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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(129」

2021-01-02 20:30:32 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(129」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/227(2021/1/2/土】夏彦翁曰く「人みな飾ってものを言う」。


女郎→お娼妓さん、売春婦→風俗嬢、ポン引き→客引き、ヤクザ→侠客、羽織ゴロ→記者、殺し屋→諜報員、寄生虫→パラサイト、浮浪者→ホームレス、貧乏人→生活困難者、キチ〇イ→精神疾患者、アカ→リベラル、騒動師→野党、銭ゲバ→政治家・・・


近年では中共やロシアなど独裁国家を「権威主義国家」と言うらしいが、「権威主義」の定義ははっきりしない。「権威を絶対的なものとして重視する考え方 。権威をたてにとって思考・行動したり、権威に対して盲目的に服従したりする態度」「非民主的な体制の総称であり、通常は独裁、専制、全体主義などを含むが、権威主義体制を民主主義体制と全体主義体制の中間とする立場もある」云々。


羽織ゴロの末裔とか売文屋、中身のない政治家、Lily the Pond みたいな騒動師の「新しい言葉を使いたい、何となくかっこいい」という気持ちは分かるが、新語は概ね読者の共通理解がそこそこ固まってから使った方がいいだろう。「彼は外面はソフトだったが、家庭内では権威主義者だった」と書くより、「傍若無人の独裁者、家族はみな恐れていた」と書いた方が訴求力があるのじゃないか。


ブン屋は言論戦の最前線でドンパチする戦士だが、世論を納得させることで政治的なパワーを得ることもできる。世論の支持が大きいブン屋は国家を良い方へも悪い方へも動かせる“木鐸的”潜在力があるが、整合性や裏取りが曖昧だと社会的な制裁を受けて“戦死・処刑”になるから結構シンドイ仕事だろう。言語IQが150なんてごろごろしていそうだが、どうも“良き記者”は長生きはしそうもない。古森義久先生は柔道家でもある文武両道の方だから老いてなお意気盛ん、見習おう。


ナポレオンは「三つの敵意ある新聞は千の銃剣よりも怖ろしい」と言ったそうだが、新聞は政治を煽ったら引っ込みがつかなくなり、へたをすると毒を食らわば皿まで、と政治家と一緒にドボンするか、あるいは居直って「昨日は昨日、今日は今日」と新たな勝者に擦り寄ったりする。築地流「ヘンシーン!」はおフランス生まれか?。


「昨日陸軍、今日マック、明日は総評・社会党、いつでもどこでも事大主義」と変身しても、民衆もドタバタしている時だから咎められない。エルバ島から脱出したナポレオンがパリに近づくと「三つの敵意ある新聞」は報復を恐れて「将軍、お帰りなさい!」と大変身したという。「強者に付く」、人間臭くて笑うしかない。明日は我が身・・・中共に屈服したくないのなら大和男児は覚悟を決めなければならない。


前回、こう書いた。「核兵器大国の中露と戦う日英豪仏独加台印+α連合となれば、日本が核武装しなければ話にならない」。戦後のフランスは米国の核の傘に依存していたが、日本と違って冷徹なドゴールは「米国の覇権戦略は怪しい、警戒すべし」と喝破。「自国の独立を守ることは精神的・道徳的に重要。国際政治の多極化は必要だ」と覚悟を決めたのだ。伊藤貫著「歴史に残る外交三賢人」から咀嚼、引用する。


<ドゴールにとってフランスの「国民国家としての独立性を回復する仕事」は単なる目先の国益確保ではなかった。彼の政策の基本は、


◆自国のインテグリティ:一貫して高い道徳、堅固な廉潔、倫理的な原則と価値観をもって、妥協なくそれらを遵守する矜持。粗にして野だが卑ではない(石田禮助)、他国に生存を委ねるような国は国民国家ではない、パンツ1枚になっても独立した国民国家たらんという気概、理念、精神。上部構造。


◆レジティマシー:正統性、正当性、合法性、妥当性、合理性。道理にかなっていること。国民国家であるための論理的な裏付け、基礎、基盤、骨格。下部構造。


ドゴールにとってフランスという国家の最も重要な要素は、目に見える経済力や軍事力、政治力ではなかった。目に見えない、計測できない、数量化できない「インテグリティとレジティマシーと指導者としての責任感」、この精神的・道徳的な価値こそが、国家にとって最も重要な要素だったのである。


(夏彦翁曰く「みんな正義が大好きだ。正義はやがて国を亡ぼす」。敗戦後の為政者が「米国の保護国になっても今は仕方がない、正義では食えない」と思うのは分かる。


しかし、当座の緊急避難的な政策を経済大国になった今もって続けるのは、怠惰、不道徳、邪道、腐敗以外の何物でもない。病膏肓、今や「米国がダメなら中共にすがればいい」というような政治家や論者がごろごろしているのではないか。自国の安全を他国に依存するパラサイト、メカケみたい。フランスも例外ではなかった)


ドゴールが反独闘争を始めた1940年から大統領を辞任した1969年までの約30年間、彼にとって最大の敵は「コラボレーショニスト」と呼ばれたフランス人であった。


◆コラボレーショニスト:伊藤貫氏は「コラボレーショニスト国家の沖縄問題」と題してこう書いている(「表現者」平成27年7月号)。


《第二次大戦中、筆者の父は戦闘機パイロットであった。インドシナ半島で戦った陸軍の加藤隼戦闘隊に所属していた。筆者の父は戦争中、三回、墜落している。


一回目と二回目の墜落は(国力が衰えて)戦闘機が飛行不能になったためパラシュートを使って脱出せざるを得なくなったのだが、父自身は負傷しなかった。ラッキーだったのである。しかし三回目の墜落は、そうはいかなかった。


ベトナム上空で敵機とドッグファイト(空中戦)している最中に、父は敵機から激しい機銃掃射を受け、腕と脚と腹部の数ヵ所に弾を撃ち込まれて、出血多量で操縦中に気絶してしまったのである。気絶したのだから、パラシュートで脱出するわけにはいかない。父の乗った隼はそのまま墜落して地面に衝突!


と思いきや、そうではなかった。信じがたいことに父の戦闘機はベトナムのジャングルに突っ込んで、機体が大樹に引っ掛かって宙吊りとなり、父は墜落死を逃れたのである。何たる幸運!


大怪我をして気絶している父を救ってくれたのは、ベトナムの農民であった。父は五日間意識不明であったが、六日目に意識が戻ると、農民たちが父の顔を覗き込んで喜んでいたという。父は外科手術を受けた後、数か月間現地の陸軍病院に入院し、再び戦闘隊勤務に戻った。


父と同期に隼戦闘隊に入隊したパイロットの八割は、すでに戦死していたという。陸軍飛行学校で父と同級生だったパイロットたちも、約八割が戦死した。


敗戦後、父は英軍の捕虜収容所に入れられ、昭和二十一年に帰還した。久しぶりに祖国に帰ってきた父は、日本国民の大変身(大変心)ぶりに驚愕した。


多くの日本人が声を揃えて「アメリカ万歳!マッカーサー万歳!民主主義万歳!平和憲法万歳!」と叫んでいたのである。米占領軍の一方的な政策に本気で抵抗しようとしている日本人など、ただの一人もいなかったという。


日本人の中には、「お前は戦闘機のパイロットとして日本の侵略戦争に加担した軍国主義者だ!戦争犯罪者だ!」と父を罵る者までいた。


三回墜落して、ほとんど死にかけて帰還した父は、「日本人は、裏切り者民族なのだ。たった一回戦争に負けただけで、あっという間に変身してしまう。こんな裏切り者民族のために、戦闘機パイロットの八割が戦死したのか。僕の同僚たちの戦死は、犬死だったのか」と感じたという。


筆者が大学生のころ、父は占領時代の想い出を語り、「日本人を信用しない方がいいよ。日本人は権力や体制や時流が変われば、あっという間に変身してしまう。この点では、左翼も保守も同じことだ」と述べていた。


敗戦国日本の左翼は、占領軍のプロパガンダをそのまま喜んで反復復唱する反日主義者になり、保守派には、GHQにひたすら媚び諂い、「俺はアメリカの事情に精通している」とか「俺は米政府に太いパイプを持っている」などと自慢する者が多かったという。日本の保守と左翼は、結局は、軽薄(もしくは狡猾)な便乗主義者にすぎなかったのである。


敵軍に占領された途端に祖国を裏切り、手のひらを反すように敵軍(占領軍)に協力し始める人のことをコラボレーショニストと言う。敗戦後の日本は、「左翼も保守も皆がコラボレーショニスト」という惨憺たる光景になった。


しかも大部分の護憲左翼と親米保守の政治家や言論人には、「自分たちはコラボレーショニストなのだ」という自覚すらない。その自覚がないから、いつまで経っても対米依存と対米隷従を続けるのである。


そして、日本がコラボレーショニスト国家であるからこそ、敗戦後七十年経っても「占領軍のため、沖縄・辺野古に新しい米軍基地を建設する」などという醜態を演じ、しかもそれが醜態であることにさえ気が付かないのである。


勿論、日本の左翼は辺野古基地に反対している。しかし彼らは口が裂けても、「日本は自主防衛するから、米軍は日本から出ていけ!」などと言わない。自主防衛するつもりのない左翼の反基地闘争は、「アメリカに守ってもらいながら、反米ごっこをやる」という自己欺瞞に満ちた痴態にすぎない。本質的には日本の左翼と保守は、七十年前と同じコラボレーショニストなのである。


過去半世紀間、護憲左翼と親米保守は「日本が自主防衛するのは無理だ」と主張してきた。しかし日本の自主防衛にとって必要な最小限の核抑止力を構築するための軍事コストは、毎年のGDPの0.1%にすぎない(通常戦力の予算も、GDPの0.2%分くらい増やしたほうが良い)。


これは赤字国債を少しだけ増刷して、日銀に買い取らせればすむ程度の金額である。キッシンジャー、ウォルツ、ハンティントン等の優れた戦略家たちも、冷戦後の日本には自主防衛能力が必要であることを指摘してきた。


それにもかかわらず日本政府は、自主防衛しようとしない。実は日本の自主防衛を阻止してきたのは中国・韓国や日本の左翼ではなく、米国務省・ペンタゴン・CIAだからである。敗戦後七十年経った現在も、「敗戦民族ジャパニーズから、永遠に自主防衛能力を剥奪しておく」という不正な対日政策を続けているのは、アメリカ政府なのである。このような不正な対日政策に対して、日本の保守陣営は真正面から正々堂々と反論しようとしない。


米政府のジャパン・ハンド(日本政府の手法や行動パターンを知り尽くし、日本を米国に有利な様に仕向ける政権スタッフ。対日窓口とか交渉人と呼ばれ、その集りをジャパンハンドラーズと呼ぶ)に、「中国人と朝鮮人がどれほど大量の核兵器を持っても、お前たち日本人の核保有を許さない」と恫喝されると、日本の親米保守派は全員、シュンとなって沈黙してしまう。まさに「裏切り者民族」の面目躍如である。


国際政治学者のジョン・ミアシャイマー(シカゴ大学)は、「現在の日本は疑似独立国にすぎない。米軍が日本を占拠し続けているから、日本は独立した外交政策を実行する能力を持てない。日本は潜在的には、大国として中国と安全保障政策で真剣な競争をする能力を持っている。しかしその能力は、日本においてアメリカが強力な軍事プレゼンスを維持しているため、発揮できない仕組みになっている」と述べている。


彼は、「日米同盟による日本封じ込め構造」を明瞭に解説している。MITの日本専門家であるジョン・ダワーも、「1951年のサンフランシスコ講和システムは、数多くの方法によって日本を封じ込めてきた体制である。この体制は日本に対する『拘束衣』として機能してきた」と述べている。


ダワーによると、「日本における米軍の駐留は、万が一日本が自立しようとした場合に備えて、日本に対するアメリカの管理を確実にするために実行されている」という。そしてダワーは、次のように指摘する。


「冷戦終結後、日本の対米従属性は軽減されたのではなく、むしろより一層深化されている。日本の平和は、アメリカの戦争マシーンの歯車の一部になることによって達成されている。日本人はアメリカの外交政策に対して、ほぼ無制限の支持を与えてきた。日本はアメリカの属国となったことで、自分達の政治指導性を発揮する可能性を失ったのだ。


このような明らかに不均衡な日米関係に対して、多くの日本人は、『貴重な日米関係を維持するためには、日本がワシントンの命令に従うことなど安い代償です』などと述べている。日本人は自らの外交問題に関して、自分の言葉で語ることすらできない有様だ」


まったく、その通りではないか! 外務省の事務次官と駐米大使を務めた村田良平氏は、自主的な核抑止力を含む自主防衛能力を構築し、現在のように米軍に依存する構造から脱却すべきであると考えていた。


彼は、「安保体制の本質の半分は、米国による日本の占領継続である。安保条約における米国の日本防衛義務は、条約の主眼ではない。ことに沖縄には米軍が、日本本土への攻撃、及び東アジア・西太平洋の制空・制海権を握るため、巨大な基地を建設した。これらの基地の主目的は、もとより日本の防衛にあったのではない」と述べている。


「沖縄の米軍基地は、いざとなれば日本を攻撃するために配置された」という村田大使の指摘は鋭い。日本人は二十一世紀になっても、そのような意図を持つ覇権主義国アメリカにしがみついて生き延びようとしている。


敗戦民族ジャパニーズは、何時までたっても占領軍に媚び諂い、占領帝国の猿真似をして喜んでいるコラボレーショニストなのである》


ドゴールの政敵は、社会主義者、共産主義者、左翼の言論人、文化人、右翼の民族主義だった。しかし、ドゴール独自の国家思想と外交思想に最も執拗に抵抗したのは、左翼や右翼の活動家ではなく、保守派(体制派)内部のコラボレーショニストだったのである>(次号に続く)


日本はフランスから遅れること50年、目覚めるか。中共や米国に媚びるコラボレーショニスト≒売国奴は政界、財界、教育界に未だにはびこっている。まるで厄介な中共ウイルスそっくり。


諸葛孔明曰く「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」。日々、軍事力を高める中共を抑え込むには核兵器による抑止力が一番効果的、かつ現実的だ。それは中共が最も恐れていることだろう。飛んでくるミサイルをミサイルで迎撃するなんていうのは“空中版のマジノ線”、マジか? ほとんど漫画の世界。「専守防衛のための核ミサイルだ」と言っておけばいい。


中共の脅威に怯える暇があれば自らを奮い立たせて核兵器の開発、配備に努めるべきだ。「専門家は3か月で核兵器を造れると言っている」(熊谷弘元官房長官、1994年)。今なら2か月で可能ではないか。


実験するなら“古い友人”の中共に「日中友好 WinWin や、ゴビ砂漠でやらして欲しいねん、日中友好を永続化するため、同時に世界平和のためや」と頼めばいい。実験なしなら「上手く爆発するかどうか、どこへ飛んでいくかは分らへん、へたすると北京とか・・・そん時は堪忍や。そもそもあんさんがゴビ砂漠貸してくれへんさかいこないなことになったや、一次責任は取ってもらわんとな。日中友好やろ」と王毅に言ったらええがな。


古森先生「2021年を占う!:米新政権下、中国対日攻勢強める」Japan In-depth2021/1/1から。


<2021年の日本はまさに国難と呼べる内憂外患に直面するだろう。日本にとってはバイデン政権の登場で対中抑止の減少による中国の対日攻勢の激化という国難が予測される。とくに懸念されるのは尖閣諸島への侵略や奪取という危険である。その背後にはバイデン政権の日米共同防衛や日本の防衛努力の支援の軽減、さらには日本への防衛負担増大の要求という可能性もちらつく。


こういう状況下では日本が自国の防衛をアメリカに任せきりという姿勢をさらにあらわにすれば、こんどはアメリカ国民が日米同盟への支持を減らすというリスクにもつながる。要するに自国の防衛や安全保障は当然ながら自国が最大の努力をきわめねばならないとういことだろう>


独立国として当たり前のことをしない国は主権を放棄したようなものである。真の独立へ向けてニッポン丸を大きく前進させたい。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp