このTシャツ、
どこかの広告で見つけて、
お気に入りの写真に入れて、時々見ては癒されている。
人間万事、このスタンスで暮らしたいものじゃのう。
このTシャツ、
どこかの広告で見つけて、
お気に入りの写真に入れて、時々見ては癒されている。
人間万事、このスタンスで暮らしたいものじゃのう。
どうしても気になる、こういう広告。
「生涯現役」
「台詞もまだまだ覚えられる」
「72歳劇団員」
ううむ・・・
70を超えて役者をやってるって事は、こういうことなんだよね。
別にイチョウ葉エキスを飲みたいとは思わんけど、
こういう言葉にセンシティブになっている自分を感じる。
ただね、一言言っておくと、
私は10年以上前から台詞は覚えられなかったのだ!!(自慢にならん)
今、自分のブログのバックナンバーを調べていたら、
こんな文章が目に留まりました。
「やっぱり演出家が信頼できなきゃ、役者はついていけないよね。」
これ、公演が終わってすぐのブログです。
それも、
過去にお世話になった数人の演出家を褒めたたえた上で、
最後に、
これ。
つまり、過去には信頼できる演出家がたくさんいた。
だけど今回は、
「やっぱり演出家が信頼できなきゃ、役者はついていけないよね。」
と、かなり大っぴらにディスってる。
おいおいおい!!!
思わず、書いた当時の自分に突っ込みました。
そりゃ、人間的に本当にひどい演出家だったことは、
今でも忘れないけど、
それにしても、公演終わったすぐに、ここまで書くか??
いつの公演とか、
どこの団体とか、
ぜーーーったいに言わないけど、
これが10年ちょっと前・・・。
私は一生、大人げない言動が治らないんだろうな。
涼しくなって、
やっと我が家のハイビスカスが元気になりました
南国の花に日本の夏は厳しすぎたようで
お世話になっていた劇団、kuku81が解散して20年余り。
その当時のメンバーが集まりました!
我らが主宰・久世龍之介さんの喜寿のお祝いです。
そう、みんな平等に、20歳以上トシ食って・・・
なんだけど、変わらないんですよ!
いや、変わってるんだけど・・・
でも、変わらない。
昔の公演の思い出話や、劇団メンバーの話。
さんざん笑い倒した上に、
この暑さでの炉端焼きで、みんな汗だくで、
脱げるだけ脱いでタンクトップ姿。
・・・楽屋か?(笑)
記念品を受け取る久世さんも白シャツ姿。
折角だからとカッターシャツを着ようとする久世さんを、
みんなが「いい、いい!いらない、いらない」とおさえて、
このままでの記念撮影。
そういえば、こんなノリも昔のままだな~。
なんかね。
久世さんを中心にこうやって騒いでいると、
このまま稽古場にスライドしそうな、
そんな錯覚までおぼえてしまいました。
私は解散後はずっとフリーで転々として、
敢えてそれをよしとしてきたけど、
この懐かしさ、この楽しさ、
なんて言ったらいいんだろう。
一人になった帰りの電車。
我ながら恥ずかしいほどの感傷に浸りきって、
車窓からの景色を眺めてしまったのでございます
ここに書いた「ダメ出し」ノート も披露しました
こんなふざけたタイトルにしたら、怒られちゃうかな
でも、やってる事は至って真面目です。
応急手当WEB講習の普通救命講習に続いて、
上級救命講習も終了しましたー!
こんなの出すと、いかにも大変そうだけど、
動画を見て、後で修了テストを受ければいいだけなので、
誰でも簡単です。
でもやっぱり知識はつく!
いつまで残るかわからないけど、役に立ちます!
ココだけの話、
導入部15秒位の、不毛というか無意味な会話は不要だけど、
(見れば絶対わかる・笑)
飛ばせば済むので
オススメです。
実はずっと、消防署での救命救急の講習を受けたかったのですが、
いつも予約がいっぱいで
今回も予約のチェックをしようと消防署のサイトに行って、
このWEB講習を見つけました。
うまくいく時はこんなもので、
やっと来年の講習の予約もできたので、
来年は実際に消防署での救命救急を学んできます。
なぜ?と聞かれると困るんですが、
単純に、
「もし目の前で倒れている人がいたら助けたいから」
かなり前から、
最低限の救命処置ができるようになりたいと思っていたのです。
といっても、
自分の救命救急はできないから、自分が倒れないようにしないとね
たまには真面目な話をします。
今から3、4年前、
施設に入っていた母は年じゅう体調を崩して、救急車のお世話になっていた。
ちょうどコロナの真っ最中、必ず発熱もしていたから、
毎回救急車の中で何時間も搬送先を探してもらう生活だった。
その日も突然倒れて頭を打って出血し、救急車をお願いした。
搬送先を4時間以上探してもらって、既に夜中の2時。
それでも搬送先が見つからなくて、
救急隊員の方が「ちょっと遠くなりますけど、いいですか」
と連れて行って下さったのが吉祥寺南病院だった。
はっきり言って、決してきれいな病院じゃなかった。
いつも搬送されるような広々とした病院でもなかった。
でも真夜中の救急で頭を血だらけにして運ばれた母を、
看護師さん2人が笑顔で元気づけながら処置をしてくれた。
そして処置が終わると突然、事務局にいるスタッフさんに、
「こちら救急ですが、そちらにブラシかクシあります?」と電話。
訳がわからずぼーっとしていた私に、
「このままじゃ髪がもつれて、後で痛いから」と、
すぐに来てくれたスタッフさんからクシを受け取り、そっとそっととかしてくれた。
既に時間は4時ごろ。もう少しで夜が開ける。
そんな時、96歳の母の髪まで考えてくれた看護師さんたちは、
最後まで元気に明るく対応してくれた。
クシを持ってきたスタッフさんにもお礼を言うと、
爽やかに「いえ、なんてことないですから」と言って去っていった。
母のことで、何度も何度もあちこちの病院にお世話になった。
お世話になっていて文句は言えないけど、それはそれはいろいろな病院があった。
母が声をからして「お願いします。どなたかお願いします」
とずっと呼ぶ声を聞きながら、
「あれだけ頼んでるので、お願いします」と泣きながら訴えても、
先生には「さっき説明は済んでるので」と無視されて、
事務のスタッフさんは部屋の奥でお喋りして聞こえないふり。
でもこれ以上こちらが怒って、これ以上母への対応が悪くなったらと思うと、
母が必死で人を呼んでいる声を聞きながら、我慢するほかなかった。
今でもあの母の声は私の耳から離れない。
でもここの病院は違った。
結局母は2週間近く入院して、当然あの頃は、私は病室には行けなかった。
その代わり、看護師さんやスタッフさんが消毒したスマホで母の様子を写して、
一生懸命話をさせてくれたり、顔を見せてくれた。
もちろん当時は、他の所でもそういうシステムがあった。
ただ、その親身になり方というか、その違いは人間だからすぐにわかる。
この病院で会った人みんなが、親切で明るくて、そして本気だった。
そして退院の日、
最初に持って行った、施設で使っていた山ほどの薬は手つかずで戻ってきた。
そして、
「これが病院で飲んでいたものです」と渡された薬を見て驚いた。
たった2種類。若い人が病院で処方されるレベルの少なさ。
そして母は、その時期はとても元気になって、頭もはっきりとしていた。
薬を減らすのは、それだけ人の手がかかるし、大変なことだと思う。
だから施設にそこまでをお願いすることはできない。
ましてや病院の場合は、それだけ「儲からない」ということでもある。
だけどここまでやってくれた病院のことは、今でも感謝とともに忘れない。
本当に嬉しくて、アンケートがあったときには、
裏にまでぎっしりと感謝の言葉を書いたくらい。
いくつも病院を転々としたからこそわかる、特別な病院だった。
その病院が消えてしまう、という記事を新聞で読んで愕然とした。
と同時に、
薬も減らして、スタッフさんがあれだけ手を尽くして働いてくれてたら、
そりゃ儲からないだろうなと思ったことも確かだった。
これが現実。
そう、これが現実なんだよね。