夜も更けたころ急な雨に降られて高架下の橋のたもとへ逃げ込んだ。
10メートルほどの橋の上で雨があがるまで目に見えたものを撮ってみた。
『人は自分の見たいものしか見ようとしない』はユリウス・カエサル〈ジュリアス・シーザー〉の言葉ですが、
この言葉の意味を深く読めば見ようとしなければ見えてこないもの聞こうとしなければ聞こえてこないものがあるのだと思う。
自分はいつもは、のほほんと生きているがカメラを構えているときだけでも見えないものを撮りたいといつも願っている。
昼間の雑踏では排気ガスと砂ぼこりにまみれているこんな道路脇の草でさえ雨に洗われた姿は例えようもなく美しい。
この長雨が桜を散らせてしまうことを今年も、もう少し無理をしてでもたくさんの桜を見ておけば良かったなと後悔しながら降りやむのを待っていた。。。
10メートルほどの橋の上で雨があがるまで目に見えたものを撮ってみた。
『人は自分の見たいものしか見ようとしない』はユリウス・カエサル〈ジュリアス・シーザー〉の言葉ですが、
この言葉の意味を深く読めば見ようとしなければ見えてこないもの聞こうとしなければ聞こえてこないものがあるのだと思う。
自分はいつもは、のほほんと生きているがカメラを構えているときだけでも見えないものを撮りたいといつも願っている。
昼間の雑踏では排気ガスと砂ぼこりにまみれているこんな道路脇の草でさえ雨に洗われた姿は例えようもなく美しい。
この長雨が桜を散らせてしまうことを今年も、もう少し無理をしてでもたくさんの桜を見ておけば良かったなと後悔しながら降りやむのを待っていた。。。