もたもたと旅行記を書いておりましたら、いつの間にか世の中は春爛漫、
我が散歩コースのサクラも満開となっております。良いですね心浮かれる
この季節、嫌いな方は居ないでしょう!しかも今年はそれに拍車を掛けた
のがWBC日本優勝でありますね。今週はコノ話題で日本中が浮かれたと
言っても過言ではないでしょう。準決勝メキシコ戦の大逆転、また決勝戦
の大谷の登板、こんな心憎い演出を一体誰が考えたのでしょう!
まさにドラマでしたね。本当に久々に興奮したここ数日でありました。
もっとWBCの話を致したいのですが、この辺でブログに戻ります。
前回の続きであります、第50回ホノルルマラソンがスタートした
所までお話致しました。今回からレース中の模様をお話して参ります。
レースと書きましたが、私の場合物見遊山の42.195kmございますので
レースと言うより祭りに参加した気分で走っておりました。
他のマラソンに参加した事がない為よくわかりませんが、ホノルルマ
ラソンは可なりお祭り色の強いマラソンの様に思います。その理由の
一つは制限時間が無い事かも知れません。
日本の主だったマラソンには制限時間があります、例えば東京マラソン
の制限時間は7時間、横浜マラソンは6時間30分となっております。
私がホノルルを走る理由はハワイが好きな事も大きいですが、国内マラ
ソンでは制限時間以内にゴールが厳しいからなんです。(笑)
つまりホノルルマラソンは世界一 ゆる~いマラソンと言えるんです。
だから自然とお祭り色も強まり、ランナー個々がそれぞれの思いで楽
しんで走っております。↓
この様に重たい酸素ボンベを背負い、フル装備で走る消防士さんもおり
ます。この方々は2019年にホノルルマラソン参加の時にもお見掛け致し
ました。なんと現役のホノルル市の消防士さん達で、勿論装備も本物
らしいです。
驚くべきはこんな重装備で皆さん完走されてました、なんと言う体力で
ありましょうや!流石アメリカンヒーローであります。
スタート直後のホノルル港、この日アロハタワーは赤く染まっておりま
した。赤いライトアップには赤十字をサポートするとか、何かの意味が
あるのだと思います。(多分・・)↓
この辺りはまだまだ元気なんですが、あえてゆっくり、ゆっくり走って
おります。私の場合ですが、マラソン前に色々試してみて最初の
2㎞は敢てゆっくり入った方が、その後の筋肉の張りが少なく済む事が
判明したからです。あのウィリアム・シェイクスピアも「険しい丘に登
るためには、最初にゆっくり歩くことが必要である。」おっしゃってま
す。フルマラソンと言う険しい丘には、力む事なくゆっくりと平常心で
挑む事が肝要なのだと理解致しました。
さてホノルル港を過ぎれば、いよいよダウンタウンに入ります。
この時期のダウンタウンと言えばホノルル・シティライツでさーね。
スタートから約4kmで華やかで美しいイルミネーションがランナー達の目
を奪います。
ホノルル・シティライツはダウンタウンのホノルル・ハレ(ホノルル市庁
舎)で開催しているクリスマスイルミネーションで、ハワイのクリスマ
スを語る上では外せないモノでございます。
前回はマラソン初参加で舞い上がっており、このイルミネーションも横目
で観て通過しました。しかし今回は足を止めてじっくり拝見いたしました。
折角ですから自撮りなんぞ致しまして・・
チャイナタウンに入りますと最初の給水があります。ホノマラの給水ポイ
ントは多数ありますので、いちいち水分補給していたらお腹がタポタポに
なってしまいます。でも有れば飲みたくなるのが人情です、結局私は全て
の給水ポイントを利用致しました(笑)
チャイナタウンを抜けてアラモアナセンターのサンタさんを見ながら、
流れに沿ってハワイアンビレッジを通過しワイキキエリアに入って参り
ます。
この辺りはスタートから9㎞くらいでしょうか?マダマダ元気に走って
おります。カラカウア通りには、早朝だと言うのに至る所で応援を戴き
ます。見知らぬ方からの異国の言葉でに応援です、でもヤハリ応援と不思
議と力になるモノであります。
余談ですが中島みゆきさんの名曲で「ファイト」と言う曲があります。
私も大好きですし、多くの日本人の心に響く名曲です。
しかしアメリカでは応援に「ファイト」は禁句なんです。英語ではFightは
「戦う」という意味で決して応援の言葉ではありません。
私は前回のマラソンの時にヘトヘトに弱っている、黒人さんに「Go」と声
を掛けました。「You can do it! いける!」とか「C'mon! さあ行け!」
なんてのも良いようですよ(多分・・)
ワイキキをビーチ右に見てゴール地点のカピオラニ公園を通過すると、
いよいよ最大の難所ダイアモンドヘッドロードの登りに差し掛かります。
前回もそうでしたが、この辺りでサンライズを見る事になりました。
次回は美しいDHロードから夜明け等をご紹介いたします。
>ホノルル・マラソンは、ニューヨーク、シカゴ、ボストンに次いで、アメリカで4番目に大きなマラソン大会だ。
主催団体の代表であるジム・バラハル氏は、「50周年を迎えることを非常に嬉しく思っています。世界中のマラソン大会の中でも、これだけ古い歴史があるのはほんの一部です。ホノルル・マラソンが長い間続いたのは、このイベントを支援してくださったハワイの皆様と参加者の方々のおかげです」と述べている。
実際、多くの人が、同大会に過去に参加した母親や父親、祖父母に敬意を表して走るという。
「多世代が参加しているのは承知しています。これだけ長い間、このイベントがハワイで行われ、人々に影響を与えてきたということは重要なことだと思います。50年も続いているというのは本当に素晴らしいことです」とバラハル氏。
今年も、例年通りスタート時には花火が打ち上げられ、ゴール地点ではマラサダが配布される。
現時点で2万1千人のエントリーがあり、10Kマラソンなどその他イベントの参加者を加えると2万9千人を超えると見られている。
昨年の参加者は1万3千人で、今年は2倍以上に増えたことになる。
パンデミック前の2019年はおよそ3万3千人だった。
バラハル氏によると、これまで毎回1万7千人ほどだった日本人ランナーは今年もまだ少なく、5,200人ほどだが、昨年の400人と比べると大幅に増えている。
大会の主要スポンサーは、日本航空、NTTドコモ、ミズノで、今年の完走者には50周年記念メダルが配られることになっている。
12月9日に行われる50周年記念の特別開会式では、過去全大会に参加し、今年50回目を走るジェロルド・チュンさん(カリフォルニア州)とギャリー・ディルさん(ハワイ州)が表彰される。
ホノルル・マラソンの創始者は、心臓外科医だったジャック・スキャッフ氏。
スキャッフ医師は、有酸素運動が心臓の健康に大きな影響を及ぼすことに着目し、ゴールを目指してトレーニングする方法として、1973年にマラソン・クリニックとともに当大会を始めたと言われている。
同医師は昨年9月、マキキの自宅で亡くなった。享年87歳。
歴史ある大会の節目に行燈入道さんがされたことに心から敬意を表します!
歴史ある大会の節目に、参加出来た事を嬉しく
思います。ホノマラ創始者はお医者様だったの
ですね。勉強になりました。50回全てに参加されて
方がいるなんて驚きました。私は47回と50回に
参加したにすぎませんが、この大会の楽しさと苦しさを充分味わいました。これを50回も出た方がいる
なんて、マジでリスペクトです。