理想的なニュース番組

 金曜日はgooブログの「トラックバック練習板(※)」のテーマが出される日で、今週のお題は「お気に入りのテレビ番組」について。普段、朝と夜のニュース以外あんまりテレビは見ないし、毎週だいたい見るものといったら、日曜の夜NHKでやっている「ダーウィンが来た!生き物新伝説」(やっぱり動物モノは好きです)くらいかな、などと考えながら、何気なく出題者さんのお気に入り番組の紹介記事を読んでいたら、なんと!猫が生出演でスタジオ内をうろうろしているニュース番組があるらしい。(私が知らなかっただけで、もしかしたら皆さんはもうごぞんじかもしれませんが。)
 テレビ東京系列で土曜日の11時30分から放映されている「週刊ニュース新書」という番組で、セットの中を、ニュースとは関係なく(猫だし当たり前か…)好き勝手なことをしているという。この猫、茶色のアメリカンショートヘアーで、名前は「ま~ご君」。番組ホームページを見ると、出演者紹介のところにちゃんと登場している。
 土曜日の昼間のニュース番組なので、セットはリビングをイメージして作られていて、さらに猫がいた方がゆったりした雰囲気を作れるのではという、番組ホストの田勢康弘さん(猫好き)の提案によるものらしい。
 よくうちでニュースを見ながら、キャスターが吹き替えで猫だったらいいのにねえ、などと冗談を言ったりしているのだが、そこまでではないとしても、まさに猫が勝手気ままに振舞う、そんな理想的なニュース番組があったとは。
 スタジオ内で放し飼いされているま~ご君は、突然鳴いたり、セットの植物なんかにじゃれついたり、果ては、テーブルの上の田勢さんの飲み物を飲んでしまったこともあるという(テーブルの上まで自由に歩けるとは、徹底していますね…)
 しかし、トラックバック練習板の出題者さんも言っているけれど、猫にばっかり目が行って、あまりニュースが頭に入らないのだとか。その通りだろうと思う。
 ぜひ見てみたいのだけれど、残念至極、テレビ東京はもちろん、テレビ大阪(ここでも放映されているらしい)もうちでは入らない。
 いつも見ているNHKの夕方のニュースあたりで、対抗して同じように猫をスタジオ内に放ってくれないか知らん。途中で猫パンチの応酬なんかが始まったりしたら面白いから、こちらは一匹といわず、さらに進んでニ匹でも、三匹でも。

(※)トラックバック練習板…決められたテーマに沿った記事を書いて、トラックバックする。毎週金曜日に新しいお題が出される。もしかしたら、ちょっとアクセス数が増えるかも…


にほんブログ村 猫ブログ 猫絵・猫漫画へ ←1クリックよろしくニャ~
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

潤一郎訳・源氏物語

 源氏物語といえば、一千年ものあいだ読まれ続けている超ロングセラーだし、それ以降の日本文化にも影響を与えた物語だから、一度は読んでおきたいと思っていたのだけれど、下手な訳では読みたくないし、かといって古文は苦手で、古語辞典を片手にあの長大な物語を読むことなんて絶対不可能だと思っていたら、谷崎潤一郎による訳本が出ていることを知って、谷崎は好きな作家なので、彼の訳ならと、さっそく買ってきた。
 それで、まだ読み始めたところなのだけれど、さすが、超ロングセラーだけあって、源氏物語って実は面白いのだと思った。学校の古文の教科書にも桐壺とか若紫とかの部分部分が出ていて読んだことがあるけれど、その頃は、ちっとも面白いとも思わなかった。それは単に今の自分との年の違いが理由なのかもしれないが、教科書に載っている部分というのは、大して面白くもない、いわば差しさわりのないところで、源氏の君をはじめ、出てくる人々はみんななよなよしていて、「もののあはれ」とか言ってすぐ泣くし、なんだか今のこの現代とはまったく異次元の世界、というようなのが当時の感想だったのだが、今回はじめて最初から読んでいくと、意外と、彼らのやってることとか価値観は、今の自分たちと変わらないところがあると思うのである。
 たとえば、帚木(ははきぎ)の章で、源氏の君と、そのなかよしトモダチの中将、家臣の二人の合わせて四人の男が、どんな女性がいいとか悪いとか話し合って徹夜してしまう場面で、自分のことをかなりイケている歌詠みだと思っている人が、参内するのに忙しい朝にややこしい歌を詠みかけてきたりするのは(詠みかけられると、返歌しなければならない)、時と場合を見分けられない迷惑な行為だと非難するところは、要するに現代のKYの話なのであろうと思う。
 また、髪の毛を耳に挟んで、家事にいそしんでばかりいる女性も実直すぎてどうかという話も出てくるのだけれど、その是非はおいておいても、一千年前の昔の女性も、やっぱり同じように、用事をするときには髪がじゃまにならないように耳の後ろにかけるのだと思うと、そういう生活の些細なことであるのがよけいに、ものすごく親近感を覚えてしまう。
 それとは逆に、男と女が別れ話のケンカ中に、相手をなじる怒りの歌を詠みあったりするのは、現代ではありえないだろうけど、実際、紫式部の時代でも、物語の話だけじゃなくて本当にそんなふうにやりあったのだろうか。お互い、相当かっかと来てるだろうに、その頭で、凝った掛詞みたいな技を駆使した歌を作ったり出来るのだとしたら、ものすごくカッコイイが、正直、自分ならケンカ中にそんな歌を考えたりしたら、怒りが冷めて笑ってしまいそうである。
 ともあれ、紫式部の感覚というのは、結構、現代の感覚に近いものがあると思ったのだけれど、源氏の君の女好きに関して言えば、一般人の私からすると、ちょっと理解を超えている。誰にも彼にもすぐ約束したりするところなんか、最初はあきれて読んでいたのだけれど、そのうち、六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)のもとへ忍んで行った源氏の君が、そのすぐ翌朝に、御息所に仕える美人女房を口説こうとしたりするところなど、その極端なキャラクターがだんだん可笑しくなってきた。よくマンガに出てくる、きれいな女の人と見ればすぐに目がハートになってしまうような惚れっぽい男(たとえば、ルパン三世とか、「ワンピース」のサンジみたいな…)という感じである。
 紫式部は、源氏物語でいったい何を書きたかったんだろう??


にほんブログ村 猫ブログ 猫絵・猫漫画へ ←1クリックよろしくニャ~
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )