今年は、全国的に熊の出没情報が多くなっています。そして、我が家の脇の柿も熊にやられました。先日も当地域で罠に掛かった熊3頭が駆除されました。
駆除された熊は解体されて猟友会のメンバーを中心に肉を分けあっているようです。人里に降りてくる熊の宿命ですね。正直、胸が痛むのですが、割り切ることも大切かと。
そこで、命について少し思うところがあるので書きます。
最近、いのちをいただくということで子供達と鳥などをしめて食す体験などもあるようですが、命を奪う体験って必要でしょうか。
今の世の中、食用の肉は毎日のように場や食肉処理場で生産されています。敢えて体験用に生き物の命を奪う必要があるでしょうか。食料に困っていないのに体験してみる必要があるのでしょうか。命を奪ってみなければ命の大切さは理解出来ないものでしょうか。
例えば、子供が大切に飼育している金魚や、ハムスターや、そんなもの命を子供自身に奪わせることが出来ますか?それと体験用の家畜と命に違いはありますか?命の大切さを教えるのならば命を育てる方がわかるのではないでしょうか。
小さな命を育てるということは、その過程で嫌でも何度か死ということを体験するでしょう。その時、命の素晴らしさを理解するのではないでしょうか。
そう思うと、生き物を殺して命の大切さを解らせるということが子供に必要でしょうか。人間って勝手な生き物で、好きでこの世に生を受けたわけでない生き物の命を勝手に奪って正当化しているんですよね。
人里に近付き過ぎた熊やイノシシを駆除するのは危険なので致し方無いと割り切るしか無いのですが、今の世の中、敢えて食肉用の鳥などを体験として締めて食べる必要が本当にあるのか、それが食育なのか疑問に感じます。
ま、これは私の独り言です。
これ以上、熊やイノシシが人里に出て来ないようお互いが不幸にならないようにしたいものです。
我が家の柿の木。熊棚が出来てます。