。
そうそう、いま巷で有名な横沢夏子ちゃんのお父さんの家は、もともと根知谷です。旦那と同級で私の部活の先輩です。子育てのセンセイですよね。
根知谷って素晴らしい!
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