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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(142」

2021-01-25 20:05:57 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(142」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/239(2021/1/25/月】「入院90日ルール」で病院から追放さてから28日で丸4年になる。カウンセラーのヨーコちゃんには「症例研究会で“患者から見た精神医療”とか講演してもいいよ」と言っておいたのだが、お呼びがかからないのは「精神病は完治しない、いつ再発狂するか分からない、触らぬ患者に祟りなし」ということだろう、残念だ。


看護婦(カミサン)によると患者同士が仲良しになるのはいいが、「退院後も交際すると金銭トラブルなど起こしかねないから禁止」しているそうだ。同病相哀れむといっても精神病者が交際を深めると「一緒にね、一緒だったら怖くないわ、手を取り合って、天国へ・・・」となりかねないからなあ。


ストレイシープは宗教に頼りがちになったりするが、24、5歳の頃、すがる気持ちで池田教の門を叩いたが、文字通り「門前払い」されてしまった。咬みつきかねない怪しい奴、と判断されたのだろうが、彼らはそれによってストレイシープをローンウルフにしてしまった。


「自分は正道である、反対するものは邪道である」、人間は概ねそういうことなのかもしれないが、普通の賢者なら邪道臭い相手でもあの手この手で諭し、懐柔していくのが筋だろう。しかし、宗教は論理的というより感情的、情緒的、直観的、好悪といった非論理的な思考が強いから「敵か味方か」「正か邪か」の極端な二者択一に陥りやすいのかも知れない。


池田教の場合は一事が万事で、日蓮正宗の総本山、大石寺とも喧嘩して破門されてしまった。葬式も僧侶なしの“人民葬”でパッとしないし、少子高齢化で信徒は減るばかり、我が町では機関紙を信徒が配達していたがそれも見かけなくなった。


LMモンゴメリ著「赤毛のアン」にはプロテスタントによるカトリックへの軽侮、嫌悪、侮蔑、憎悪、敵意のような反発がしばしば描かれているが、八百万の多神教が多い日本人から見るとちょっと理解不能だ。日本では「鰯の頭も信心から。人は好き好きケナスは野暮よ、好きなお方の好きにさせ」という教え、交際術、神仏混交が大昔から普及しているから、血で血を洗うような宗教対立、宗教戦争はほとんどなかったのではないか。


聖徳太子曰く「和を以て貴とうとしとなす」。「十七条憲法」の第一条はこう諭している(604年)。


<和というものを何よりも大切にし、いさかいを起こさぬように心がけよ。人は仲間を集め群れをつくりたがり、人格者は少ない。だから君主や父親にしたがわなかったり、近隣の人ともうまくいかない。しかし上の者が和やかで下の者も素直ならば、議論で対立することがあっても、おのずから道理にかない調和する。そんな世の中になると何事も成就するものだ>(「てつログ」)


それ以前までは宗教対立、部族対立、階級対立などが日常茶飯事で、聖徳太子は「それを繰り返していたら隣国の隋のように内戦になってしまう、たとえ戦が終わっても遺恨は残り、民の結束は危ういままだ。まずは矛を収め理をもって合意を求めようではないか」と諭したのだろう。革新的な教え、道標だ。


イスラム教徒である鈴木紘司著「イスラームの常識がわかる小事典」を読んでいるが、考えさせられることが多い。


<日本人は神社仏閣で無病息災から世界平和まで祈願するが何に向かって拝んでいるのか、昔から多くの神様がいる国なので判然としない。イスラームではあがめる対象は「絶対唯一神アッラー」であり、「アッラーが大宇宙をはじめ、天地に存在する万物のすべてを創造された絶対唯一で無二の超越者」であることを知っている。


偉大なる絶対者の言葉は「預言者」という人間を介して「啓示」となる。イスラームのみならずユダヤ教、キリスト教も同じ考え方であり、崇拝する対象は同じながら命名と呼び方だけが異なる。ユダヤ教、キリスト教ではその絶対者を「ヤフウェ(エホバ)」と呼び、イスラームでは「アッラー」と称する。


「旧約聖書」だけを認め、その中のヘブライの預言者だけを認めるのがユダヤ教。それにイエス・キリストを加えて新たに「新約聖書」を選び、「旧約聖書」も容認したのがキリスト教である。最後に来たイスラームは、それらのすべてを認めたうえで使徒ムハンマドと経典「クルアーン(コーラン)」を追加した宗教である。


(絶対唯一神アッラーの声を聴きイスラーム教を始めた)使徒ムハンマド(トルコ語でマホメット)は西暦570年頃アラビア半島のマッカ(メッカ)に誕生した(奇しくも聖徳太子は574年生)。ある夜、彼は山中で啓示を受け、それが続くこと23年間に及んだ。


布教伝道が進むと既存の宗教勢力との軋轢が高まっていく。622年、暗殺の危機の中、ムハンマドはマッカから北西400キロのヤスリブ(後のマディーナ)へ脱出する。しかし、その地は2大勢力が抗争中であり、さらにユダヤ教徒の三部族がおり、そこへマッカからのムスリム=イスラーム教徒が移住したから、新たなルールが制定された(相互扶助のマディーナ憲章)。


ところがムスリム勢力が拡大するにつれてユダヤ教徒や多神教勢力の反発は高まっていく。マディーナのムスリムは敵対者のマッカのコライシュ族の隊商を襲撃するようになり、やがて両軍は激突し、イスラームは覇者となった。しかし、その後も衝突は続いた・・・>


自分たちの平和を求めて反対者を排除する、殺し合う、これを繰り返しているのが世界宗教の歴史ではないか。キリスト教も同様ではないか。「マタイによる福音書」から。


<わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。


さらに、家族の者がその人の敵となります。 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします>


「家族を捨ててでも俺について来い、さすれば天国はお前のものだ」ということか、それとも聖職者になれという「出家」の勧めか。ブリタニカ事典では「出家:在家 (ざいけ) の対。家庭における日常生活を求道、修行の妨げになるとして、家庭生活を捨て、修行に最も適すると思われる環境に入って、修行に没頭すること。また、その人をもいう」。


小生から見れば「邪道」だが・・・「ヒンズー教」も日本人には分からない世界だ。


<ヒンズー教とは、インドやネパールの民族宗教として知られています。同地には多くの宗教、言語があり、一つの宗教で統一されているわけではありません。多神教で、地域や所属によって多様な信仰です。


広義にヒンズー教というと、インドに発生したすべての宗教をさします。また、狭義には、バラモン教とインドの民間信仰が融合し、4世紀頃から形成された民族宗教をさします。


ヒンズー教徒はインド国内で8.3億人とも言われ、信者は約9億人、キリスト教、イスラム教に続き、世界で3番目に信者の多い宗教だとされています。


ヒンズーは、サンスクリット語でインダス川の意、ペルシャ側から見てインダス川の対岸に住む人という意味があります。三神一体と言われるように、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神が一体を成すとされています。


輪廻、解脱を信じ、河川崇拝、菜食主義、聖牛崇拝の考え方があります。四柱期に代表される生活様式や、身分、職業を含むカースト制があることなどが特徴の宗教です>(en-park)


インドは17世紀の後半、イスラーム教スンナ派に支配され、ヒンドゥー教は大弾圧を受けていたが、日本の奮闘もあって英国の植民地支配が終わった1947年にヒンドゥー教徒はインド連邦、イスラーム教徒はパキスタンという分離独立に至った。


ヒンドゥー教はインドの伝統宗教、民族宗教であり、キリスト教やイスラーム教、仏教のような始祖と経典を持たないという点で、日本の神道・仏教のようなアイマイさ(厳格な教義や宗派対立がない)が支持されているようだ。


ちなみに日本の宗教は「一所懸命に努力すれば望みを叶えられる、天も応援してくれる」という“運・幸福を招くお札・祈祷の癒し系ビジネス”という感じだ。それでも聖地であり、参拝者はしっかりと頭を垂れ、心清らかに手を合わせる、謙虚に祈る、それが日本の伝統になっているのはいいものだ。


イスラーム教、キリスト教はある面で「融和ではなく対立」をもたらしている、宗教戦争の延長戦みたいに正義と思えばテロや謀略も辞さない、油断できない怪しい宗教である、と世界中の人々が思うようになってきたのではないか。


宗教者と支持者は既得権益層になり、信者以外は排除され、政治経済でも大きな影響力を持ち、政教分離どころか政教一致、言論弾圧も進んでいるような気がする。預言者シーチン曰く「彼らが自ら変わらなければやがて宗教は民から見放される」。中共もまた然りだ。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp