gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

國學院大は神道系大学

2024-09-07 09:48:39 | 戦争
國學院大は神道系大学
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」332/通算763  2024(令和6)年9/7/土】9/6は早朝からキッチンの換気扇の大掃除。1年ほど放置していたからベトベトになっており、4時間ほどもかかってしまい、ヘトヘトに。汗でグッショリ、着替えてベッドに倒れ込んだ。加齢ですっかり無理ができない体になってしまったのだ。ま、2日ほどたてば「喉元過ぎれば熱さを忘れる」、多動爺が復活するだろうが、3時間ほど作業すると常に足がつるのでたまったものではない。芍薬甘草湯でどうにか痛みを軽減しているが、経年劣化だから「作業は2日置き、2時間以内」を原則としていこう。小中高では「廊下は走らない」ことになっているが、「老化は無理しない」ということで・・・
櫻井よしこ氏の「松浦光修氏が語る特別な『わが国』」(『週刊新潮』 2024年8月29日号、日本ルネッサンス第1111回)から。( )内は小生の補足。
<日本は国の基盤を失い、漂流しているかのようだ。日本人の底力を引き出し困難にもめげない勁(つよ)い国にするには何が必要か。「言論テレビ」で皇學館大学教授の松浦光修氏に語ってもらった。松浦氏は安倍晋三総理や中川昭一氏らが創った若手保守議員の勉強会[後の創生日本]の、いわば指導に当たった人物である。

「歴史認識をはじめ問題は幅広いと思います。その根本にあるのは、まず、日本は自分の国なんだという意識を取り戻すことです」
日本が日本人の祖国であるのは自明のことだが、松浦氏はまさにその意識が薄らいでいると喝破する。一例として言葉遣いの問題を挙げた。(以下、櫻井氏の言は《 》内に置く)

「昔は政治家、言論人、学者、みな『わが国』という言い方が普通でした。ところが最近は『この国』という表現が一般的になってきました。司馬遼太郎さんの『この国のかたち』というエッセイの影響もあるかもしれません。けれど実は、敗戦でGHQが日本を占領したとき、使用を禁止された多くの言葉の中にも『わが国』が入っているのです」
《言葉ほど大事なものはない。言葉は心であり、人はそこに意味を込め、価値を託し発信する。GHQはそれを選択的に削り、日本人の価値観を破壊した。昭和22年の教科書検定基準では多くの言葉が使用禁止となり、その筆頭が天皇に関する用語だった》
「たとえば『大君』です。二つ目が国家的拡張に関する言葉で、八紘一宇など。三つ目が国体や愛国心につながる用語です」《すべて国家の基盤に直結する言葉だ》
「次に神話です。私は神代の物語と表現しますが、日本国はどのようにして誕生したか。神代の時代に生まれた日本国は誰が守ってきたのか。代表例としてかつての日本人は楠木正成を識っていましたが、楠公は教科書や歴史から消されました。登場するときには悪党として出てきます」

《GHQは本居宣長のような、日本の国体を明らかにするために天才的な学問的業績を残した人物も消し去った。そして何が日本に残ったか》

◎日本民族の記憶: 「空中にポンと生まれて、ポンと消えていくような、非常に刹那的な人生観ではないでしょうか。先祖とも、子孫ともつながりがなく、ただ偶然生まれて偶然死んでいくような人生観がそこから形成される。だからポリコレのような流行りの価値観に染まり易いのです」
《先祖と自分、自分と子孫、未来永劫続く天壌無窮の神勅に基づく日本、これら一連の表現は全て軍国主義に結びつけられ否定された。そして、日本人は自分のことだけ考えていればよいという人生観を刷り込まれてきたとの指摘だ》

「日本人は教育熱心ですから、昔から親は子どもに勉強しなさいと言ってきた。何のための勉強かと子どもが尋ねると、戦後は『あなたの将来の為』と言うのが普通になった。世の為、人の為と言わなくなった。つまり、自分が偉くなる、豊かになる。その為だけに人生を使うことは、実は人間にとって非常に不自然なことなのですが、もはや誰も他者の為に尽くせと、教えなくなった」
《そして日本人は、当然の帰結として祖国のすばらしさを忘れてしまった。日本国の歴史を振りかえれば少なくとも二つ、突出したすばらしさがある。(1)革命がなかったこと、(2)植民地化されなかったことだ》

「(1)は明治維新が好例でしょう。官軍は徳川慶喜を朝敵として討ちましたが、慶喜はその後公爵となって幸せな余生を過ごしました。会津の松平容保も賊軍とされましたが後に正三位となり穏やかな余生を送っています。敗者を徹底的に貶めない武士道の伝統です。そしてその源流は大国主命(おおくにぬしのみこと)の国造りにあると思います」
《古事記、日本書紀に書かれている国譲りの物語が武士道の源だというのである。大国主命が完成させた葦原中国(あしはらのなかつくに)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子どもの神様が「知らす」(統治する)べき国だとする天照大御神の神勅によって交渉が始まる。厳しい局面もあったが、最後に出雲大社に大事に祭られることを約束されて大国主命は国を譲る》

「血を見ることなく国譲りが行われた。この神代の物語は日本民族の記憶の中にあります。明治維新に戻りますと、西南の役も含めて戦いの犠牲者は約3万人。フランス革命では内乱や処刑、対外戦争で約100万人です。流血の規模が2桁違います。ロシア革命、中国共産党革命に至っては多分3桁違います。にもかかわらず、日本は明治維新によって西洋諸国をはるかに超える規模の階級間移動を成し遂げたのです」(現在の日本は主に4階級間の格差があるとされる)

◎悪意の世界戦略: 《次に(2)の植民地化されなかった点について松浦氏は大航海時代(15世紀半ばから17世紀半ばまでのアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な調査・進出)に日本がイベリア半島の二つの国、スペインとポルトガルの悪意の世界戦略を退けたことを強調する。彼らは布教と貿易と信仰の三点セットで北米大陸、南米大陸、アフリカ、インド洋などにおいて先住民を殺戮し搾取し、奴隷にしていった》
「東と西から侵略を進めたスペインとポルトガルは地球の裏側のアジア、日本列島でぶつかります」
《彼らが日本に到達した頃、わが国は織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らの時代だった。信長らは当初、外来の文化や価値観に興味を抱き貿易にも前向きだった。だが、イベリア勢力2か国は数百人とも数万人ともいわれる日本人を買い取って船底に積み重ね、手足を鉄の鎖でしばり奴隷として売り捌いていた。また、神社や寺院を焼き払わせ破壊させた。
秀吉は彼らの蛮行を知り、彼らの船が侵略目的の大きな軍艦であることを確かめると直ちにバテレン(主にキリスト教宣教師)追放令を出した。わが国には彼らに負けない武力を有する戦国大名がひしめいていた。間一髪、武威の力でわが国は植民地化を免れた。
しかし、戦後、これらは全て放棄させられ、歴史も忘却させられた。それでもわが国の国体の軸である神代から続く皇室は、絶えることなく126代続いて今日に至る》

「奇跡です。初代天皇をさらに遡れば、伊耶那岐神(いざなぎ)、伊耶那美神(いざなみ)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)まで行く、つまりわが国には宇宙の始まりからずっと続く連続性、天地万物とつながる歴史があるのです。だから風にも、土にも、川にも海にも山にも神様がいる。伊耶那岐神、伊耶那美神がお生みになった国土、自然だからです」

《天地、自然、万物と日本人はつながって生きている。その象徴が宮中三殿での毎日の陛下の祈りだと松浦氏は解説する。そして20年に一度、伊勢神宮御遷宮の年、日本国民は人口10万人の伊勢市に大挙して訪れ参拝する。平成25年の時、参拝者は実に1420万人に上った。伊勢神宮が皇室の神社であることを意識していない人も、そこが特別に大事な神社であることを感じているのだ。
心の奥深いところに民族の記憶が残っている。歴史を学んでわが国の国体を知れば、そこから力は湧いてくる。松浦氏の言葉を心一杯に受けとめ希望をつなぎ続けようと考えた》>以上
・・・・・・・・・・・
松浦光修氏、上記の言から神道の神主さんかと思っていたが、WIKIにはこうあった。
<松浦光修(まつうら みつのぶ、1959年 - )は、日本の歴史学者。「皇學館大学」(正式には國學院大学)文学部国史学科教授。専門は日本思想史。
昭和34年(1959年)熊本県熊本市生まれ。皇學館大学文学部国史学科を卒業後、同大学院博士課程文学研究科で日本思想史(日本の伝統国家思想)を学ぶ。「大国隆正の研究」により國學院大學から博士(神道学)の学位を取得。2018年現在、皇學館大学文学部教授。著書(単著)には以下がある。
『大国隆正の研究』2001年。『やまと心のシンフォニー』2002年。『いいかげんにしろ日教組 ―われ「亡国教育」と、かく闘えり』2003年。『夜の神々』2005年。『日本の心に目覚める五つの話』2010年。『日本は天皇の祈りに守られている』2013年。『龍馬の「八策」維新の核心を解き明かす』2016年。『明治維新という大業“大東亜四百年戦争”のなかで』2018年。『日本とは和歌 国史のなかの百首』2020年。『不朽の人 吉田松陰と安倍晋三』2024年>
なお、國學院大学は1920年(大正9年)に日本の私立大学では同年に大学へと昇格した早稲田大学、慶應義塾大学についで、最も古い段階で大学令に基づく大学となったという。老舗だが早慶と違って派手さがないのは神道系大学ゆえだろう。
・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
必殺クロスカウンター https://www.mag2.com/m/0001690154.html
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14

インディアンの見た幕末の日本

2024-09-04 08:07:54 | 戦争
インディアンの見た幕末の日本
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」331/通算762  2024(令和6)年9/4/水】読書の秋と言うけれど、昔はクーラーがなかったから夏場はとても読書する意欲が湧かなかったのだろう。高校時代の夏休みは、避暑地のように涼しい学校へ行って勉強していたものだ。1クラス50人の教室に2、3人しかいないから実に快適だった。今は比較的涼しい早朝7時から3時間ほど営繕作業をしているが、それでも汗ぐっしょり、ヘロヘロになってしまう。しかしクーラーのおかげでずいぶん元気が回復する。ま、現代版“晴耕雨読”、読書の意欲が湧いてくるのは結構なことだ。

「ラナルド・マクドナルド日本回想記  インディアンの見た幕末の日本 /富田虎男訳訂」(刀水書房、1981年改訂版、 英語原文は1923、1979年、改訂版1981年)はとても良かった。
吉村昭著「海の祭礼」(文藝春秋1986年10月の文庫版)を読んでいたら、参考文献の筆頭に「ラナルド・マクドナルド日本回想記」があったので早速ネットで購入。実に感動的な良書だった。吉村氏が取り持つ縁だが、小生は氏の著作は「戦艦武蔵」しか知らなかったのでWIKI(小生はスポンサーの一人)で調べてみると――

<吉村 昭(よしむら あきら、1927年(昭和2年)5月1日 - 2006年(平成18年)7月31日)は、日本の小説家。東京府北豊島郡日暮里に生まれ、学習院大学を中退。1966年(昭和41年)に『星への旅』で太宰治賞を受賞した。同年発表の『戦艦武蔵』で記録文学に新境地を拓き、同作品や『関東大震災』などにより、1973年に菊池寛賞を受賞した。現場、証言、史料を周到に取材し、緻密に構成した多彩な記録文学、歴史文学の長編作品を次々に発表した。『海の祭礼』(文藝春秋 1986年10月 のち文庫)でラナルド・マクドナルドを描く>

同じくWIKIで「ラナルド・マクドナルド」を検索すると――
<ラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald、1824年2月3日 - 1894年8月5日)は、英領北アメリカで生まれたメティ(西洋人と先住民の混血)の船員、冒険家。日本が鎖国時代の1848年に、アメリカの捕鯨船から小船で日本に密入国し、約10ヵ月間滞在した。長崎では日本人通詞(阿蘭陀通詞)たちの英語学習を助け、日本初の母語話者による公式の英語教師になった。聖公会信徒>

やがてマクドナルドは世界中を“放浪”するが、心はいつも、たった10ヵ月の滞在だった日本時代にあった。青春は美しく、麗しく、そして概ね悩ましいものだが、彼の人生で日本での10か月は一番光り輝き充実した日々だったのだ。
泣けるなあ、読者諸兄も是非ご覧ください。現在「ラナルド・マクドナルド日本回想記」は絶版のようだが、ネットでは中古本を購入できます。WIKIでも彼の生涯を詳しく紹介していますが、やはり同書がお勧め。富田虎男氏の解説も素晴らしいので再版してもらえないものかと切に願う。

最期にマクドナルドの生い立ちについてWIKIから引用する。
<英領北アメリカのオレゴン・カントリーにあるアストリア砦(現オレゴン州アストリア)生まれ。父はハドソン湾会社の毛皮商でスコットランド人のアーチボルド・マクドナルド(国籍はイギリス)、母は当地の先住民チヌーク族のコアルゾア(別名プリンセス・レーヴァン、プリンセス・サンデー)。
母方の祖父とマクドナルドの父はともに名声をあげ、採掘業で協力関係にあったことから、父は事業をうまく進めようとして土地所有者(祖父)の娘と結婚、このような姻戚関係は当時、珍しくなかった。母は出産後数ヵ月で死亡し、マクドナルドは一時は母方の叔母に預けられ、翌年、再婚した父に引き取られている。
エジンバラ大学を出た父親から基礎教育を受けたのち、1834年にレッドリバー植民地(現・ウィニペグ)のミッション系寄宿舎学校に入り、4年間学んだあと、父の手配でオンタリオ州で銀行員見習いとして働いたが、肌が合わず出奔している。子供の頃、インディアン(ネイティブアメリカン)の親戚に自分達のルーツは日本人だと教えられ、日本にあこがれたマクドナルドは日本行きを企てると、1845年、ニューヨークで捕鯨船プリマス号の船員となる。その理由を本人はいくつか書き記しているが、自分の肌が有色であり差別を経験し、日本人と似た容貌から日本語や日本の事情を学びたかったこと、鎖国によって情報が乏しい日本の神秘が冒険心を掻き立てたことなどを挙げている・・・>
是非「ラナルド・マクドナルド日本回想記」の再版を願いたい。
・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
必殺クロスカウンター https://www.mag2.com/m/0001690154.html
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14


ガス帝国日本が世界を救うか

2024-09-02 07:38:35 | 戦争
ガス帝国日本が世界を救うか
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」330/通算761  2024(令和6)年9/2/月】早朝3時に目覚めて空を見上げたら星がいっぱい、ようやく台風は消滅したようだ。室内は29℃、外は27℃辺りで、何やら秋の風情、素敵な秋子が近づいてきた。秋子、♪俺は待ってるぜぇ! 閑話休題。

高度成長期が始まった1960年頃、公務員を辞めて乾物屋を開業した父は、資産運用で当時人気が出始めた株式投資にも手を出した。株屋(証券会社を当時はそう言っていた)の営業マンはしょっちゅう来ていたが、3年ほどで父は株売買を止めてしまった。「やれば儲かるのは分かっているが、本業の商売が忙しいから」と言っていた。毎朝6時起床で市場に仕入れに行き、昼食と昼寝を挟んで午後は7時頃まで働いていたから12~13時間労働。株売買の暇はないし、「株屋は値上がりが確実な銘柄なのに新規の客にも回したいので売れという。株屋に振り回されるのは煩わしい」とも。

夏休みなどに小生は父の車に乗って調布市場での仕入れに同行したが、父が懇意にしている同業者のオッサンが「○○株で儲かった」と自慢していた。そのオッサンが仕入れの際に「オマケ」と称して商品を二握りほど堂々とかっぱらうのを見て小生はびっくりしたものだ。父曰く「奴は株で儲かったと言うが、失敗した話はしない。内情は火の車だ」と言っていた。それから間もなくしてこのオッサンは夜逃げしたそうだ。

「投機筋」という言葉がある。「短期的な値動きの変化から利益を獲得することを目的に取引を行う投資家のこと。比較的投資額が大きいヘッジファンドや機関投資家等の売買が株価や為替価格の変動に与える影響が大きい場合がある」(カブコム証券)。株や為替を徐々に買って価格を上げ、いいところで今度は徐々に売って価格を下げていく。その過程でこざかしく儲けていくのが投機筋で、一種のマネーゲーム。「実需に基づく発展」「国家国民経済の安定」より私利私欲優先、己が儲かれば良いという「銭ゲバ」みたいだ。堅気のやることではない。“兜町の風雲児”などと称賛されていた投資家の最後は哀れなものだった。「まじめにコツコツ良い仕事」をするのが堅気の日本人の良さだと小生は思っている。

ブルーグバーグ2024/8/30「世界に君臨する『ガス帝国』日本、エネルギーシフトの現実路線に軸足」から。
<世界のどこかで6時間おきに日本企業が管理する液化天然ガス(LNG)の積み荷が港を出ている。燃料を超低温に保つ巨大な魔法瓶のようなタンカーはエネルギーを大量に必要とする各国に向かう。これらのLNGタンカーは、存在感を増す日本のガス帝国のほんの一部に過ぎない。

政府の熱心な支援により、日本企業は現在、老朽化し、資金繰りが困難になりつつある石炭発電所をガスに置き換えようとしている国々に完全なパッケージを供与している。エンジニアリング会社は技術と部品を、公益会社は燃料を、銀行は融資を提供する。
天然ガス産業に対する日本の支援は、半世紀で2500億ドル(約36兆円)規模に膨れ上がったLNG市場の急速な拡大に拍車をかけた。米国などの輸出国がLNG市場の成長から利益を得続けている一方で、自国のガス埋蔵量が少ない日本は、サプライチェーンの各段階で不可欠な存在となっている。

オーストラリアのLNG輸出最大手ウッドサイド・エナジー・グループを2021年まで率いたピーター・コールマン氏は、「この業界は日本なしでは成り立たなかった」と語り、「新市場への多角化と参入を試みていた」と日本勢について振り返った。

ブルームバーグの算出によると、日本の大手企業は今年3月末までの1年間にガス関連事業から少なくとも140億ドルの利益を得ている。これは国内トップクラスのエレクトロニクスメーカーの利益を合わせた規模にほぼ匹敵する。
他の天然ガス推進派と同様、日本の政財界のリーダーたちも天然ガスは気候変動との闘いにおいて重要な役割を果たすと述べている。再生可能エネルギーが広がる傍ら、 天然ガスは二酸化炭素(CO2)排出の多い石炭に取って代わることができるからだ。

しかし環境主義者たちは、ガスはクリーンエネルギーへの一時的な橋渡し的役割を果たすどころか、かつての石炭のように定着してしまうと警告。さらに、人工衛星からの新たな観測によれば、ガス産業は報告されているよりもはるかに多くのメタンを発生させており、石炭よりも気候に大きな脅威をもたらす可能性がある。
こうした議論はほとんど無視されてきた。昨年の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)では、各国政府は化石燃料からの脱却にコミットしながらも、「移行燃料」の役割を認め、ガスを基本的に支持した。天然ガス生産世界一の米国はLNG輸出を倍増させる予定で、全ての原子力発電所を停止したドイツはガス消費を増やそうとしている。

自国市場向けに十分な供給を確保し、国内企業にとって重要な市場である新興国の高まるニーズに応えたい日本も、ガス利用を支持し続けている。産業界が支援するシンクタンクは昨年、増大する需要を満たすためガスに7兆ドルの新規投資を実施するよう呼びかけた。
国際協力銀行(JBIC)の加藤学エネルギー・ソリューション部長は「ガスをサポートすることで、現実的な移行を実現する必要がある。インドのように、50年以降もガスが必要な国もある」と述べた。

日本が今、LNGを重視しているのは、54基の原子炉を停止させた2011年の東京電力福島第1原発事故に端を発している。国内に多くのエネルギー資源を持たない日本の公益会社は、急いで数十年にわたるLNG契約を結び、米国や豪州の施設に投資した。
しかし、15年になると予想より早く日本は一部の原子炉を再稼働。再生可能エネルギーの普及にも急ピッチで取り組んだ。電力需要が低下し、ガスが余ると、公益会社と商社は過剰分を海外に売却しようと考え始め、シンガポールとロンドンにトレーディングデスクを設置した。
LNGタービンの販売やパイプライン網の構築のため、タイやベトナム、フィリピン、バングラデシュ、インドなど、電力需要が高まっている新たな市場を探していた日本のメーカーなどもこれに加わった。

LNGへの切り替えや生産能力の追加には膨大な費用がかかるため、日本政府は新たな供給や輸入ターミナル、その他のインフラへの大規模な投資に融資を供与。
環境保護団体オイル・チェンジ・インターナショナルの分析によると、日本の公的機関は12年以降、LNG輸出施設に対して400億ドル近い融資を実施。16年に発効したパリ協定以降、JBICはガス事業に対する世界最大級の貸し手となっている。
今年3月以降だけでも豪州のLNGプロジェクトやベトナムのガス田、メキシコのガス発電プロジェクト向け日本製タービンを支援するために10億ドル以上を融資した・・・>以上

ところで「環境保護団体」とは何か。環境保護を理由に破壊活動やテロ活動を行う集団や人物を「エコテロリズム」「エコテロリスト」と言ったりするが、自然環境悪化の最大の原因は「1960年以降から顕著になった急速な世界的人口増だ」と小生は思っている。
<1950年におよそ25億人だった世界の人口は、2000年にはおよそ61億人と、この50年の間に2.4倍に増加した。現在は、1.2%の割合で年間7700万人増加している。2050年までに、世界人口は、国連の中位推計で93億人に達するものと予想される(国交省:全世界の人口の推移)>
地球環境保護のために今必要なのはネズミ算式に増えた「異常な人口増加」を抑制することではないか。異常な福祉、行き過ぎた医療など見直す必要があると思うのだが・・・・
・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
必殺クロスカウンター https://www.mag2.com/m/0001690154.html
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14