老人の目で見る世相あれこれ
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」312/通算743 2024(令和6)年7/19/金】腰痛治療で2週間おきに整形外科医院へ通院しているが、待っている間に週刊誌を読むのは結構楽しい。子供の頃、近所の寿司屋に遊びに行ってラックにある「週刊新潮」を読み始め、2002年、51歳で胃癌でリタイアするまで通勤電車の中でしばしば愛読していたものだ。
73歳の今は久し振りに整形外科医院で「新潮」を読む機会を得たわけだが、随分「お上品」になっているのには驚いた。斜に構え上から目線で皮肉るのが同誌の面白さだったのに、出版不況の影響で「リベラルや女性にも読んでもらえるように」ということなのだろう、今はすっかり「嫌味、臭味、辛味」が消えてしまっていた。それで売れ行きが良くなったのなら結構なことだが、結果的に「角を矯めて牛を殺す」ことになってしまったよう。
産経2024/7/7「花田紀凱の週刊誌ウォッチング(983号)」によると週刊誌はスマホに押されてすっかり斜陽だ。こんな具合。
<日本ABC協会(Audit Bureau of Circulations=新聞雑誌部数公査機構)が2023/令和5年下半期(7~12月平均)の雑誌実売部数を発表した。
(月刊誌では)上半期に『文芸春秋』が20万部を切った(16万5794部)と書いたが、低落は止まらず、今期は15万2083部。「人間学を学ぶ」がキャッチフレーズの『致知』が12万2281部と迫っているのに、『文芸春秋』7月号のトップが「臆病者のためのNISA活用術」。このままでは(『致知』に)抜かれる日が近いかも。
週刊誌だが、こちらも低落傾向は止まらない。(1)『週刊文春』20万8016部、(2)『週刊現代』11万5377部、(3)『週刊新潮』11万4851部、(4)『週刊ポスト』11万4265部、(5)『週刊大衆』6万8319部、(6)『週刊プレイボーイ』6万6670部、(7)『AERA』3万0776部・・・紙媒体にとっては厳しい時代だ>(以上)
スマホやパソコンで用が足せるからカネを出して新聞や雑誌を買うという時代ではなくなってきたということだ。今や週刊誌は500円ほどで、サラリーマンはここ10年は給料があまり上がっていないようだから「紙媒体にとって厳しい時代」はずーっと続きそう。「滿つれば欠けるは世の習い」、出版業界も書店業界も斜陽は免れない(インテリ老人向けの月刊誌『致知』が大躍進?! そのうち調べてみよう)。
ところで花田氏の論稿にあった「NISA」というのは初耳だったので調べたら「N=日本版の個人貯蓄口座(ISAは individual savings account、投資非課税制度)だった。
近年はやたらと「英語表記略語」が目につくが、今では2000~3000語もあるという。そのうち先祖伝来の美しい日本語は消滅するのではないかと小生は危惧している。古人曰く「言語をないがしろにする国は亡びる」・・・ロシア・ソ連に侵略されたウクライナではロシア語が浸透し、ウクライナ語は絶滅寸前だった。今、ようやく復活しつつあるという。山本夏彦翁も「国家とは言語である」と警鐘を鳴らしていたが・・・しかし今どきの識者はこう言うだろう。
「グローバル時代には母国語より世界共通の英語の方が役に立つ場合が多い。日本語にこだわっていると国際社会でのコミュニケーションで後れを取りますよ。最低でも英語による読み書きや会話はそこそこマスターしておくべきです」と。以下のレポートによれば確かにそうだと思わざるを得ない。
<英語を公用語、あるいは第一言語としている国民が多い国を「英語圏の国」と定義した場合の「主な英語圏の国」。
◎ヨーロッパ: イギリス・スイス・アイルランド・マルタ
◎アジア: インド・シンガポール・マレーシア・スリランカ・パキスタン・フィリピン
◎北アメリカ: アメリカ合衆国・カナダ
◎中央アメリカ: アンティグア・バーブーダ・グレナダ・ジャマイカ・セントルシア・トリニダードトバゴ・バハマ・バルバドス
◎南アメリカ: ガイアナ・フォークランド諸島(イギリス自治領)
◎オセアニア: オーストラリア・ニュージーランド・サモア・ソロモン諸島・トンガ・バヌアツ・パプアニューギニア・パラオ・フィジー・マーシャル諸島・ミクロネシア・クック諸島
◎アフリカ: 南アフリカ共和国・ウガンダ・ガーナ・カメルーン・ケニア・ジンバブエ・タンザニア・ナイジェリア・ナミビア・ボツワナ・スーダン・リベリア・ルワンダ>(東京ホテル・観光&ホスピタリティ専門学校から引用)
英語は世界共通語、今や不可欠か・・・残念な気持ちがする。「忸怩(じくじ)たる思い」とはそういうことなのだろう。
小生は英語を嫌っているわけではない。現役時代にレンタカーで米国のあちらこちらを地図(Rand McNally Road Atlas)を頼りに取材していた時、田舎道で迷ってしまい往生していたら、いかにも素朴で人の良さそうな農民ぽい方に出会い、つたない英語で「すみません、○○へ行く道を教えてください」(Excuse me, sir, I lost my way, please tell me the way to ○○?)と尋ねたら、「そこに行く用があるから案内するよ」(I have to go there, so I'll show you around)とか言って助手席に乗ってくれた。「ああ、良き人はアメリカにもいるのだ」と感激し、以来「父の仇、鬼畜米英!」などと言わずに「ディスカバー・アメリカ」というシリーズに精を出したものだ。
そうこうしているうちに小生は独立して編集プロダクションを開業したが、虎ノ門の米国大使館(当時はクリントン大統領=民主党、1993年)から「全米50州プラスαの観光ガイドブックの日本語版を作るからぜひ引き受けてくれ」と依頼された。表向きは「試し翻訳と料金」による入札だったが、上記の世話になった「農民ぽいボクトツで親切な方」へのお礼の気持ちもあって「渾身の美しい翻訳+低めの料金」で受注した。
大変な作業で薄利だったが、各国の在日大使館・機関などは横のつながりがあるのだろう、英国大使館、豪州首都キャンベラ観光局、アラスカ州観光局、オフラインキャリア(日本路線がない航空会社)のマーケティングを専門にする世界的な大手広告代理店などから仕事が来るようになったのにはびっくりした。
しかし「好事魔多し」、イスラム過激派「アルカイダ」による2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件 (September 11 attacks )でほとんどの仕事が停止になった。いつ正常になるかも不明である。「上手い、早い、安い」を売りにしたような小生の会社は十分な貯えもなく、自転車操業そのもの、銀行からも見捨てられてしまった。
「クライアントに迷惑をかけないように廃業するしかない」・・・2002年3月、51歳でどうにか“戦後処理”を終えたら財布は空っぽ、胃に穴が開いていた。抗癌剤でフラフラ・・・そんな時に出会ったのが宮崎正弘氏のブログで紹介されていた渡部亮次郎氏のメルマガ「頂門の一針」。仕事に関係すること以外はあまり関心がなかった小生が「天下国家」に興味を持ち、あれこれ雑文を書くようになったのは「渡部・頂門」が背中を押してくれたお陰である。渡部氏は70歳を過ぎてから必死でパソコン操作を学んで「頂門」を始めたという。大変な根性マンである。
73歳の小生は経年劣化で体もオツムもガタが来始め、「そのうち寝たきりになるのではないか、やり残しがないように・・・」と今はやたらと焦りまくっている。
古人曰く「一難去ってまた一難、捨てる神あれば拾う神あり、人生あざなえる縄の如し」。若い時は良いが、晩年にあってもそんな風に「一進一退」だと結構シンドイのではないか。「悔いのない大往生」は夢のまた夢か? ま、「今をそれなりに一所懸命に生きる、後は天命にゆだねる」しかないようである。老人になるとそんなことを思うのだなあと可笑しくなる。加齢も捨てたものではない。長生きすべし。
・・・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
必殺クロスカウンター https://www.mag2.com/m/0001690154.html
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」312/通算743 2024(令和6)年7/19/金】腰痛治療で2週間おきに整形外科医院へ通院しているが、待っている間に週刊誌を読むのは結構楽しい。子供の頃、近所の寿司屋に遊びに行ってラックにある「週刊新潮」を読み始め、2002年、51歳で胃癌でリタイアするまで通勤電車の中でしばしば愛読していたものだ。
73歳の今は久し振りに整形外科医院で「新潮」を読む機会を得たわけだが、随分「お上品」になっているのには驚いた。斜に構え上から目線で皮肉るのが同誌の面白さだったのに、出版不況の影響で「リベラルや女性にも読んでもらえるように」ということなのだろう、今はすっかり「嫌味、臭味、辛味」が消えてしまっていた。それで売れ行きが良くなったのなら結構なことだが、結果的に「角を矯めて牛を殺す」ことになってしまったよう。
産経2024/7/7「花田紀凱の週刊誌ウォッチング(983号)」によると週刊誌はスマホに押されてすっかり斜陽だ。こんな具合。
<日本ABC協会(Audit Bureau of Circulations=新聞雑誌部数公査機構)が2023/令和5年下半期(7~12月平均)の雑誌実売部数を発表した。
(月刊誌では)上半期に『文芸春秋』が20万部を切った(16万5794部)と書いたが、低落は止まらず、今期は15万2083部。「人間学を学ぶ」がキャッチフレーズの『致知』が12万2281部と迫っているのに、『文芸春秋』7月号のトップが「臆病者のためのNISA活用術」。このままでは(『致知』に)抜かれる日が近いかも。
週刊誌だが、こちらも低落傾向は止まらない。(1)『週刊文春』20万8016部、(2)『週刊現代』11万5377部、(3)『週刊新潮』11万4851部、(4)『週刊ポスト』11万4265部、(5)『週刊大衆』6万8319部、(6)『週刊プレイボーイ』6万6670部、(7)『AERA』3万0776部・・・紙媒体にとっては厳しい時代だ>(以上)
スマホやパソコンで用が足せるからカネを出して新聞や雑誌を買うという時代ではなくなってきたということだ。今や週刊誌は500円ほどで、サラリーマンはここ10年は給料があまり上がっていないようだから「紙媒体にとって厳しい時代」はずーっと続きそう。「滿つれば欠けるは世の習い」、出版業界も書店業界も斜陽は免れない(インテリ老人向けの月刊誌『致知』が大躍進?! そのうち調べてみよう)。
ところで花田氏の論稿にあった「NISA」というのは初耳だったので調べたら「N=日本版の個人貯蓄口座(ISAは individual savings account、投資非課税制度)だった。
近年はやたらと「英語表記略語」が目につくが、今では2000~3000語もあるという。そのうち先祖伝来の美しい日本語は消滅するのではないかと小生は危惧している。古人曰く「言語をないがしろにする国は亡びる」・・・ロシア・ソ連に侵略されたウクライナではロシア語が浸透し、ウクライナ語は絶滅寸前だった。今、ようやく復活しつつあるという。山本夏彦翁も「国家とは言語である」と警鐘を鳴らしていたが・・・しかし今どきの識者はこう言うだろう。
「グローバル時代には母国語より世界共通の英語の方が役に立つ場合が多い。日本語にこだわっていると国際社会でのコミュニケーションで後れを取りますよ。最低でも英語による読み書きや会話はそこそこマスターしておくべきです」と。以下のレポートによれば確かにそうだと思わざるを得ない。
<英語を公用語、あるいは第一言語としている国民が多い国を「英語圏の国」と定義した場合の「主な英語圏の国」。
◎ヨーロッパ: イギリス・スイス・アイルランド・マルタ
◎アジア: インド・シンガポール・マレーシア・スリランカ・パキスタン・フィリピン
◎北アメリカ: アメリカ合衆国・カナダ
◎中央アメリカ: アンティグア・バーブーダ・グレナダ・ジャマイカ・セントルシア・トリニダードトバゴ・バハマ・バルバドス
◎南アメリカ: ガイアナ・フォークランド諸島(イギリス自治領)
◎オセアニア: オーストラリア・ニュージーランド・サモア・ソロモン諸島・トンガ・バヌアツ・パプアニューギニア・パラオ・フィジー・マーシャル諸島・ミクロネシア・クック諸島
◎アフリカ: 南アフリカ共和国・ウガンダ・ガーナ・カメルーン・ケニア・ジンバブエ・タンザニア・ナイジェリア・ナミビア・ボツワナ・スーダン・リベリア・ルワンダ>(東京ホテル・観光&ホスピタリティ専門学校から引用)
英語は世界共通語、今や不可欠か・・・残念な気持ちがする。「忸怩(じくじ)たる思い」とはそういうことなのだろう。
小生は英語を嫌っているわけではない。現役時代にレンタカーで米国のあちらこちらを地図(Rand McNally Road Atlas)を頼りに取材していた時、田舎道で迷ってしまい往生していたら、いかにも素朴で人の良さそうな農民ぽい方に出会い、つたない英語で「すみません、○○へ行く道を教えてください」(Excuse me, sir, I lost my way, please tell me the way to ○○?)と尋ねたら、「そこに行く用があるから案内するよ」(I have to go there, so I'll show you around)とか言って助手席に乗ってくれた。「ああ、良き人はアメリカにもいるのだ」と感激し、以来「父の仇、鬼畜米英!」などと言わずに「ディスカバー・アメリカ」というシリーズに精を出したものだ。
そうこうしているうちに小生は独立して編集プロダクションを開業したが、虎ノ門の米国大使館(当時はクリントン大統領=民主党、1993年)から「全米50州プラスαの観光ガイドブックの日本語版を作るからぜひ引き受けてくれ」と依頼された。表向きは「試し翻訳と料金」による入札だったが、上記の世話になった「農民ぽいボクトツで親切な方」へのお礼の気持ちもあって「渾身の美しい翻訳+低めの料金」で受注した。
大変な作業で薄利だったが、各国の在日大使館・機関などは横のつながりがあるのだろう、英国大使館、豪州首都キャンベラ観光局、アラスカ州観光局、オフラインキャリア(日本路線がない航空会社)のマーケティングを専門にする世界的な大手広告代理店などから仕事が来るようになったのにはびっくりした。
しかし「好事魔多し」、イスラム過激派「アルカイダ」による2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ事件 (September 11 attacks )でほとんどの仕事が停止になった。いつ正常になるかも不明である。「上手い、早い、安い」を売りにしたような小生の会社は十分な貯えもなく、自転車操業そのもの、銀行からも見捨てられてしまった。
「クライアントに迷惑をかけないように廃業するしかない」・・・2002年3月、51歳でどうにか“戦後処理”を終えたら財布は空っぽ、胃に穴が開いていた。抗癌剤でフラフラ・・・そんな時に出会ったのが宮崎正弘氏のブログで紹介されていた渡部亮次郎氏のメルマガ「頂門の一針」。仕事に関係すること以外はあまり関心がなかった小生が「天下国家」に興味を持ち、あれこれ雑文を書くようになったのは「渡部・頂門」が背中を押してくれたお陰である。渡部氏は70歳を過ぎてから必死でパソコン操作を学んで「頂門」を始めたという。大変な根性マンである。
73歳の小生は経年劣化で体もオツムもガタが来始め、「そのうち寝たきりになるのではないか、やり残しがないように・・・」と今はやたらと焦りまくっている。
古人曰く「一難去ってまた一難、捨てる神あれば拾う神あり、人生あざなえる縄の如し」。若い時は良いが、晩年にあってもそんな風に「一進一退」だと結構シンドイのではないか。「悔いのない大往生」は夢のまた夢か? ま、「今をそれなりに一所懸命に生きる、後は天命にゆだねる」しかないようである。老人になるとそんなことを思うのだなあと可笑しくなる。加齢も捨てたものではない。長生きすべし。
・・・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
必殺クロスカウンター https://www.mag2.com/m/0001690154.html
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14