日本独立の好機到来
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」51/通算483 2022/6/6/月】2年半も世界の人間を不安にさせているコロナ禍が終息へ向かっているらしい。ここ4、5日ほどのチャリ散歩で観察するとノーマスクの人、特に男が少しずつ増えてきた。
日本人は子供の頃からマスクに慣れているから、「マスク着用を」と言われれば「まあ、しゃーない」とほとんど抵抗、反発しないし、人出の少ない屋外ならノーマスクでもいいよと言われても「まあ様子見でしばらくはアゴマスクでいくか」なんて感じである。
弥生時代以降の農耕民族化で、村の取り決めたルールは守りましょうという遵法意識が強いのかも知れない。従わなければ「村八分」という制裁もあった。聖徳太子の十七条憲法の第一条は「和を以て貴しとなす」で、これは儒教、仏教の教えでもある。我が民族は個性よりも「和」「団結」「遵法」が大好きなよう、「付和雷同」という面もあるけれど。
聖徳太子(574年生)の時代は、支那を300年ぶりに再統一した「隋」(581~618年)の時代だ。日本民族が小異を捨てて大同(和)につかなければ隋に併呑されてしまうという危機感があったろう。聖徳太子は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」という天皇国書を隋の煬帝に送っている。「教えて!goo」によると――
<589年、大陸では隋が天下統一を果たした。満州地区にあった高句麗は強大な隋と隣接することになった。593年、日本では推古天皇が即位。厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子になり、同時に摂政に就任。天皇から国政の多くを委任された。大臣には蘇我馬子が留任した。
蘇我馬子の配下には渡来系の氏族が多く、日本の朝廷はその人脈を利用して高句麗政府に対して仏僧の派遣を要請した。
高句麗王は、隋帝の朝貢要求に応じなかったため、二国の関係が険悪になっていた。
高句麗王は、この際、日本に近づき同盟関係を結ぶ方が隋への牽制にもなり有利であると考え、595年、政治にも仏典にも強い僧、慧慈を派遣した。蘇我馬子は慧慈を朝廷の外交顧問に就かせると同時に、皇太子の家庭教師をも務めさせた。
600年、日本は隋の動きを偵察するため遣隋使を派遣した。日本の朝廷では、慧慈ら高句麗関係の人脈を通じて得られる大陸の政治情報や、遣隋使の帰国報告をもとに対隋外交政策を練った。
隋と高句麗は国境で数度、武力衝突したが、いずれも高句麗側の優勢で終わっている。「今ならば、日本は隋に対して強い態度で臨んでも、隋が日本を武力で攻めることはあり得ない」と判断した。だから「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す・・」と事実上の「独立宣言」をしたのである。
607年、小野妹子を団長とする訪中団を送り込み、前記の天皇親書(国書)を持たせたのだが、果たして日本側の読みは当たった。隋の煬帝は、日本の天皇親書には腹が立つけれども、ここで対日関係を悪化させるのはまずい、高句麗だけでも手ごわいのに、高句麗-日本連合軍と戦うわけにはいかない、ここは我慢して、答礼使節を日本へ派遣し、日本の天皇のご機嫌をとろう、と小野妹子の帰国に合わせて訪日団を送ってきた。
日本の朝廷は国際社会の情勢を的確に読んで、チャンスをうまく利用した。見事な駆け引きだった>(hinode11さん)
それから1400年経っても支那は日本にとって気を許せない危険な大国である。中共建国の父、毛沢東曰く――
<戦争。人類が互いに殺し合うこの怪物は、終局的には人類社会の発展がこれを消滅するし、それは遠くない将来だろう。だが、その方法は一つしかない。
戦争をもって戦争に反対し、革命戦争をもって反革命戦争に反対し、民族革命戦争をもって民族反革命戦争に反対し、階級的革命戦争をもって階級的反革命戦争に反対することである。
歴史上の戦争には、正義のものと不正義のものとの二種類しかない。すべての革命戦争は正義である。我々は正義の戦争を支持する。我々の戦争は正義であり、人類を救い、中国を救う光栄ある事業であり、全世界の歴史を新しい時代に移す架け橋である。
革命の中心任務と最高の形態は、武力による政治権力の奪取、戦争による問題の解決である。このマルクス・レーニン主義の革命原則は普遍的に正しい。武装闘争なしには今日の共産党もあり得ない。共産党員の一人ひとりが「鉄砲から政権が生まれる」という真理を理解すべきである。血をもってあがなわれたこの経験を全党の同志は忘れてはならない>
毛沢東は、演説は朴訥かつ苦手だったようだが、文字によるアジテーターとしては超一流だ。熱狂させて垂らし込む、カリスマ性のある指導者だ。中学校の先生をしていたインテリであり、詩人でもあった。演説や会話が朴訥で短くても相手のハートをつかむのが上手かったのは詩人だったからだ。一言一句が練りに練られていて、それは「誠実で驕らない指導者」と受け取られた。
習近平の演説とは雲泥の差で、教養学問のなさ、人徳のなさ、やたらと長いだけで居眠りしたくなるような演説とは大違いだ。共産党員はそれを暗記しないと出世できないらしい。「私の提案は、習近平主席が先の視察で訓示した○○に基づいている。反対するのは習近平主席への裏切りではないか」などと“虎の威を借りる狐”も多そうだ。ブレーキがない独裁統治・・・危険極まりない。
習近平の妄想的「夢」は、支那を赤化統一した建国の父、毛沢東に並び、さらに毛沢東を超えてアジア全域を赤化統一することだろう。しかし、最近では習近平の教条主義的なコロナ禍対策が経済に大ダメージを与えていることで李克強派が存在感を復活させつつあり、同時に習の健康不安説も聞かれ、求心力はずいぶん弱まっているようだ。
キツネとタヌキの騙し合い? 習の盟友プーチンはソ連帝国復活の夢を見ている。建国の父レーニンは病気のデパートになってボロボロ、凄まじい最期だったが、プーチンも年内もつかどうか、かなり怪しい感じがする。
毛沢東は1972年あたりにはALS(筋萎縮性側索硬化症)やパーキンソン病だったようで、同年に訪中したニクソン米大統領はこう回顧している。
「毛の病状は見るも無残だった。部屋に入った私を迎えて立つのさえ、秘書の手を借りなければならなかった。『上手く話せないので』と謝り、周恩来が後で気管支炎だと説明したが、明らかに卒中の後遺症だった。しわはないが薄い黄色した肌は、まるで蝋のように見えた。表情は穏やかなものの、動きはなく・・・」(小長谷正明著「ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足」)
ニクソンの電撃訪中は丁度50年前の1972年2月21日、世界を驚かせて「ニクソン・ショック」と呼ばれた。今から思えば米国がモンスターを育ててしまったわけだ。自称リベラルは共産主義への認識が甘く、よせばいいのにパンダを装ったヒグマを餌付けして大きく育て、今や咬みつかれるか食われるかになってしまった。
里に下りてきたヒグマは速攻で駆除すべし、さもなければ世界も日本も餌食になる、そのイロハが全然分かっていないのは共産主義についてほとんど無知だから。
共産主義は「アカの、アカによる、アカのための独裁統治」であり、党員とシンパだけが美味しい思いをし、庶民はまるで奴隷扱い。どれだけ多くの人が殺されたり悲惨な目に遭ってきたか・・・
ウクライナは「もう二度と共産主義には屈服しない」と今戦っている。リベラルを装うアカどもはプーチンの侵略を容認し「手打ちせよ」と被害者のウクライナに迫っている。そういう連中、適性国民は“この世の天国”中露北に行って、日本国籍を離脱すればいいのに、そんな殊勝な奴は一人としていない。
人間は弱い存在であり、強者から脅かされれば己の命、家族のために屈服しやすい。だからこそ一度たりとも共産主義者に政権を取らせてはいけない。自由民主人権法治が機能している間に共産主義者を自滅、根絶させなければならない、ということ。日本共産党、立憲民主党、その支持者は、日本を弱体化させ、習近平の侵略を呼び込み、日本を中華人民共和国倭人自治区にしたいのだから。
古森義久先生の「プーチンを見習う習近平、台湾侵攻では最初から『核威嚇』か 米国も欧州諸国も委縮させたロシアの“脅し”」JBプレス2022/6/1から。
<中国は、ロシアによるウクライナ侵略での核兵器使用の脅しが効果をあげたことを教訓として、台湾侵攻に際しては初期段階から米国や日本への核の威嚇へと走るだろう――ワシントンの中国や核戦略の専門家の間で、こうした見解が具体的に表明されるようになった。
ウクライナではプーチン大統領の核威嚇に対して、米国のバイデン政権が対決を恐れて消極的な姿勢のままとなった。習近平国家主席はその姿勢を見て、核の威嚇が台湾有事への米国の介入阻止の有効策になると判断したからだという。
【見事に成功したプーチン大統領の核威嚇】中国の台湾攻略での核兵器使用の威嚇を予測したのは、ワシントンの大手研究機関「戦略予算評価センター(CSBA)」の上級研究員のヨシハラ氏と、同研究部長のモンゴメリー氏である。2人はこのほど「ウクライナ後の台湾への危機」という論文を軍事戦略専門誌に共同で発表した。ヨシハラ氏は中国の戦略動向に関する研究では全米有数の権威とされる。モンゴメリー氏は核戦略研究の専門家である。
ウクライナ戦争では、プーチンは侵略を開始した2月24日の3日後の27日に、ロシア軍の核抑止部隊に「特別な臨戦態勢」の発動を命令した。同時にプーチンはウクライナでの戦闘に米国などが介入すれば、「即時にこれまで誰もみたことのない激烈な結果を招く」とも述べ、核攻撃を示唆した。
プーチンのこうした核威嚇の基礎には、ロシア軍の「戦術核兵器の限定使用」という基本戦略が存在する。小規模な地域戦争において、敵が非核であっても、「エスカレーションを防ぐための戦術核兵器使用」という選択肢があることが「ロシア連邦の核抑止分野での国家政策の基本的原則」で明記されているのだ。
プーチンのこの核威嚇に対してバイデン政権はとくに対抗や報復の核抑止策には触れず、3月上旬に予定していた新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を中止した。ロシアを刺激しないための中止とされる。さらにバイデン政権は、その時点で検討していたウクライナ上空の航空機飛行禁止令を出すことも、ロシア側の反発への懸念から抑制した。
バイデン政権高官たちは、ロシアとの全面対決による第3次世界大戦の勃発だけは避けねばならないという趣旨の発言を重ねた。この米国側の反応は、ロシアの核威嚇が効果をあげ、バイデン政権がさらなる消極姿勢をとることになる証しと解釈された。
北大西洋条約機構(NATO)加盟の西欧諸国も同様に、ロシアの核威嚇に衝撃を受けた様相をみせた。その意味ではプーチンの絶壁際での核威嚇は見事に成功したといえる。
【日本にも向けられる中国の「核の恫喝」】ヨシハラ氏らは前記の論文で、習近平は確実にこのロシアの成功を教訓にするだろうと明言していた。ヨシハラ氏はさらに中国の台湾攻略時の核恫喝は日本にも向けられると警告する。それでなくても中国では、台湾有事に日本の自衛隊が参加すれば日本本土に核攻撃をかけるという軍事動画が全土に流れたことがあるのだ。
台湾有事をめぐる長年の論議では、これまで核兵器という要素が語られることはまずなかった。だがウクライナ戦争が期せずして「中国→台湾→核威嚇→米国」という新たな戦略的連鎖の思考を生んだわけだ。その連鎖の発端はプーチンのロシア軍の核抑止部隊への特別臨戦態勢命令だったわけである。
ヨシハラ氏らの同論文は、さらに以下の趣旨を述べていた。
▼プーチンの核威嚇はバイデン政権をたじろがせた。核戦略態勢を主導する米国は、本来なら示すべき核抑止の明確な反応を示さなかった。西欧諸国も怯えた形となりウクライナへの軍事介入にはより慎重になった。
▼中国にとって、ロシアの限定的な戦術核兵器の使用の威嚇に米国が正面から抑止の反応をみせなかったことは意味が大きい。台湾侵攻の際に、中国は核使用の示唆によって米軍や日本、オーストラリアなどの軍事介入を阻止できるかもしれないという核オプション(選択肢)を得たといえる。
▼中国は台湾攻撃にあたって、作戦の冒頭で核兵器使用の脅しを表明する見通しが強くなった。その際に中国は年来の核先制不使用の方針を崩すこととなるが、核の恫喝によって作戦の始めから米軍の介入や日本の軍事的な支援、参加を防げるという効果は巨大となる。
要するに、ロシアがウクライナで核兵器使用の可能性を示唆したことに対し、バイデン政権が対抗の言動をとらなかったことに中国は勇気づけられ、同じ作戦を台湾攻撃でも採用するだろう、という考察なのである。
となると台湾有事にも核の脅威が現実に浮上することになる。日本がその脅しの標的となる危険性も当然ある、というわけだ。そんな重大な警告なのである>
「革命のためなら親でも殺す」・・・真っ赤に染まっていた19歳の小生がこう言うと、義兄から「バカか、お前は・・・何を言ってるのか!」と怒鳴られた。小生はその場の勢いでそう言ったのだろうが、さすがに「言い過ぎた」と恥ずかしくなった。完全にイカレポンチ。
アカに洗脳されると人間としての良識がなくなるのだ。中核派弁護団事務局の中にもカンパをくすねて会うたびに服装が高級化している奴がいた。ブント(共産主義者同盟)では高級車を乗り回す幹部もいたという。労組の専従みたいに利権に群がる人々・・・日本学術会議も一緒か? 共産主義は人間を堕落させる。
プーチンも習近平も含めて独裁者は蓄財畜妾美酒美食に走りやすいよう。「俺は正義だ、俺は神だ」という独裁者にはブレーキがないから欲望のアクセルを踏みっぱなしになる。今は国際包囲網を喰らって下り坂だが、彼らは共産主義者だから「一点突破、全面展開」へ確実に向かう。
プーチン&習近平の“ダーティペア”は国力がまだある年内にも世界制覇を目指し、世界を破壊する「世界革命戦争」を起こすだろう。「座して死を待つ」より世界を革命せよというのがマルクスの教えである。「共産党宣言」(1848年)に曰く――
「共産主義者は、その主義主張を隠すことを恥とする。我々は公然と宣言する。我々の目的は、これまでのすべての社会組織を強力的に転覆することによってのみ達せられる。支配階級をして共産主義革命の前に戦慄せしめよ。プロレタリアは鎖よりほかに失うべき何ものもない。そして彼らは、勝ち取るべき全世界を持っている。万国のプロレタリア団結せよ!」
170年も経つとマルクスもビックリ! 2大共産主義国が最悪の個人独裁国家になっているのだから・・・ダーティペアが目指すのは己の命と財産、独裁者としての地位である。内戦を防ぐために外戦=侵略戦争を起こすのは独裁者の常套手段だ。
これを阻止するために自由世界がすべきは、包囲網の強化、核兵器などによる軍事力の強化に加えて、露中の体制変換を目指す民主主義革命を武器、資金面で支援することだ。内戦を支援する・・・これはダーティペアが一番嫌うことだろう。東部、極東で日本ができる露中への圧力は、ユーラシア西部およびアジア太平洋での民主派の戦いを有利にするだろう。「一点突破、全面展開」、日本が独立を取り戻す好機でもある。
・・・・・・・・・・・・・・
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“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」51/通算483 2022/6/6/月】2年半も世界の人間を不安にさせているコロナ禍が終息へ向かっているらしい。ここ4、5日ほどのチャリ散歩で観察するとノーマスクの人、特に男が少しずつ増えてきた。
日本人は子供の頃からマスクに慣れているから、「マスク着用を」と言われれば「まあ、しゃーない」とほとんど抵抗、反発しないし、人出の少ない屋外ならノーマスクでもいいよと言われても「まあ様子見でしばらくはアゴマスクでいくか」なんて感じである。
弥生時代以降の農耕民族化で、村の取り決めたルールは守りましょうという遵法意識が強いのかも知れない。従わなければ「村八分」という制裁もあった。聖徳太子の十七条憲法の第一条は「和を以て貴しとなす」で、これは儒教、仏教の教えでもある。我が民族は個性よりも「和」「団結」「遵法」が大好きなよう、「付和雷同」という面もあるけれど。
聖徳太子(574年生)の時代は、支那を300年ぶりに再統一した「隋」(581~618年)の時代だ。日本民族が小異を捨てて大同(和)につかなければ隋に併呑されてしまうという危機感があったろう。聖徳太子は「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」という天皇国書を隋の煬帝に送っている。「教えて!goo」によると――
<589年、大陸では隋が天下統一を果たした。満州地区にあった高句麗は強大な隋と隣接することになった。593年、日本では推古天皇が即位。厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子になり、同時に摂政に就任。天皇から国政の多くを委任された。大臣には蘇我馬子が留任した。
蘇我馬子の配下には渡来系の氏族が多く、日本の朝廷はその人脈を利用して高句麗政府に対して仏僧の派遣を要請した。
高句麗王は、隋帝の朝貢要求に応じなかったため、二国の関係が険悪になっていた。
高句麗王は、この際、日本に近づき同盟関係を結ぶ方が隋への牽制にもなり有利であると考え、595年、政治にも仏典にも強い僧、慧慈を派遣した。蘇我馬子は慧慈を朝廷の外交顧問に就かせると同時に、皇太子の家庭教師をも務めさせた。
600年、日本は隋の動きを偵察するため遣隋使を派遣した。日本の朝廷では、慧慈ら高句麗関係の人脈を通じて得られる大陸の政治情報や、遣隋使の帰国報告をもとに対隋外交政策を練った。
隋と高句麗は国境で数度、武力衝突したが、いずれも高句麗側の優勢で終わっている。「今ならば、日本は隋に対して強い態度で臨んでも、隋が日本を武力で攻めることはあり得ない」と判断した。だから「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す・・」と事実上の「独立宣言」をしたのである。
607年、小野妹子を団長とする訪中団を送り込み、前記の天皇親書(国書)を持たせたのだが、果たして日本側の読みは当たった。隋の煬帝は、日本の天皇親書には腹が立つけれども、ここで対日関係を悪化させるのはまずい、高句麗だけでも手ごわいのに、高句麗-日本連合軍と戦うわけにはいかない、ここは我慢して、答礼使節を日本へ派遣し、日本の天皇のご機嫌をとろう、と小野妹子の帰国に合わせて訪日団を送ってきた。
日本の朝廷は国際社会の情勢を的確に読んで、チャンスをうまく利用した。見事な駆け引きだった>(hinode11さん)
それから1400年経っても支那は日本にとって気を許せない危険な大国である。中共建国の父、毛沢東曰く――
<戦争。人類が互いに殺し合うこの怪物は、終局的には人類社会の発展がこれを消滅するし、それは遠くない将来だろう。だが、その方法は一つしかない。
戦争をもって戦争に反対し、革命戦争をもって反革命戦争に反対し、民族革命戦争をもって民族反革命戦争に反対し、階級的革命戦争をもって階級的反革命戦争に反対することである。
歴史上の戦争には、正義のものと不正義のものとの二種類しかない。すべての革命戦争は正義である。我々は正義の戦争を支持する。我々の戦争は正義であり、人類を救い、中国を救う光栄ある事業であり、全世界の歴史を新しい時代に移す架け橋である。
革命の中心任務と最高の形態は、武力による政治権力の奪取、戦争による問題の解決である。このマルクス・レーニン主義の革命原則は普遍的に正しい。武装闘争なしには今日の共産党もあり得ない。共産党員の一人ひとりが「鉄砲から政権が生まれる」という真理を理解すべきである。血をもってあがなわれたこの経験を全党の同志は忘れてはならない>
毛沢東は、演説は朴訥かつ苦手だったようだが、文字によるアジテーターとしては超一流だ。熱狂させて垂らし込む、カリスマ性のある指導者だ。中学校の先生をしていたインテリであり、詩人でもあった。演説や会話が朴訥で短くても相手のハートをつかむのが上手かったのは詩人だったからだ。一言一句が練りに練られていて、それは「誠実で驕らない指導者」と受け取られた。
習近平の演説とは雲泥の差で、教養学問のなさ、人徳のなさ、やたらと長いだけで居眠りしたくなるような演説とは大違いだ。共産党員はそれを暗記しないと出世できないらしい。「私の提案は、習近平主席が先の視察で訓示した○○に基づいている。反対するのは習近平主席への裏切りではないか」などと“虎の威を借りる狐”も多そうだ。ブレーキがない独裁統治・・・危険極まりない。
習近平の妄想的「夢」は、支那を赤化統一した建国の父、毛沢東に並び、さらに毛沢東を超えてアジア全域を赤化統一することだろう。しかし、最近では習近平の教条主義的なコロナ禍対策が経済に大ダメージを与えていることで李克強派が存在感を復活させつつあり、同時に習の健康不安説も聞かれ、求心力はずいぶん弱まっているようだ。
キツネとタヌキの騙し合い? 習の盟友プーチンはソ連帝国復活の夢を見ている。建国の父レーニンは病気のデパートになってボロボロ、凄まじい最期だったが、プーチンも年内もつかどうか、かなり怪しい感じがする。
毛沢東は1972年あたりにはALS(筋萎縮性側索硬化症)やパーキンソン病だったようで、同年に訪中したニクソン米大統領はこう回顧している。
「毛の病状は見るも無残だった。部屋に入った私を迎えて立つのさえ、秘書の手を借りなければならなかった。『上手く話せないので』と謝り、周恩来が後で気管支炎だと説明したが、明らかに卒中の後遺症だった。しわはないが薄い黄色した肌は、まるで蝋のように見えた。表情は穏やかなものの、動きはなく・・・」(小長谷正明著「ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足」)
ニクソンの電撃訪中は丁度50年前の1972年2月21日、世界を驚かせて「ニクソン・ショック」と呼ばれた。今から思えば米国がモンスターを育ててしまったわけだ。自称リベラルは共産主義への認識が甘く、よせばいいのにパンダを装ったヒグマを餌付けして大きく育て、今や咬みつかれるか食われるかになってしまった。
里に下りてきたヒグマは速攻で駆除すべし、さもなければ世界も日本も餌食になる、そのイロハが全然分かっていないのは共産主義についてほとんど無知だから。
共産主義は「アカの、アカによる、アカのための独裁統治」であり、党員とシンパだけが美味しい思いをし、庶民はまるで奴隷扱い。どれだけ多くの人が殺されたり悲惨な目に遭ってきたか・・・
ウクライナは「もう二度と共産主義には屈服しない」と今戦っている。リベラルを装うアカどもはプーチンの侵略を容認し「手打ちせよ」と被害者のウクライナに迫っている。そういう連中、適性国民は“この世の天国”中露北に行って、日本国籍を離脱すればいいのに、そんな殊勝な奴は一人としていない。
人間は弱い存在であり、強者から脅かされれば己の命、家族のために屈服しやすい。だからこそ一度たりとも共産主義者に政権を取らせてはいけない。自由民主人権法治が機能している間に共産主義者を自滅、根絶させなければならない、ということ。日本共産党、立憲民主党、その支持者は、日本を弱体化させ、習近平の侵略を呼び込み、日本を中華人民共和国倭人自治区にしたいのだから。
古森義久先生の「プーチンを見習う習近平、台湾侵攻では最初から『核威嚇』か 米国も欧州諸国も委縮させたロシアの“脅し”」JBプレス2022/6/1から。
<中国は、ロシアによるウクライナ侵略での核兵器使用の脅しが効果をあげたことを教訓として、台湾侵攻に際しては初期段階から米国や日本への核の威嚇へと走るだろう――ワシントンの中国や核戦略の専門家の間で、こうした見解が具体的に表明されるようになった。
ウクライナではプーチン大統領の核威嚇に対して、米国のバイデン政権が対決を恐れて消極的な姿勢のままとなった。習近平国家主席はその姿勢を見て、核の威嚇が台湾有事への米国の介入阻止の有効策になると判断したからだという。
【見事に成功したプーチン大統領の核威嚇】中国の台湾攻略での核兵器使用の威嚇を予測したのは、ワシントンの大手研究機関「戦略予算評価センター(CSBA)」の上級研究員のヨシハラ氏と、同研究部長のモンゴメリー氏である。2人はこのほど「ウクライナ後の台湾への危機」という論文を軍事戦略専門誌に共同で発表した。ヨシハラ氏は中国の戦略動向に関する研究では全米有数の権威とされる。モンゴメリー氏は核戦略研究の専門家である。
ウクライナ戦争では、プーチンは侵略を開始した2月24日の3日後の27日に、ロシア軍の核抑止部隊に「特別な臨戦態勢」の発動を命令した。同時にプーチンはウクライナでの戦闘に米国などが介入すれば、「即時にこれまで誰もみたことのない激烈な結果を招く」とも述べ、核攻撃を示唆した。
プーチンのこうした核威嚇の基礎には、ロシア軍の「戦術核兵器の限定使用」という基本戦略が存在する。小規模な地域戦争において、敵が非核であっても、「エスカレーションを防ぐための戦術核兵器使用」という選択肢があることが「ロシア連邦の核抑止分野での国家政策の基本的原則」で明記されているのだ。
プーチンのこの核威嚇に対してバイデン政権はとくに対抗や報復の核抑止策には触れず、3月上旬に予定していた新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を中止した。ロシアを刺激しないための中止とされる。さらにバイデン政権は、その時点で検討していたウクライナ上空の航空機飛行禁止令を出すことも、ロシア側の反発への懸念から抑制した。
バイデン政権高官たちは、ロシアとの全面対決による第3次世界大戦の勃発だけは避けねばならないという趣旨の発言を重ねた。この米国側の反応は、ロシアの核威嚇が効果をあげ、バイデン政権がさらなる消極姿勢をとることになる証しと解釈された。
北大西洋条約機構(NATO)加盟の西欧諸国も同様に、ロシアの核威嚇に衝撃を受けた様相をみせた。その意味ではプーチンの絶壁際での核威嚇は見事に成功したといえる。
【日本にも向けられる中国の「核の恫喝」】ヨシハラ氏らは前記の論文で、習近平は確実にこのロシアの成功を教訓にするだろうと明言していた。ヨシハラ氏はさらに中国の台湾攻略時の核恫喝は日本にも向けられると警告する。それでなくても中国では、台湾有事に日本の自衛隊が参加すれば日本本土に核攻撃をかけるという軍事動画が全土に流れたことがあるのだ。
台湾有事をめぐる長年の論議では、これまで核兵器という要素が語られることはまずなかった。だがウクライナ戦争が期せずして「中国→台湾→核威嚇→米国」という新たな戦略的連鎖の思考を生んだわけだ。その連鎖の発端はプーチンのロシア軍の核抑止部隊への特別臨戦態勢命令だったわけである。
ヨシハラ氏らの同論文は、さらに以下の趣旨を述べていた。
▼プーチンの核威嚇はバイデン政権をたじろがせた。核戦略態勢を主導する米国は、本来なら示すべき核抑止の明確な反応を示さなかった。西欧諸国も怯えた形となりウクライナへの軍事介入にはより慎重になった。
▼中国にとって、ロシアの限定的な戦術核兵器の使用の威嚇に米国が正面から抑止の反応をみせなかったことは意味が大きい。台湾侵攻の際に、中国は核使用の示唆によって米軍や日本、オーストラリアなどの軍事介入を阻止できるかもしれないという核オプション(選択肢)を得たといえる。
▼中国は台湾攻撃にあたって、作戦の冒頭で核兵器使用の脅しを表明する見通しが強くなった。その際に中国は年来の核先制不使用の方針を崩すこととなるが、核の恫喝によって作戦の始めから米軍の介入や日本の軍事的な支援、参加を防げるという効果は巨大となる。
要するに、ロシアがウクライナで核兵器使用の可能性を示唆したことに対し、バイデン政権が対抗の言動をとらなかったことに中国は勇気づけられ、同じ作戦を台湾攻撃でも採用するだろう、という考察なのである。
となると台湾有事にも核の脅威が現実に浮上することになる。日本がその脅しの標的となる危険性も当然ある、というわけだ。そんな重大な警告なのである>
「革命のためなら親でも殺す」・・・真っ赤に染まっていた19歳の小生がこう言うと、義兄から「バカか、お前は・・・何を言ってるのか!」と怒鳴られた。小生はその場の勢いでそう言ったのだろうが、さすがに「言い過ぎた」と恥ずかしくなった。完全にイカレポンチ。
アカに洗脳されると人間としての良識がなくなるのだ。中核派弁護団事務局の中にもカンパをくすねて会うたびに服装が高級化している奴がいた。ブント(共産主義者同盟)では高級車を乗り回す幹部もいたという。労組の専従みたいに利権に群がる人々・・・日本学術会議も一緒か? 共産主義は人間を堕落させる。
プーチンも習近平も含めて独裁者は蓄財畜妾美酒美食に走りやすいよう。「俺は正義だ、俺は神だ」という独裁者にはブレーキがないから欲望のアクセルを踏みっぱなしになる。今は国際包囲網を喰らって下り坂だが、彼らは共産主義者だから「一点突破、全面展開」へ確実に向かう。
プーチン&習近平の“ダーティペア”は国力がまだある年内にも世界制覇を目指し、世界を破壊する「世界革命戦争」を起こすだろう。「座して死を待つ」より世界を革命せよというのがマルクスの教えである。「共産党宣言」(1848年)に曰く――
「共産主義者は、その主義主張を隠すことを恥とする。我々は公然と宣言する。我々の目的は、これまでのすべての社会組織を強力的に転覆することによってのみ達せられる。支配階級をして共産主義革命の前に戦慄せしめよ。プロレタリアは鎖よりほかに失うべき何ものもない。そして彼らは、勝ち取るべき全世界を持っている。万国のプロレタリア団結せよ!」
170年も経つとマルクスもビックリ! 2大共産主義国が最悪の個人独裁国家になっているのだから・・・ダーティペアが目指すのは己の命と財産、独裁者としての地位である。内戦を防ぐために外戦=侵略戦争を起こすのは独裁者の常套手段だ。
これを阻止するために自由世界がすべきは、包囲網の強化、核兵器などによる軍事力の強化に加えて、露中の体制変換を目指す民主主義革命を武器、資金面で支援することだ。内戦を支援する・・・これはダーティペアが一番嫌うことだろう。東部、極東で日本ができる露中への圧力は、ユーラシア西部およびアジア太平洋での民主派の戦いを有利にするだろう。「一点突破、全面展開」、日本が独立を取り戻す好機でもある。
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まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」