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草莽崛起で日本を取り戻せ

2024-07-11 12:15:30 | 戦争
草莽崛起で日本を取り戻せ
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」309/通算740  2024(令和6)年7/11/木】梅雨入りしたのか、ここ数日は涼しい。と言っても今朝は室温30℃だが、風もあるのでクーラーなしでもOK。外での作業は控えて2Fの経年劣化した扇風機を直したりしていたが、小生も経年劣化で腰や膝が痛み、治療はしているものの今年か来年にはオダブツになりそうな気がする。やり残しは嫌なので午前中の2、3時間は無理しない範囲であれこれ忙しいが、動けるうちが花だなあとつくづく思う。同志諸君、悔いなき晩年を!

それにしても人間はちっとも進化しないなあ、とこのところしばしば思う。平和を良しとしながら、その平和は「俺の平和」であり、そのために戦争を辞さない国は多い。文明・文化は進化していることになっているが、我々は100年前、1000年前、1万年前より幸せになっているのか? 小生は紀元前400年のプラトン著「ソクラテスの弁明」や西暦500年のマキアヴェッリの「君主論」などを愛読しているが、「ああ、人間は『万物の霊長』などと偉そうなこと言っているが、ちっとも成長していないなあ、バカは永遠にバカ、つける薬なしか」とガッカリすることがしょっちゅうだ。

ところで、以前から気になっていたが「文明」と「文化」の違いは何か。調べたら、「文明(c
ivilization)は、技術・機械の発達や社会制度の整備などが進み、物質的に生活が豊かになることを意味する。文化(culture)は、宗教・道徳・学問・芸術など精神的に心を豊かにすることを意味する」とあった。つまり人類は物質的にも精神的にも豊かになっている=進歩している(ことになっている)が、果たして本当に「豊か=幸福」になっているのだろうか。

日本では(世界でも?)相変わらず不満だらけの人がいるようで、「生活が苦しい」という世帯は急増しているという。朝日新聞デジタル2024/7/5「生活『苦しい』59.6%、子ども・高齢者世帯で急増 厚労省調査」から。
<生活が「苦しい」と感じる世帯は59.6%にのぼり、前年比で8.3ポイント増えた。厚生労働省が5日に公表した2023年の国民生活基礎調査でわかった。子どもがいる世帯や高齢者世帯では、前年から10ポイント以上の増加で、物価高などでより厳しくなっている家計の状況が浮かび上がった。
調査では全国の約7千世帯を対象に23年7月時点の生活意識を尋ねた。「大変苦しい」が26.5%(前年比6.3ポイント増)、「やや苦しい」が33.1%(同2.1ポイント増)となった。
年代別にみると、「苦しい」との回答は、高齢者世帯で59.0%(同10.7ポイント増)。子どもがいる世帯は65.0%(同10.3ポイント増)となり、いずれも大きく増えた。(厚労省によると)物価高騰が影響している可能性があるという>以上

7千世帯で「苦しい」が59.6%、約6割が苦しんでいるって・・・まるで敗戦後の食糧難時代みたいだ。苦しいとなれば自殺者も増えているだろうが、警察庁の「令和5/2023年中における自殺の状況」によると、自殺者総数2万8344人中、「生活苦」による者は1667人(男1667人、女261人)。1日当たりたったの4.6人に過ぎない。

TECHCANPというサイトによると「生活が苦しい」と感じてしまう経済的理由は、おもに「支出が多い」「そもそも収入が少ない」「借金がある」の3つ。支出が多くなる具体的な要因は「趣味に使ってしまう」「外食をしてしまう」「子供の教育費がかかる」「ギャンブルで生活が安定しない」などだという。

人並みの暮らしをしている人は、「生まれ育ちに恵まれた人」「一所懸命に努力した人」「運が良かった人」が多いだろう。
一方で、小生の観察だと「生活苦」の人は生まれが悪い(遊び人の家系)、勉強・学業は大嫌いだが遊びは大好き、我慢・忍耐・努力が大嫌い、職場をやたらと変える、「頑張って手に職をつける」という志向、思考がなく、結果的に収入は低く、結婚しても離婚に至り、惨めな晩年は避けられない。
小生の従兄で一番仲良しだった健ちゃんはそういう遊び人で、「一所懸命に努力する」とは真逆の人生だった。最後はにっちもさっちもいかず首を吊った。葬儀では誰も健ちゃんの名を口にせず、「ようやく逝った」と清々している風だった。ちょっとびっくりしたのは、健ちゃんの息子は外観も素振りも若い頃の健ちゃんにそっくりで、「遊び人のDNAも引き継がれていくのか」と思うと暗澹たる気分になった。人生はDNAや運次第の面がある。

我が母校は神奈川県立多摩高等学校である。多摩高の校訓は「質実剛健 自重自恃」で、「自主自立の精神で自己と社会の発展に努める、 どんな困難な状況の中でも自己を大切にして自分を見失わず行動する」という教えだ。小生もそうありたいと時折思っていたが、まあ甘い評価でどうにか80点か。明治、大正生まれの親を持った日本人(多くは今や老人?)は「質実剛健、自重自恃」、さらに教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」の教え、大和魂を良しとしている人が少なくないだろう。
日本戦略研究フォーラム(JFSS)2024/7/6、村井友秀JFSS顧問・東京国際大学特命教授の「戦いを忘れた日本人」は刺激的だった。以下転載する。

<現代の世界を見ると各地で武力紛争が続いている。戦争はウクライナとガザだけではない。ミャンマーでもスーダンでも多数の戦争の犠牲者が発生している。
何故、戦争が続くのか。多くの国で国民は好戦的であり軟弱外交は人気がないからである。何故、国民は好戦的なのか。嘗て戦争は勝てば利益があった。日本の戦国時代、戦争は「物取り(略奪)人取り(身代金または奴隷獲得)」が目的であった。現在でも戦争の利益の総量が不利益の総量を上回ると考える国はある。

また、戦争は人間の本能にプログラムされた攻撃本能の結果であり、戦争の悲惨さをどのように説明しても、人間は本能に逆らって戦争を止めることは出来ないという文化人類学や社会学の研究もある。遺伝子の9割が人間と同じチンパンジーも敵対するチンパンジーの集団を皆殺しにする(ゴンベの4年戦争)。

しかし、日本では戦争は人気がない。現在の日本人が好戦的でないのは、80年前に大敗北した敗戦の経験があるからである。80年前に日本は米国と戦い、300万人以上の犠牲者を出して戦争に敗れた。歴史的に勝利と敗戦を繰り返し経験した欧州の国民とは異なり、外国との大規模な戦争の経験が乏しく、戦争に関して素人であった近代の日本人にとって、敗戦は国民的PTSD(心的外傷後ストレス障害)になった。

多くの国で戦争記念日とは戦争に勝った日である。全国民が勝利の高揚感に浸り民族的誇りを再確認する日である。世界中の国で戦争に負けた日を記念日にしている国は少ない。それらの国では敗戦記念日は戦争に負けた屈辱を思い出し復讐を誓う日である(「臥薪嘗胆」)。現在の日本では、8月15日に多くの日本人が80年前の戦争を後悔し懺悔する。しかし、日本の8月15日をテレビで見た外国人の中には、大東亜戦争の復讐を誓う日本人がこんなに多くいるのかと驚く者もいるのである。日本人の常識は世界の常識ではない。

大東亜戦争後、日本人は1億総懺悔した。日本を占領した米国は、「米国に従順で軍事的に無能な日本」の実現を目指して日本の教育システムを改変した。日本国内でも大日本帝国時代に弾圧された社会主義者や共産主義者が活動を再開した。彼らは自分たちを弾圧した強い日本の復活を恐れ、弱い日本が彼らにとって安全だと考えた(強い国より優しい国へ)。

占領軍と左翼には共通項があった。占領軍が軍国主義の復活を警戒する中で、弱い日本を目指す左翼が教育界やマスコミに大きな影響力を持つようになった。日本の教育界とマスコミは、政治、経済、歴史、文化が複雑に絡み合った政治現象である戦争を、広島・長崎の原爆と東京大空襲に単純化して戦争を否定した。

戦後の日本は世界(国連)の常識である軍隊による平和を無視し、軍隊の暴力性を強調して軍隊からの安全のみを語る国になった。その結果、日本では軍事的無能を合理化する絶対平和主義が、対立や紛争が絶えない世界情勢とは関係なく蔓延していった。日本の常識は世界の非常識になった。

無抵抗主義は日本の対外関係を致命的に弱体化した。無抵抗主義である絶対平和主義は、人間の生まれながらの権利である正当防衛を否定する。日本は侵略された国を助けるという国連憲章(集団的自衛権)を公然と否定する唯一の国になった。集団的自衛権とは、侵略された国から援助を依頼された第三国が勇気を出して侵略者を攻撃し被害国を助けるという意味である。集団的自衛権は善意の行動である。日本のように侵略された国を助けないと公言している国が国際社会で尊敬されることはない。

日本の平和主義者の世界観は現実の世界と完全に乖離(かいり)している。嘗て日本の平和主義者が理想の平和国家としていたスイスは各家庭に銃がある全人民武装国家である。また、日本の平和主義者が日本よりも真摯に戦争を反省していると主張していた第二次世界大戦の敗戦国ドイツは戦後も徴兵制を維持し、武器輸出も世界のトップ5である。ドイツでは冷戦後に徴兵制は中断されたが、再開を支持する国民は過半数を超えている(2023年)。欧米では徴兵制は、絶対王政に反対し民主主義を守るために国民が持つ不可欠の道具なのである。

日本の安全保障の保険であった米国の影響力の限界が明らかになり、日本の国益を侵害する全体主義国家の活動が活発化する中で日本を取り巻く安全保障環境は悪化している。日本人が対決している外国人は平和ボケした非常識でナイーヴな日本人ではない。数千年にわたる権力闘争と殺戮の歴史を生き抜いてきた狡猾な曲者である。

日本人にとって安全が保証された環境の中でのんびりと有り得ない戦争を夢想していた時代は終わった。これからは道を誤れば「鉄の暴風」が国民に降り注ぐ時代になる。しかし、現在の日本で見られる安全保障の議論は、威勢はいいが実戦経験のない畳の上の水練である。日露戦争後、陸軍省は「平時剛胆であり勇者であるもの戦闘場裡に於いても敵弾の洗礼を受けし時に於いても依然剛者であり勇者であるかと云う事は何人も否と答えるであらふ」「概して平時鬼と称せられる人は戦時は婦女子の如く、反之(これとは反対に)平時婦女子の如き人に豪傑の多い事は否定の出来ぬ事柄である」と報告している。

今、安全保障の危機に直面する日本人に必要な精神構造は、何もしなければ死ぬ戦国時代の大名の家訓「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」(朝倉宗滴)であろう>以上

平和ボケの日本人に対する厳しい叱咤激励、血を吐くような論稿であり、小生は大感激した。村井氏は防衛大学校の教授も務めていた方だ。経歴は――
<1949年、奈良県生まれ。78年、東京大学大学院国際関係論博士課程単位取得退学。米ワシントン大学国際問題研究所研究員。93年より防衛大学校国際関係学科教授、国際関係学科長、人文社会科学群長、総合情報図書館長を歴任。
2015年、東京国際大学国際戦略研究所教授、防衛大学校名誉教授。20年より現職。日本防衛学会会長。国際安全保障学会理事。平和安全保障研究所研究委員。防衛省新防衛政策懇談会委員。
著書・編著に『中国をめぐる安全保障』『戦略の本質』『戦略論大系7 毛沢東』『日中危機の本質 日本人の常識は世界の非常識である』など>

氏の論稿を読んで「三島事件」を思い出した。「1970/昭和45年11月25日、三島由紀夫(本名・平岡公威)が、憲法改正のため自衛隊市ヶ谷駐屯地で決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件」(WIKI)である。「壮大なゼロ」で終わった70年安保後、ブラブラしていた19歳の小生は徹夜で友達と花札に興じていたが、ラジオニュースで三島事件を知った。「何故・・・やることはやり終えたから死に場所を自衛隊基地にしたのか・・・それにしても何故・・・」という思いだった。

三島が自決した1970年当時はイケイケドンドンの高度成長期の真っ盛り、日本はすっかり米国の属国、「51番目の州」に甘んじて金儲けに精を出していた。新・三種の神器「カー、クーラー、カラーテレビ」は普及し、狭いながらも楽しい我が家、まさに一族皆中流、昭和版の文明開化を満喫していた。そういう時代だった。

小生は三島の小説をいくつか読んだが、記憶に残っているのは「金閣寺」(1956年作)だけである。3回読んだが、「なぜこんなものが絶賛されるのか」とまったく分からなかった。三島は作家、識者、憂国の士などといろいろ評価されているが、「現実離れした世界をリアルのように描く芸術家」のようで、「現実を直視するのが商売」の記者である小生には理解し難かったのだなあ、と今になって思う。

それにしても三島は45歳で自死。今どきの45歳は現役バリバリ、55歳までは怖いものなしの第一線戦士である。だが、大正生まれの三島から見れば、45歳はぎりぎりの青年だが、50歳は初老、彼の美学からすればちっとも美しくないのだろう。「三島事件」の背景にはそういう事情もあったのではないかと19歳の小生はいぶかしんだものである。

「戦いを忘れた日本人」の目を覚ますのは容易ではないが、1945年以降の「戦後平和体制」が崩れ始めている今は「覚醒」の好機である。三島の早過ぎた決起から半世紀、草莽崛起で日本を取り戻すべし。
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