いきなりふざけた写真ですみません。このシリーズの冒頭画像は自分画像
で行くと決めたもので、とうとうこんな写真しか無くなりました。
突然ですが2005年1月26日 このブログ 行燈徒然日記がはじまりました。
そうなんです本日はブログ開設記念日、なんと16年が経ちました。
祝16周年!
これもつまらぬブログをご覧頂き、様々なコメントを下さいました。
皆さまのご愛顧のお蔭でございます、心より感謝申し上げます。
思い返せば第一回目のアップは、何のネタも無く苦し紛れでのやっつけ
仕事感丸出しのモノでした。(恥)
2005年1月26日のアップ
気まぐれで、更新もままならぬブログですが、これからも宜しくお願い
申し上げます。
さて話題を変えまして本日は前回の予告通り、ハワイにて人生初
のサーフィンに挑戦して漂流しかけたお話であります。
それはもう十数年昔の初冬の事であります、我が人生初のサーフィンは幸
運にも世界で一番有名なビーチ ワイキキでありました。これからの画像
はその時に同行の氏が撮影したものであります。
ココで少々説明を加えますと、ひとくちワイキキビーチと言っても幾つか
のスポットに分かれるんです。
ワイキキ地区はカハナモクビーチからサンスーシビーチまで幾つかのビーチ
が続いており、それぞれの個所で名前が付いているんです。
そんな中で私の初サーフィンはカピオラニ公園の前あたり、通称クイーンズ
ビーチと言うサーフスポットの一つでありました。爽やかな海風を背にDHを
眺める、波目線の醍醐味はここでボードに乗った人にしか味わえない、極上
のひと時と言えます。
と綺麗事はこのくらいにして、オヤジの初サーフィンは悲惨そのもの
でした。悲惨の原因の一番は己の未熟さにあるのですが、その他にはこの時
の渡ハメンバーがいけなかった。と言っても同行の方々はとても気の休まる、
気さくな仲間達であります。しかしよりにもよって当時の職場でサーフ
ィン部ともいえる、サーフィン好きの連中との渡ハだったのです。メンバー
は私も含めて5人、私以外の4人は湘南で毎週の様に波に乗っているベテラ
ンサーファーでした。
さてビギナーの私は、当然ながら観光客向けのサーフィンスクールを利用
致しました。当初私が岸近くでレッスンをしている様を他の4人は微笑まし
く見守ってくれる筈でした。
しかし、何故か他の4人も一緒にレッスンを受ける事になったのです。そう
今思えば、この事が我が運命の歯車の狂いだした瞬間でした。
この時のレッスンは我が記憶ではパーク ショア ワイキキ辺りにあった、大
手のサーフスクールでした。
安全講習を受け、簡単なテイクオフの練習(ボードの上で立ち上がる手順を
学ぶ)して、即ビーチへ向かいます。
そしてここが初サーフィンの場となったクイーンズビーチ。ここでいよいよ
海に入ります。
クイーンズビーチはクヒオビーチの東側の堤防からワイキキ水族館まで延びる
ビーチで、クイーンズサーフビーチを略したものです。カピオラニ公園の海側
にあることから、カピオラニビーチとも呼ばれています。1940年代にこの場所
にあったレストラン「クイーンズ・サーフ」がその名の由来だとか・・
写真を見て「あっ ここ知ってる」と思った方も多かったと思います。
さて問題は写真に映る小さな堤防です、つまりこの堤防を境にクヒオビーチ
とクイーンズビーチに分かれております。クヒオビーチと異なり波が直接来
るので、よりサーフィンに向いておるビーチとされております。ですが裏を
かいせば、クヒオより波が高く素人には辛い場所とも言えるのです。
(とぼやく)でも初心者は波打ち際に近い浅瀬で、パシャパシャ楽しくレッス
ン出来る筈でした、事実一緒にレッスンを受けていた白人の親子は岸近くで楽
しそうにレッスンを受けておりました。
ですが何故か私はベテランの同僚と共にどんどん沖に促されます。
初めは調子よく進んでおったのですが、ある辺りからどんどん同僚達と離れて
行きます。当たり前なのですがベテランの同僚達とはまずパドリングの速度が
違います。私にして見れば独り取り残されまいと必死でありました。
ですがコレが腕に堪えたんです、緊張と力みから必要以上に筋肉を使い、サー
フスポットに着く前にすでに腕が上がらなくなる始末。
この頃は、エレクトーンやピアノ等の重い楽器をよく運び、腕力には少々自信
があったのですが、そんな筋肉とは別物の普段使ってない筋肉を使うらしく日
々の鍛錬など全く役に立ちません。
そんな私など眼中に無きが如く、ベテランサーファーの同僚達は鬼人のごとく
ガンガン沖に進んで行くのです。もし彼等と一緒で無ければ、もっと岸近い
波穏やかな場所で、パシャパシャと気楽にレッスンが出来たかも知れません。
私は極端にパワーの落ちた左腕のために、アンカーを打ったボートの様にクル
クル回ってばかり、しかも離岸流でもあるのか、どんどん別の方向に流されて
行きます。そうなんです、この時の我が状態は漂流の一歩手前、いや心折れ気
持ちは既に漂流しておりました。気付けば岸は遠く 既に同僚達の姿は消えて
おります。まるで太平洋ひとりぼっちで居るような気持ちに陥りました。
体力の消耗が激しく体も重い、そしてもがく程にドツボにはまり南国の陽射しが
ジリジリと背中を焦します。そして思ったのです「サーフィンは魔だ」と・・
がしかし時既に遅く、自力でビーチに帰還する事もでき無い程体力と気力が消耗
しておりました。さらに悪い事に、遠くにポツリと見えていた岩の頭(岩礁のよ
うなもの)に廻りながらどんどん近づいて行きます。あんなのにボードが当たれ
ば、どうなるか判ったもんじゃありません。この時の私にとっては、とても怖い
怖い場所なんです。その時アローンな私を探しに、インストラクターの兄ちゃん
(以下インスト兄ちゃん)が来てくれました。正に地獄で仏、いやボードに乗っ
た王子様に見えました。ビーチの写真にもある通り、白人でイケメンなインスト
兄ちゃんは女子にも人気のようで、参加した同僚の女子達も嬉しそうでした。だ
から結構フワフワしたヤツかと思っておったのですが、参加者の安全には注意を
払うプロだったのですね。インスト兄ちゃんよゴメンなさい。
やっと現れた救世主に「腕が上がらん、だからビーチに戻りたい」と懇願しました。
この後、インスト兄ちゃんがゆっくり私をビーチまで引っ張ってくれるモノと思っ
てました。しかし彼はプロ中のプロだったのです。頭の中では「まだ、お客さんに
サーフィンの楽しさを味わってもらってへん、このまま普通に返したらアカン」と
思ったのでしょう。いや絶対そう思ったんです。ホンマ迷惑な話ですわ。
そして私に訪れた第二の不幸は、ここで結構大きめの波が来た事でした。
そしてプロ中のプロのインスト兄ちゃんが、この波を見逃す筈はありません。
突然大きな声でGO!と叫んだ兄ちゃんの手が、次の瞬間絶妙なタイミングで我がボー
ドを押ました。
うそや~♪
と思う間も無く、我がボードは波に乗り滑走致します。想像を絶する速さでした、
そして岸も見る見る近づいて参ります。
この時私はある事に気づいたのです、先ほどの白人親子が我が行く手の陸に近い
浅瀬で楽しげにパチャパチャやってるではありませんか!
そのパチャパチャに向い、我がボードはGO!の合図で強烈な速度で突っ込んで行きます。
勿論制御不能です・・・
さらに悪い事に腕が上がらないのに何とかボードから立ち上がろうと試みた私は、
ボードの上で「ロダンの考える人」の様なポーズのまま風を切っていたのです。
驚いたのはパチャパチャに付き添っていたインストラクターのロコ兄ちゃん、
彼もまたプロ中のプロだったのでしょう!異様な気配を素早く察知し鋭く振り向
きました。その時彼が見たものは、ボードに乗り風を切って突進してくる「考え
る人(制御不能)」・・・
その魔の塊が、よける間もなく兄ちゃんの頭にゴツン!鈍い音がして彼は海面から姿
を消しました。しかし其処はプロ中のプロのロコ兄ちゃん、直ぐに海面へ浮上しそし
て目ん玉ひん剥いて私を叱りました。「いいか、危ないと思ったら大きな声を出して
危険を知らせろ」確かに彼の言う通りです。
こうして私のサーフィン初挑戦は心身ともボロボロで終了したのでありました。
そして翌日の筋肉痛は筆舌に尽くしがたく全く上がらない腕のため、こまわり君の死刑
ポーズ(判る人は我が同年配か)で「あれがね、ダイヤモンドヘッドだよ」と初ハワイ
の同行者へ説明する始末でありました。もう2度とサーフィンなどやらんと思うところで
すが、あのスピード感は今でも思い出します。
大きな声では言えませんが
もしかしたら、再びボードに乗った「考える人」が千葉や江の島辺りに出現するかも知
れません。
今回の失敗は、自分の技量もわきまえずにベテランについて行こうとした事、
海の上で孤立した恐怖で取り乱し、よけに墓穴を掘ってしまった事。
つまりどんな時でもマイペースが一番って事ですよね。
さらに、危険を察知し警告できる冷静さに欠けていた事でしょうか?
何回かに分けてハワイで味わったドキドキ話をして参りましたが、いよいよネタもつきま
した。
さて次回のはどんなアップになるのか、全く考えておりません。コロナは益々猛威を振る
い、昨年よりワクチン接種を開始したエゲレス等から、まだまだワクチン効果の話が聞こ
えてきません。
どうか皆さま感染対策を充分にして、元気に冬を乗り越えてくださいませ。
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