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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(140」

2021-01-21 12:33:24 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(140」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/237(2021/1/21/木】繰り返すが、雀には大人・青年・子供という序列がある。餌場はその順番で、目上の食事中に目下が割り込もうとすると追い出されるが、大人はやがて消え、青年が大人になり、子供は青年になっていく。大昔からその繰り返しだ。順繰り。


人間も群れないと生きていけないから序列がある。大昔から部族対立はあり、常に合従連衡が進んで大きな群れになっていったが、農業・畜産が普及すると定住が進み、農地・草地や水をめぐる争いもあってさらに大きな村、やがて大中小の国になったのだろう。


外交、内政のために長老の中から統治者が生まれる。国民をまとめるタガだ。統治者をめぐる争いを防ぐためもあっただろうが、例えば10の有力者の中から順番で、あるいは巫女さんの占いで人事を決めていく。かくして支配階級とか身分制ができあがる。


王侯貴族武士庶民という序列、大人・青年・子供という序列、難しい仕事ができる奴と、それができない奴、(国によっては最下層の捕虜・奴隷)という序列が生まれる。


この身分制は日本では定住が始まった縄文時代辺りから明確になっていき、農耕定住の進んだ後期(弥生時代、西暦初期)にはほぼ定着したのではないか。その過程では一衣帯水の支那大陸、朝鮮半島の影響は当然大きかったろう。


時代が進むにつれて身分制という秩序が既成化、固定化され、それに上流(名門)は満足するが、下流は不満が募るばかりだ。欧州では1500年前後からキリスト教(?)の影響、聖職者の特権階級化への反発もあったのだろう、既得権益制度、身分制への疑問、反発が顕在化し、やがて宗教改革やフランス革命になり、平等主義や自由民主人権法治、共産主義といった価値観が広まっていった。今はその延長か。


ただ、人間は雀や金太郎飴ではなく、それぞれがそれなりの個性がある「考える葦」であり、能力差も大きい。


IQ(知能指数)は平均値を100として、IQ=90〜110は普通、90以下は知的発達が遅れている、110以上は知的発達が進んでいると解釈するのが一般的とか。85~115の間に68%が収まる一方で、115~130は高い、130以上はとても高いとされるが、「高い系」は5%ほどのようだ。東大生の多くは「高い系」だが、官庁には「民間では使い物にならないだろうなあ(変な奴)」という東大出が珍しくないから、高ければいいというわけではなさそうだ。


能力があり、根性があり、チャンス(機会)があれば上流階級、セレブになれる、尊敬される、豪邸、別荘、美人の嫁さん、美酒美食、この世の天国・・・というのは「アメリカンドリーム」だ、が、今は過去形になりつつあるようだ。


一般論だが、米国の実業界で出世するには「大卒」が最低条件だろう。親がそこそこのエリート、高収入でないといい大学(授業料も高い)へは入れない。平均以下の貧しい家庭の子は諦めざるを得ない、が、優秀なら支援制度や入学、就職における優遇制度も用意されている。(逆差別という批判もある。その実態は後日報告したい)


小生は知らなかったが、米国には「ギフテッド教育、gifted education」という英才教育がある。神から授かった生来の能力は千差万別である、優れた能力を期待できる子には、その才を活かせるように教育する、それは国益になるというものだ(恒吉僚子「人間形成の日米比較」)。


どういう子が「ギフテッド」の対象になるか。「知的、創造的、芸術的領域、あるいはリーダーシップの能力や特定の勉強分野などにおいて優れた潜在的能力を示し、このような素質を最高の次元にまで発達させるためには、一般に学校が準備していないサービスや活動を必要とする」者だ。学力テストでは「成績優秀な児童しか見つからないし、問題児が混じる」から不適当で、IQ、教師の評価、推薦、成績、インタビューなどが重視されるという。


学力的にはトップの数パーセント、IQ141以上、まるでエジソンとかビル・ゲイツのような世界を変えるほどの発明家、人材を育成したいのだろう。


人間には能力差や個性があり、優れた人、デキル人はやがて上流階級になり、子々孫々、恵まれた生活になる。優れた能力がない人は並の中流か、それ以下で、子々孫々、上流にはなれない。是非はともかく、それは自然だろう。格差が大きくなって階級対立が深刻化しないように税制や福祉、喜捨の制度はあるものの、下層から上層へ這い上がるには相当な努力が必要で、恐らく3代、4代はかかるのではないか。


小生は「才能とは努力する能力」だと思っている。ところが「努力なんて御免だ、俺は面白可笑しく楽しく暮らしたいんだ、説教なんてうんざり、高校中退、学歴もない、手に職もない俺が努力したってどうせ日給月給の日雇いよ、ほっといてくれ」という若者は少なくないのではないか(小生が仲良しだった従兄のケンちゃんちょっと嫌なことがあると我慢ができずに職を転々、最後は自殺した)。それほど極端でなくても、自分を磨く、切磋琢磨する、商品価値を高める、一流を目指そうという気概がなければとても“出世”はできない。


下層民は負のスパイラルからなかなか抜け出せない、それは自己責任でもあるが、例えば“お受験階級”といった身分制度のような社会的な壁もあり、その壁が突破し難くなると「諦念か、それとも改革・革命か」という選択になりやすい。社会不安は国家の安定を脅かすから、特に選挙を正当性の基盤とする国民国家の為政者は、民の圧倒的多数を占める中流・下層の人々にうける政策を進めざるを得ない。失敗すれば“微笑みの国”と自称していたタイでさえ求心力を失い、“ナンカナーの国”になってしまう。一歩間違えれば内乱だ。


ひもじい思いをしなくなっただけでそこそこ満足していた国民は、やがてこれも欲しい、あれも欲しい、金持ちはいい暮らしをしているのに私は惨めだ、私にもいい暮らしをする権利がある、大学へ行く権利がある、それなのにお金がないから希望を実現できない、そんな暮らしにはもう耐えられない・・・政治だ、政治が悪いからだ、今度の選挙では野党を支持しよう・・・


結局、福祉を手厚くしたりする大衆迎合的なバラマキ政治になり、創意工夫、勤勉努力といった国民精神が弱り、ご先祖様の建国理念、原点である「富国強兵、自尊自立、凛とした国家」といった精神は薄れていくばかりだ。


国家の弱体化、国民同胞の結束力の後退、歴史文化の否定・・・共産主義者は「自由平等、機会均等、地主や資本家のいない、搾取のない、飢餓もない、誰もが夢を実現できる世界、理想郷を築こう」と甘言を弄し既存秩序を否定するが、現実は「党員のための党員による党員の独裁国家」を目指しており、やがて党員は永久貴族に、人民は永久奴隷になるのだ。それに国民が気付いたところで、too late、 苦情を言えば殺されるだけ・・・


そういうことを日米はじめ諸国の国民は知らないし、日々の衣食住&娯楽が大事だから興味もないだろう。政治家、国民ともに劣化、これを如何せん・・・カナリヤのような言論人が「狼だ、狼が来る、みんな気を付けて!」と警告し続けるしかない。寄せては返す波の如く、くさらず、しこしこ、やがては戦狼包囲の長城完成を信じて・・・世界史の大転換をこの目で見たいものである。
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp