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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(131」

2021-01-06 19:35:58 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(131」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/229(2021/1/6/水】中共コロナ禍2年目に突入、出口はまだ見えない。逼塞生活は当分続くのだろう。ヒッキー歴20年の小生は1~2時間の散歩だけで気分が晴れるが、現役バリバリの健常者にはずいぶんな苦痛だろう。飲み会で感染した、なんて始末書ものか?


「広くて自由な空間で生まれ育った動物は、狭い空間で暮らすようになるとストレスから精神異常になりやすい」と言われる。


これは人間も同じで、精神科医・作家の加賀乙彦が東京拘置所医官を勤めていた時の体験を伝えた「死刑囚の記録」でも報告されている。小生も“赤色革命トロツキー症悪性クラスター”として独居房に隔離、押し込められていたから、狭い空間で拘束されていると精神がおかしくなるというのは身に染みて理解できる。


ヤクザなど「塀の中の懲りない人々」は、懲役での工場作業があるから耐えられるようなもので、ルール違反すると独居房行き、海千山千の極道にとってさえ狭い密閉空間は懲罰房、一種の虐待、拷問なのだ。


それは犯罪者・未決囚・容疑者の苦情で、世間から見れば「悪事をなしたのだから当然の報い、二度と法を犯すな」、まず同情されない。日本と比べると欧米の収監施設は天国のようだから全然懲りないみたいで、出所から1年以内の再犯率は英国28.5%、米国45%。出所後5年以降だといずこも50~60%を超えるようだ。


日本では出所後の期間は限定しないが48.8%で「1997年以降、再犯者率は一貫して増え続けている」という。デジタル化、機械化が急速に進んだため、これという能力はないだろう前科者の職域は縮み、更生に理解ある職場は少ないし、単純労働には外国人が浸透しているので、社会復帰は容易ではない。結局、運が良ければ生活保護を受けられるが、再犯を重ねる累犯者“懲役太郎”への対策は進んでいるとは言い難い。コロナ禍の今は「それどころじゃない」か。閑話休題。


Books & Apps というサイトでは密閉空間が人間に及ぼす影響をこう説明している。


<人間は、外の世界から断絶された極度に狭い一ヶ所に閉じ込められ、距離をとることができない集団生活をさせられると、ひどく残虐な行為をする傾向がある。米国の心理学者であるフィリップ・ジンバルドーが行った「スタンフォード監獄実験」という有名な実験がある。


ジンバルドーは公募した米加の中流家庭出身の「十分に分別があり、情緒的に安定した、正常で、知的な」男子大学生24人をスタンフォード大学地下の実験室に閉じ込めた。そして半数に看守役を、半数に囚人役を割りあて、2週間の時を過ごさせるという実験を行った。


驚くべきことに実験は終了を待たず、6日で中止された。当初は被験者達は人間味のある振る舞いをしていたようだが、時間がたつにつれてどんどん現実と与えられた役割の境目が分らなくなっていったのである。その結果、看守役の被験者たちは囚人役の人間を動物のように扱うようになったのだという。


「十分に分別があり、情緒的に安定した、正常で、知的な」大学生ですら、閉鎖空間に幽閉されると、たったの6日で人を人とも思わぬ扱いをするようになるのである。閉鎖空間という環境は、人から人間性を容易に奪い去るのだ」>


小生の経験からするとこれは真実に近い。キリスト教では「置かれた場所で咲きなさい」というけれど、優しい先生でもイタズラ坊主の騒々しいクラスを持たされたら「怖い先生」にならざるを得ない。つい最近まで米加の小中学校ではムチによる体罰が当たり前だったのだ。(日本では1964年あたりまでビンタ、拳骨が主流。父兄の圧倒的支持を受けていたものだ)


国家のトップに立ったものの反対勢力が暴れまくって手に負えない、軍隊で抑え込むしかない、結局は強権独裁者になってしまったというケースは珍しくない。反対に容赦なく敵を殺しまくったが、国王になったら君子豹変、名君になったというケースもある。良きにせよ悪にせよ、人間は「与えられた役割を演じる」動物なのかもしれない。


イケイケドンドンの高度成長期、先進国では「企業戦士は24時間働く」のが珍しくなかった(時差の関係もある)。「うちの会社はスゴイ、男は30歳で白髪、女は25歳で生理不順が当たり前、子供のできない体になる」というモーレツ会社のボディコン美女と飲んでいたら、まだ宵の口の9時なのに「もう帰らないと・・・家でシャワーを浴びて、着替えて、会社に戻らないと・・・」と逃げられてしまった。その上司に苦情を言うと「ハハハハハ、うちは皆そうよ、波に乗っていないと不安なのよ、置いてけ堀を食っちゃうみたいで・・・」。


会社、職場が「24時間戦士」を求めると、社員もその役割を演じようと努力する。営業マンの義兄は週日は午前様、週末はゴルフ接待、「年中無休24時間営業」、一種の拘禁症のよう。疲れるが、そういう時代で、ここはファイト一発、小生は社員にリポDとビールを差し入れたものだ。WIKIから。


<拘禁反応:強制収容所や捕虜収容所等の監禁施設、刑務所や拘置所等の刑事施設、精神科の閉鎖病棟など、強制的に自由を抑圧される環境に置かれた人が示す人格の変化を指す。拘禁症、拘禁病と表記される場合もある>


「あしたのジョー」は燃え尽きて真っ白な灰になった。


<燃え尽き症候群、バーンアウト(英: Burnout):一定の生き方や関心に対して努力した人が期待した結果が得られなかった、あるいは目標を達成したあとに生じる虚脱感、徒労感、欲求不満 。慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲を無くし、社会的に機能しなくなってしまう 症状。一種の心因性(反応性)うつ病とも説明される>


こうなると完全に病気で、小生のように幽明境を異にする塀の上の怪人になりかねない。人間をやめる前に「こんな生き方をしていたら破滅だ」と気づいた人は「コクーニング(Cocooning)」により再生を図る。この言葉は独房で「生息環境が混雑しすぎる、狭すぎると動物は異常行動をする、発狂する」と知ったのだが、正確には「そうならないように危機に際しては『緊張緩和や癒しが必要』」という意味だそうだ。


1)社会生活に疲れ果てたときは、カイコが繭をつむぐように家庭を大事にし、再創造しようとするライフスタイル。ストレスの多い都市から離れて、自然や人情にあふれた山渓的生活のすすめ。(仕事さえあれば移住したい人はずいぶん多いのではないか。現状は仕事がない、刺激がない、医院がない、店舗がない、若者がいない、学校がない・・・フロンティア開発特区(ITから農林水産業まで)を造って優遇しないと一歩も前進しない)


2)ワクチンの集団免疫効果のことを「無力な新生児・乳幼児をあたかも繭(Cocoon)でくるむように大切に守り育てる」という意味でコクーニング戦略と言う。


要は「癒しが必要」ということだ。コロナ禍の真っ最中にこう言うのもなんだが、日本での死者数は1月3日時点で累計3632人、重症化リスクが高い60歳以上の割合は26%・・・


日本の交通事故による死傷者数は年間80万(一生後遺症で苦しむ人もいる)、うち死亡者は4000人(24時間以内の死亡は3000人だが、それ以降の死亡は1000人ほどいるのではないか)。すさまじい被害だが、自動車の利便性、経済効果と比較すれば気になる数ではないというのは国民的同意であり、「自動車、ダメ絶対!」なんて騒いだら「頭おかしいんじゃない?」となるだろう。


日本の年間の病気・事故などによる死亡数は138万人で、うち悪性新生物/腫瘍の死亡数は38万人で、「死亡総数に占める割合」は27.3%。一方、コロナ死亡者は0.026%・・・恐れるほどの数字なのかどうか。


マスコミはコロナ禍の恐怖を煽っているが、日本の2019年のインフルエンザの死者は3571人、2020年のコロナ禍は死者3600人・・・単純に比較はできないだろうが、日々大騒ぎをしていると「角を矯めて牛を殺す」ことにならないか。小生はその方が心配だが・・・


毛沢東曰く「核戦争で人民の半分が死んでもどうということはない、まだ3億もいる。大体我が国は人口が多すぎる」。世界人口はあっという間に倍増して75億、多すぎないか? 大事なのは子供、その親、社会に貢献する経営者、職能人、そしてドンジリは小生のような役目を終えた人・・・命の重み、優先順位は自ずから知れている、トリアージを冷静に、真剣に考える時だ。


ドゴールは米国依存のフランスの将来を危惧し冷静に、真剣に考えた。前回に続いて伊藤貫著「歴史に残る外交三賢人」から咀嚼、引用する。


<トルーマン政権からケネディ政権までの米国の対仏政策の基本は「米軍をフランスに長期間駐留させる。仏が独自の軍事政策と外交政策を実行できないようにする。たとえソ連が核ミサイルを大量生産しても、仏が自主的な核抑止力を持つのを許さない」というものであった。


マテリアリスト帝国の米国に対して知的・文化的な優越感を抱いていた誇り高き愛国者ドゴールは、このような米国の対仏支配政策に猛然と反発した。


(マテリアリスト:唯物論者、物質信仰、国家、政治の基本は軍事力と経済力=国民を満腹にすることとし、それを優先する政治家。国民は衣食足りて礼節を知るか、あるいは物欲ばかりが肥大化して弱体化し、やがて亡国か。歴史を振り返れば盛者必滅、基本的に亡国になるケースが多い。米中の2大帝国はその過程にあるような気がするが・・・)


彼はケネディに対して「自国の防衛義務を自分たちで果たさないような国家には、偽物の皮相なレジティマシー(正統性、正当性、合法性、妥当性、合理性。道理にかなっていること。国民国家であるための論理的な裏付け、基礎、基盤、骨格)しかない。他国に安全保障策の根幹を決めさせるような国は長期間存続することができない」と反論したのである。極めて正当な反論であった。


キッシンジャーは彼の学界デビュー作「A World Restored」(1957)において、「コラボレーショニズム(自国を統治した外国政府・軍隊に協力して、自分たちの利益と安全を確保しようとする考え)を続ける国は、国家としての正統/正当性を持たなくなる。国民は志気と責任感を喪失していく」と指摘した。


ドゴールも「コラボレーショニスト体制を続けていると、国家の意思決定能力が麻痺してしまい、知的・精神的な不毛国家となる」と述べていた。2人の指摘は、敗戦後の日本そのものである>(続く)


まったくその通り! 伊藤貫氏が米国に拠点を移したのも「不毛国家」を自覚しない日本は常に「井の中のカワズ」で世界、国際社会が見えない、それを見るためには国際政治の今の生々しい現場である米国に移るべしと判断したのだろう。


日本の国会の選挙目当ての討論なんて、あまりにもの枝葉末節、まるで世界動物園の爬虫類館のカエル、年がら年中、井戸の中、池の中でケロケロ、ゲロゲロやっているだけ、ちっともそのお目出たい小さな空間から外へ出ようとしない。志気と責任感のないケロンパ国民、銭ゲバ政治家、知的・精神的にひたすら劣化する不毛国家・・・一朝有事の際には草莽崛起するだろうと願ってはいるが、さてさてどうなるものやら。行く末を見届けたい、というのは生きる意欲にはなるが、ちょっと邪道か? 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp