温故知新:歴史を学び今を知る
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」59/通算491 2022/6/25/土】古代ギリシャの芸術作品を見ると溜息が出る。2500年も前に創られたものなのに今なお生き生きとして小生を感動させる。その一方でローマ帝国に亡ぼされた後、キリスト教の浸透により顧みられることなく消滅し、つまらぬ宗教ゲージツばかりになってしまった。感動の溜息と無念の溜息・・・栄枯盛衰とはいえ残念なことである。
<ひとつの時代から次の時代へと受け継がれていった数多くの文化の中でも、古代ギリシアの芸術や文学は特筆に値する。しかし、古代ギリシアの文化遺産の偉大さは、そのためだけではない。人間は全て自由であり、かつ尊敬されるべき存在だという確固とした信念、精神に目覚めていたことである。
三大悲劇詩人のひとり、ソフォクレス(紀元前496~406年)曰く「この世は素晴らしさに満ちている。しかし我々人間ほど素晴らしい存在がまたとあろうか」。
アテネを絶頂期に導いた軍人・政治家ペリクレス(紀元前495~429年)は、ペロポネソス戦争の第1回「戦没者追悼式典」でこう演説した。「今の人々が我々を見て驚くように、後世の人々も我々のなし得たことに驚くであろう」>(タイム・ライフ「人間世界史 古代ギリシャ」)
ペリクレスはこうも言っている。「アテナイの住民は富を追求する。しかしそれは可能性を保持するためであって、愚かしくも虚栄に酔いしれるためではない」「貧しいことは恥ずべきことではない。しかし、その貧しさから脱しようと努めず、安住することこそ恥ずべきことである」
実に哲学的で、古代ギリシャをもっと知りたいと百科事典を開いたが、難し過ぎてギブアップ。E.H.カーの講演録「歴史とは何か」にあたってみたら・・・
<ジョン・ビュリ(英国の歴史家)が申しますように「古代史および中世史の記録には脱漏が散在している」のです。歴史は「紛失した部分がたくさんある大規模なピクチュアパズル」と呼ばれてきましたが、主たる悩みは「脱漏」ではありません。紀元前5世紀のギリシャの姿が不完全なのは、史実が失われたというのが主たる理由ではなく、アテナイ市の住民の中のごく小さなグループによって形作られた姿であるという理由によります。
前5世紀のギリシャがアテナイ市民にとってどう見えたかは私たちはよく知っていますけれど、スパルタ人、コリント人、テーベ人などにとってどう見えていたかということになりますと、私たちはほとんど何も知らないのです>
「歴史は勝者が創る」と言うが、焚書坑儒や不都合な真実の隠蔽は今なお珍しくない。大体子供から「パパとママはどうして結婚したの?」と聞かれて、パパは「お前はチャタコ、できちゃった子、結婚するしかなかったから」、ママは「あなたがパパの子だと分かったから」・・・こんなことは言えやしないから「歴史を封印、隠蔽」するのは世の倣い。「真珠湾の真実」は2050年あたりに解禁か・・・♪オラは死んじまってるだー。It's too late!
今でもそれは変わらない。プーチンが勝つとウクライナ侵略はプーチン史観では「正義の戦い」になる。少なくともロシアではそうなる。一事が万事で歴史の真実を知ることは群盲象を撫でるがごとし、容易なことではない。「古事記」の神武東征も「蛮族を駆逐し国家統一した」ことになっているが・・・夏彦翁曰く「人みな飾ってモノを言う」。閑話休題。
「ローマ人の物語」で知られる塩野七生氏なら古代ギリシャに触れているはずだと同書文庫本を見たらありました、ナント60ページも!・・・基礎知識がない小生には決意を固めないととても読めない。もしかしたらと女史の「逆襲される文明 日本人へ(4)」を開いたら、
<ついに脱稿。とはいえ昨年(2016?)から始めていた「ギリシア人の物語」3部作の2巻目を書き終えたに過ぎないのだが、私の場合、脱稿後に感じる想いは「書き終えた」というより「分かった」という想いの方が強い。あるインタビューで、「学者たちとあなたではどこが違うのか」と問われたことがある。こう答えた。
「その面の専門家である学者たちは、知っていることを書いているのです。専門家でない私は、知りたいと思っていることを書いている。だから書き終えて初めて、分かったと思えるんですね」
もちろんそれなりの勉強は書き始める前に済ませてある。ただ、いかに著名な歴史家の叙述でも、世界的な権威の意見でも、それに捕われたくないだけなのだ。
この3部作を書きたくなった動機は2つあって、第1は古代のギリシア人を分かりたいと思ったこと。第2は、彼らの創造した政体である民主政が、なぜある時代には機能し、なぜある時期からは機能しなくなったのかを分かりたいと思ったこと。
これまでの定説では、前者は「デモクラツィヤ」(民主政)、後者は「デマゴジア」(衆愚政)と簡単に片づけてきた。何しろ日本の辞書では「衆愚政」を「愚かな者たちによる統治」としか説明していないのだから。だが、学校での出来がはなはだ悪かった私は、何であろうとバカバカしいくらいに素朴な疑問からスタートする癖がある。
アテネの民主政と衆愚政の境目は、大政治家であったペリクレスの死、というのも定説になっているのだが、ペリクレスが死んだ途端にアテネの民衆が愚か者に一変した、というわけでもないでしょう、と考えたのだった。一夜明けたらアテネ人の全員がバカになっていた、というようなことは起こり得ないのだから。
この重要極まる命題を総論という形で正面から切り込めば新書版で済むのだが、私にはもう一つ悪い癖があって、アテネ市民、ギリシア人全体の行跡を一つ一つ追っていくことで解答に迫るやり方を専らとしている。「各論を積み重ねていく」と言っても良いが、この方が歴史を書くのに適しているとも思っているのだ。
要するに「民主主義(の有無次第による)」と言えば、それだけで問題が解決すると思い込んでいる人々への疑問を、書いていくことで晴らしたかったのであった>
古代ギリシャと言えば「ポリス=民主主義」を思い浮かべるが、階級社会の上位の民による自由民主人権法治であったようだ。百科事典マイペディアによると、
<ポリス/polisは古代ギリシアの都市国家。本来は外敵が侵入した際に避難し防御するための丘(アクロポリス)を意味した。前8世紀ころ集住によって成立。一般にアクロポリスを中心にアゴラと呼ばれる広場をもつ城壁に囲まれた都市部と、郊外の農村とからなる。
貴族政、寡頭政、民主政の各時代を通じて市民は参政権をもち、ほかにメトイコイ(在留外人)、奴隷、ときにはペリオイコイ(市民以外の自由民)がいた。ポリスは自由・自治を原則とする国法を有し、自給自足を理想としていたが、他のポリスに従属的になったものも多い。
最盛期にはこうしたポリスがエーゲ海地域のみならずイタリア南部、シチリア島、フランス南部にまで広く分布。例外的に大きなアテナイ(アテネ)、スパルタなどのポリスを中心に抗争が繰り返された。ヘレニズム時代以後、ポリスの政治的独立は失われたが、なお多少の自治は享受した>
あくまで「市民=上層階級」による民主主義であり、それ以外の、多分、市民よりも圧倒的に多い下層階級には参政権はなかったろう。江戸時代の士農工商と一緒で、政治にかかわるのは武士階級(人口全体の10%ほど)という身分制と似ている。身分制がいいかどうかはさておき、覇を競う戦時になると「国民皆兵」で下層階級の民にも頼らざるを得なくなるから身分制は緩めざるを得なくなる。だが「政治への関与、選挙権もないのになんで国のために戦わなくてはいけないのか?」・・・当然の主張が起こる。
かくして民主主義は広がるのだろうが、選挙で勝つためには「主義主張、正論」だけではなく選挙民に美味しいプレゼント、例えば減税や福祉を約束せざるを得ない。古代ギリシャのポリス=エリート政治が弱体化していったのも「戦力強化のための身分制の緩和」という要素があったろう。国民全体の選挙による自由民主人権法治・・・これは理想ではあるが、下手をすると国家を分裂しかねない。悩ましいことだが、自由民主人権法治の政治は「民度が高くないと上手く機能しないシステム」であることは確かだ。
古森義久先生の「ウクライナ危機の日本への教訓」Japan Indepth 2022/6/22から。
<ロシアのウクライナへの軍事侵略は日本にどのような影響を及ぼしたのか。結論を先に述べれば、国際情勢への衝撃的な覚醒、そして日本の安全保障への自己否定にも近い反省の教訓だといえよう。
第一には国際情勢の危険な現実への目覚めのような認識である。核兵器を保有する軍事大国のロシアが武力の微少な隣の小国を正面から侵略する。そして殺戮と破壊をためらわない。
こんな事態は日本のこれまでの多数派の国際認識の否定だといえよう。日本の憲法が前文でうたうように「平和を愛する諸国民の公正と信義」に頼れば自国の安全も世界の安定も得られるという認識がいかに現実離れしているかの、いやというほどの証明だろう。
この世界には相手が平和や友好を求めれば求めるほど軍事力で自国の野望を押しつけるという国家が存在するのだ。ロシアの蛮行は日本国民にもいまの世界の現実を冷徹にみせつけたといえよう。
日本ではロシアのウクライナ侵略は文字通り、連日連夜、衝撃的なニュースとして報じられ続けた。その衝撃はこれまでの日本の多数派の「世界はアメリカ、中国、ロシアの力の均衡でそれなりに安定し、日本はとくに日米同盟で守られている」という安逸な国際認識を打ち砕いたといえよう。
第二には、自国の独立や安全を守るためには軍事力での抵抗が不可欠という場合があるという教訓である。ウクライナはロシア軍の侵略に対し決然と戦った。その闘争が自国の独立を保ち、国際的な支援をも獲得した。
日本でもこのウクライナ国民の闘争への賞賛が高まった。その賞賛は日本の一部で根深かった「いかなる戦争も拒否」という無抵抗敗北志向を後退させた。朝日新聞が喧伝するような「自国を守るための自衛戦争でも人殺しだ」とする降伏主義がウクライナ国民の勇気ある戦いにくらべると、いかに堕落し、非人道的かの実証だった。自衛のための戦争までも否定すれば、残るのは侵略の相手への隷属である。
日本ではこれまで「八月の平和主義」が目立っていた。毎年、原爆投下や敗戦の月の八月になると、「平和こそが最も大切」という標語の下、「いかなる戦争も否定」として事実上の降伏主義が唱えられてきた。自国を保つための防衛や抑止、反撃という概念も排されてきた。
だがいまの日本では国防の強化、防衛費の増額、反撃能力の保持という正常な国家なら当然の安全保障策を唱える声が驚くほど広まってきた。これもまた明らかにウクライナの教訓だろう。
総括すればウクライナ紛争は日本国民の多くに正常な国家意識を呼び覚ませてくれたようなのだ>
「ようなのだ」、そうなるかどうかは未知数のようなのだ・・・悩ましいことである。
ここまで書いて、「さて、どう締めくくるか」と一服していたら「国家意識よりもバラマキ福祉、ユスリタカリも芸のうち」の池田教ナンミョーがやってきた。来月は参院選・・・“ウクライナショック票”があるかどうか分からないが、中露北が大好きな左巻きの立憲共産党(立共)などが不可逆の絶滅に向かえば結構だろう。
それにしても立共は畢竟、今の日本で「共産主義革命を!」という政党だ。時代錯誤どころか暗愚か狂気。民主主義を装う鳩山、菅、野田、岡田、前原、小沢、辻元、枝野、泉・・・人材の宝庫どころか「人災の宝庫」。
感動の芸術を世界に遺した古代ギリシャとは比べようはないが、立共は図らずも身をもって共産主義者の愚かさを示し、結果的に日本から共産主義を一掃した政党として記憶されるかもしれない・・・かつての社会党と同様で、せいぜい1年ほどで忘れ去られるだろうが。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/n/n9b3c7f4231f9
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」59/通算491 2022/6/25/土】古代ギリシャの芸術作品を見ると溜息が出る。2500年も前に創られたものなのに今なお生き生きとして小生を感動させる。その一方でローマ帝国に亡ぼされた後、キリスト教の浸透により顧みられることなく消滅し、つまらぬ宗教ゲージツばかりになってしまった。感動の溜息と無念の溜息・・・栄枯盛衰とはいえ残念なことである。
<ひとつの時代から次の時代へと受け継がれていった数多くの文化の中でも、古代ギリシアの芸術や文学は特筆に値する。しかし、古代ギリシアの文化遺産の偉大さは、そのためだけではない。人間は全て自由であり、かつ尊敬されるべき存在だという確固とした信念、精神に目覚めていたことである。
三大悲劇詩人のひとり、ソフォクレス(紀元前496~406年)曰く「この世は素晴らしさに満ちている。しかし我々人間ほど素晴らしい存在がまたとあろうか」。
アテネを絶頂期に導いた軍人・政治家ペリクレス(紀元前495~429年)は、ペロポネソス戦争の第1回「戦没者追悼式典」でこう演説した。「今の人々が我々を見て驚くように、後世の人々も我々のなし得たことに驚くであろう」>(タイム・ライフ「人間世界史 古代ギリシャ」)
ペリクレスはこうも言っている。「アテナイの住民は富を追求する。しかしそれは可能性を保持するためであって、愚かしくも虚栄に酔いしれるためではない」「貧しいことは恥ずべきことではない。しかし、その貧しさから脱しようと努めず、安住することこそ恥ずべきことである」
実に哲学的で、古代ギリシャをもっと知りたいと百科事典を開いたが、難し過ぎてギブアップ。E.H.カーの講演録「歴史とは何か」にあたってみたら・・・
<ジョン・ビュリ(英国の歴史家)が申しますように「古代史および中世史の記録には脱漏が散在している」のです。歴史は「紛失した部分がたくさんある大規模なピクチュアパズル」と呼ばれてきましたが、主たる悩みは「脱漏」ではありません。紀元前5世紀のギリシャの姿が不完全なのは、史実が失われたというのが主たる理由ではなく、アテナイ市の住民の中のごく小さなグループによって形作られた姿であるという理由によります。
前5世紀のギリシャがアテナイ市民にとってどう見えたかは私たちはよく知っていますけれど、スパルタ人、コリント人、テーベ人などにとってどう見えていたかということになりますと、私たちはほとんど何も知らないのです>
「歴史は勝者が創る」と言うが、焚書坑儒や不都合な真実の隠蔽は今なお珍しくない。大体子供から「パパとママはどうして結婚したの?」と聞かれて、パパは「お前はチャタコ、できちゃった子、結婚するしかなかったから」、ママは「あなたがパパの子だと分かったから」・・・こんなことは言えやしないから「歴史を封印、隠蔽」するのは世の倣い。「真珠湾の真実」は2050年あたりに解禁か・・・♪オラは死んじまってるだー。It's too late!
今でもそれは変わらない。プーチンが勝つとウクライナ侵略はプーチン史観では「正義の戦い」になる。少なくともロシアではそうなる。一事が万事で歴史の真実を知ることは群盲象を撫でるがごとし、容易なことではない。「古事記」の神武東征も「蛮族を駆逐し国家統一した」ことになっているが・・・夏彦翁曰く「人みな飾ってモノを言う」。閑話休題。
「ローマ人の物語」で知られる塩野七生氏なら古代ギリシャに触れているはずだと同書文庫本を見たらありました、ナント60ページも!・・・基礎知識がない小生には決意を固めないととても読めない。もしかしたらと女史の「逆襲される文明 日本人へ(4)」を開いたら、
<ついに脱稿。とはいえ昨年(2016?)から始めていた「ギリシア人の物語」3部作の2巻目を書き終えたに過ぎないのだが、私の場合、脱稿後に感じる想いは「書き終えた」というより「分かった」という想いの方が強い。あるインタビューで、「学者たちとあなたではどこが違うのか」と問われたことがある。こう答えた。
「その面の専門家である学者たちは、知っていることを書いているのです。専門家でない私は、知りたいと思っていることを書いている。だから書き終えて初めて、分かったと思えるんですね」
もちろんそれなりの勉強は書き始める前に済ませてある。ただ、いかに著名な歴史家の叙述でも、世界的な権威の意見でも、それに捕われたくないだけなのだ。
この3部作を書きたくなった動機は2つあって、第1は古代のギリシア人を分かりたいと思ったこと。第2は、彼らの創造した政体である民主政が、なぜある時代には機能し、なぜある時期からは機能しなくなったのかを分かりたいと思ったこと。
これまでの定説では、前者は「デモクラツィヤ」(民主政)、後者は「デマゴジア」(衆愚政)と簡単に片づけてきた。何しろ日本の辞書では「衆愚政」を「愚かな者たちによる統治」としか説明していないのだから。だが、学校での出来がはなはだ悪かった私は、何であろうとバカバカしいくらいに素朴な疑問からスタートする癖がある。
アテネの民主政と衆愚政の境目は、大政治家であったペリクレスの死、というのも定説になっているのだが、ペリクレスが死んだ途端にアテネの民衆が愚か者に一変した、というわけでもないでしょう、と考えたのだった。一夜明けたらアテネ人の全員がバカになっていた、というようなことは起こり得ないのだから。
この重要極まる命題を総論という形で正面から切り込めば新書版で済むのだが、私にはもう一つ悪い癖があって、アテネ市民、ギリシア人全体の行跡を一つ一つ追っていくことで解答に迫るやり方を専らとしている。「各論を積み重ねていく」と言っても良いが、この方が歴史を書くのに適しているとも思っているのだ。
要するに「民主主義(の有無次第による)」と言えば、それだけで問題が解決すると思い込んでいる人々への疑問を、書いていくことで晴らしたかったのであった>
古代ギリシャと言えば「ポリス=民主主義」を思い浮かべるが、階級社会の上位の民による自由民主人権法治であったようだ。百科事典マイペディアによると、
<ポリス/polisは古代ギリシアの都市国家。本来は外敵が侵入した際に避難し防御するための丘(アクロポリス)を意味した。前8世紀ころ集住によって成立。一般にアクロポリスを中心にアゴラと呼ばれる広場をもつ城壁に囲まれた都市部と、郊外の農村とからなる。
貴族政、寡頭政、民主政の各時代を通じて市民は参政権をもち、ほかにメトイコイ(在留外人)、奴隷、ときにはペリオイコイ(市民以外の自由民)がいた。ポリスは自由・自治を原則とする国法を有し、自給自足を理想としていたが、他のポリスに従属的になったものも多い。
最盛期にはこうしたポリスがエーゲ海地域のみならずイタリア南部、シチリア島、フランス南部にまで広く分布。例外的に大きなアテナイ(アテネ)、スパルタなどのポリスを中心に抗争が繰り返された。ヘレニズム時代以後、ポリスの政治的独立は失われたが、なお多少の自治は享受した>
あくまで「市民=上層階級」による民主主義であり、それ以外の、多分、市民よりも圧倒的に多い下層階級には参政権はなかったろう。江戸時代の士農工商と一緒で、政治にかかわるのは武士階級(人口全体の10%ほど)という身分制と似ている。身分制がいいかどうかはさておき、覇を競う戦時になると「国民皆兵」で下層階級の民にも頼らざるを得なくなるから身分制は緩めざるを得なくなる。だが「政治への関与、選挙権もないのになんで国のために戦わなくてはいけないのか?」・・・当然の主張が起こる。
かくして民主主義は広がるのだろうが、選挙で勝つためには「主義主張、正論」だけではなく選挙民に美味しいプレゼント、例えば減税や福祉を約束せざるを得ない。古代ギリシャのポリス=エリート政治が弱体化していったのも「戦力強化のための身分制の緩和」という要素があったろう。国民全体の選挙による自由民主人権法治・・・これは理想ではあるが、下手をすると国家を分裂しかねない。悩ましいことだが、自由民主人権法治の政治は「民度が高くないと上手く機能しないシステム」であることは確かだ。
古森義久先生の「ウクライナ危機の日本への教訓」Japan Indepth 2022/6/22から。
<ロシアのウクライナへの軍事侵略は日本にどのような影響を及ぼしたのか。結論を先に述べれば、国際情勢への衝撃的な覚醒、そして日本の安全保障への自己否定にも近い反省の教訓だといえよう。
第一には国際情勢の危険な現実への目覚めのような認識である。核兵器を保有する軍事大国のロシアが武力の微少な隣の小国を正面から侵略する。そして殺戮と破壊をためらわない。
こんな事態は日本のこれまでの多数派の国際認識の否定だといえよう。日本の憲法が前文でうたうように「平和を愛する諸国民の公正と信義」に頼れば自国の安全も世界の安定も得られるという認識がいかに現実離れしているかの、いやというほどの証明だろう。
この世界には相手が平和や友好を求めれば求めるほど軍事力で自国の野望を押しつけるという国家が存在するのだ。ロシアの蛮行は日本国民にもいまの世界の現実を冷徹にみせつけたといえよう。
日本ではロシアのウクライナ侵略は文字通り、連日連夜、衝撃的なニュースとして報じられ続けた。その衝撃はこれまでの日本の多数派の「世界はアメリカ、中国、ロシアの力の均衡でそれなりに安定し、日本はとくに日米同盟で守られている」という安逸な国際認識を打ち砕いたといえよう。
第二には、自国の独立や安全を守るためには軍事力での抵抗が不可欠という場合があるという教訓である。ウクライナはロシア軍の侵略に対し決然と戦った。その闘争が自国の独立を保ち、国際的な支援をも獲得した。
日本でもこのウクライナ国民の闘争への賞賛が高まった。その賞賛は日本の一部で根深かった「いかなる戦争も拒否」という無抵抗敗北志向を後退させた。朝日新聞が喧伝するような「自国を守るための自衛戦争でも人殺しだ」とする降伏主義がウクライナ国民の勇気ある戦いにくらべると、いかに堕落し、非人道的かの実証だった。自衛のための戦争までも否定すれば、残るのは侵略の相手への隷属である。
日本ではこれまで「八月の平和主義」が目立っていた。毎年、原爆投下や敗戦の月の八月になると、「平和こそが最も大切」という標語の下、「いかなる戦争も否定」として事実上の降伏主義が唱えられてきた。自国を保つための防衛や抑止、反撃という概念も排されてきた。
だがいまの日本では国防の強化、防衛費の増額、反撃能力の保持という正常な国家なら当然の安全保障策を唱える声が驚くほど広まってきた。これもまた明らかにウクライナの教訓だろう。
総括すればウクライナ紛争は日本国民の多くに正常な国家意識を呼び覚ませてくれたようなのだ>
「ようなのだ」、そうなるかどうかは未知数のようなのだ・・・悩ましいことである。
ここまで書いて、「さて、どう締めくくるか」と一服していたら「国家意識よりもバラマキ福祉、ユスリタカリも芸のうち」の池田教ナンミョーがやってきた。来月は参院選・・・“ウクライナショック票”があるかどうか分からないが、中露北が大好きな左巻きの立憲共産党(立共)などが不可逆の絶滅に向かえば結構だろう。
それにしても立共は畢竟、今の日本で「共産主義革命を!」という政党だ。時代錯誤どころか暗愚か狂気。民主主義を装う鳩山、菅、野田、岡田、前原、小沢、辻元、枝野、泉・・・人材の宝庫どころか「人災の宝庫」。
感動の芸術を世界に遺した古代ギリシャとは比べようはないが、立共は図らずも身をもって共産主義者の愚かさを示し、結果的に日本から共産主義を一掃した政党として記憶されるかもしれない・・・かつての社会党と同様で、せいぜい1年ほどで忘れ去られるだろうが。
・・・・・・・・・・・・・・
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