日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

護道の稽古。

2024-02-07 09:52:00 | 発達応援
先週は節分でしたね。

その節分の後追いをして、
夜の子ども食堂でも海苔巻きを作りました。

ハーフサイズとはいえ、40本!

実家の85歳の母に手伝ってもらい完成!
母よ!ありがとう!

母曰く、
「年寄りのリハビリみたい」

…あなたも充分…モゴモゴモゴ。

月2回、
オンラインでの護道の稽古に参加している。

護道とは、
お互いに傷つけない自他護身を目指して、
廣木道心先生(国際護道連盟宗家)が
開発した新しい武道です。

さて、先週の稽古では、
「相手の動きを封じるには、どう動くか」
というテーマで稽古が行われました(私の理解)

見た目とても地味な稽古でしたが、
これは今の私には必要な稽古で切実な思いで
オンライン稽古に参加していました。

相手の動きを封じる、というと、
如何に相手より先んじて勝つか、
ということがテーマのように感じるかもしれません。

極めれば、もちろん、
ケンカでも勝てるし、
リアル喧嘩上等人生でも役立ちます。

が、私が切実に求めているのはそこではなく!

相手の動きを封じるということは、
こちらの動きを察知されずに、
相手の動きを防御するということです。

これが、役立つ場面!

私の場合は、
教室に来る子のトイレ誘導なのです。

お子さんの中に、明らかに排泄衝動があり、トイレかも〜というときがあります。

また、オムツに排泄して、オムツが気持ち悪い〜という仕草のお子さんがいらっしゃいます。

「お!トイレ行こうか!」と誘うのですが、
逃げる逃げる!

意図せず追いかけっこ的になってしまいます。

こういうときに、わかりやすくいうと、
パッと捕まえて、トイレに連れて行きたい!

一瞬、捕まえても、
小さく細い体のどこに、こんな力が潜んでいるのか⁉︎という振り解き方で子どもは逃げて行きます。

この振り解いて逃げるお子さんと私の構図が、
先週の稽古での「抜けた〜触るよー」でこれだ!と膝を叩いたのでした。

わかりやすくいうと、
トイレになんか行かないぞ!というお子さんに、
「うんうん、そっか。わかったトイレ行かないよ!」と見せかけて、

じゃトイレなー、とトイレに誘導して、
お子さんもトイレに向かっている…。

そういうイメージなのですが、
おわかりいただけますでしょうか?

ただ、護道の稽古自体は、
そんな場面を想定していません。

あくまで、稽古の中の動作から
私が日常とリンクさせた…という感じです。

自分の日常と習っていることを
繋げるイメージができると、
「稽古」という閉じたものが現実的になり、
私の中に具体的な事柄になります。

体の使い方を学ぶことは、
今の自分にはないイメージ力の鍛錬でもあるなぁと思った今回の稽古でした。

日々鍛錬!
押忍!ですね!










教室でのからだ育て。

2024-01-28 20:09:00 | 発達応援
日向に出ると暖かい。
この前の雪が嘘のような日々が続いています。

今日は午前中、午後と教室にお子さんが
来てくれる日でした。

どちらのお子さんたちも、
からだ育てできてくださっています。

子どもたちと遊んでいると、
なかなかできずに不自然だった動きも
ほんのちょっと遊んだだけで、
パッと雰囲気が変わります。

それを本人が無意識にできるようになるには、
もっとたくさん、日常の中で遊ぶと良いと思っています。

今日は、これまで一切片付けなかった子が、
やり方、やる方向性を少し変えたら、
片付けに参加してくれました。

片付けてくれたことへの
労いや感謝の気持ちも伝わって、
更に張り切ってくれて、
またちょっと階段を上ったかな、と
嬉しく思いました。

また、やりたい遊びができないと
上手になっていて驚きました。

子どもの発達は、
その場その場の1分1秒だなぁ〜と
改めて感じたことでした。

教室できるでのからだ育ては、
実際に一緒に遊ぶことでやっています。

からだ育てが、長い目で見ると、
学習面のサポートになっている子たちもいます。

お子さんの動き方について、不安な方や
学習面でのサポートを必要と感じられる親御さん。

お気軽にお問合せくださいませ。





テリトリー。

2024-01-22 23:25:00 | 発達応援
今日は夜の子ども食堂の日だった。

メニューによるのか、
手際が良くなってきたのか、作るのが早くなった。

いつもエレカシ(エレファントカシマシ)のCDを無限ループで聴きながら作っている。

だいたい、アルバム4枚で作り終わる。
途中、聴き込みすぎて焦がしてしまった。

でも、きっと歌の元気も入っている。

誰かのために、とか
誰かを助けたい、と思ったとき、
たぶん、自分の持っている資格や知識を総動員してどうにかしようとする。

しかし実際は、資格や知識を超えることが多々だし、
冷静に考えると自分の持っているものなどたかが知れてるのものだ。

人助け、と称して、
単に自分のテリトリーに引き込んで、
こねくり回すような支援は、
たまたまドンピシャと合えば当たるだろうが、大概は外してしまうのではないだろうか。

色々な方がSNSにアップされていて知ったのですが、
「児童思春期病棟」というものがあり、
不登校を入院診療でみようとする動きがあるらしい。


驚く。

病院に行くということは、
不登校って病気なのでしょうか?

学校の現場にいた頃、
不登校について学校がうまく機能しなかったとは思うものの、
何らかの病院に行っていた子どもたちがうまく学校に復帰なり、自分の人生を豊かにしていたとはとても思わない。

自分のテリトリーに引き込んで、
引き込めさえすれば…!と思っていないでしょうか?

次から次へと「病い」が増やされていく現在。

本気で誰かを助けようとすると、
たぶん破れかぶれの本気でいくしかないのではないでしょういか。

テリトリーへの連れ込みに注意しましょう!








地味で滋味ある体験を!

2024-01-18 06:11:00 | 発達応援
朝イチの熱々のコーヒーうまーい!

珈琲豆でコーヒー淹れると思い出すのだが、
実家亡父はよくコーヒーを飲んでいました。

家で飲むコーヒーは、
インスタントコーヒー一択の時代。

でも、だんだんと、
珈琲豆も手軽に手に入るようになり、
家でドリップしたコーヒーを飲み一言。

「パンチがない」

インスタントを足していた思い出。

先日の凧あげのとき、
2行くらいの作り方の説明文が
添付されていました。

簡単に書くと、
・付属の棒を差し込むこと。
・糸を結ぶこと。
の2点。

小2〜小6くらいの子どもたちが、
「えー、どうやるの、どうやるの⁉︎」
とわきゃわきゃ。

今から凧あげするぞ!という高揚感から
文字の意味が頭に入らない、
という雰囲気もありました。

でも、小2、3くらいの子どもたちは、
本気で「え?わからない」と持ってきます。

子 「この棒、いるの?」
私 「いるよ。差し込むとこあるって書いてあるよ。」
子「え?わかんない。」
私「凧に差し込むとこがあるんだよ。」
子「……」

凧を裏表めくるけれど、
差し込むところを探すには、
めくる速度が高速だ。

「ゆっくりめくってごらんよ〜。
でさ、この棒、差し込めそうなとこ、
ないかなーって見てごらんよ〜。」

そう言うと、
ゆっくりめくって、探す風な視線になった。

「あったー!」

棒を渡すと、
「どうやって入れるの?わかんない!」

そ、そうなのか。

老眼で目を凝らして、片一方入れて見せて、
「同じようにして入れてごらんよ〜」
で、凧の形となった。

あとは糸を結びつけるだけなのだが
「どうしたらいいの?」
と持ってきました。

おや?と思い見ると、
風が強い場合、弱い場合と、2箇所、
糸を通すところがありました。

それに戸惑ったのかな?と思い、
私 「今日は外の風、強い?弱い?」
子 「強い!」
私 「じゃ、強いとき、って方に糸結んだら
   いいよ!」
子 「わかったー!……結べない…」
私 「真結びでいいよ」
子 「…できない…」
私 「…?リボン結びとかじゃなくて、
   ただ結んだらいいよ。」
子 「…?ただ結ぶのって?
   やったことあるかな〜?」

ということで、結んで見せましたが、
「ああ〜!」という感じではなかったので、
一緒に数回やりました。

こういうやり取りを4人とし、
真結びのとこは4人とも?という感じでした。

わーい!できたー!と、
屈託なく喜ぶ子どもたちを見ながら、
低学年の子たちは真結びをすることって、
日常生活であまりないのかなーと
思いましたが、どうなのでしょう?

私がその場で接した4人の子どもたちは、
例えば、棒を差し込む所を探すのに、
探すという動作に対して、
めくる動作のスピードが合わないなぁという子が2人。

真結びは4人ともできなかった。

だから、今の子って云々言うつもりは、
全くないない。

ただ、
子どもたちが自分でできることが減ると、
子どもたちの自由度が下がるよなーと、
そっちのことの方が気の毒に思った。

今の子どもたちは、
「色々なことを体験させよう!」と
教育的にも家庭的にも、
色々なリクレーションやイベントがあるように思います。

でも、その体験はもしかしたら、
大人目線の
「自分たちの子供時代あったら楽しかったのにな!」に偏っているかもしれないなぁ、と
ふと思ったり。

今の子どもたちに必要な体験って、
もう少し日常的な、生活に密着した
地味な体験を積むことかもしれません。

自分のこれからの日常生活を
自由に泳ぎ回れるように。

頭の先からつま先まで、
手の指隅々使うような、
そんな日常の楽しい体験が必要かもなぁと
子ども食堂後、日を追うごとに思うことでした。

















言葉も生活。

2024-01-14 20:49:16 | 発達応援
風に乗って上がる凧。
こんなに高く、気持ちよく上がってる凧を
数年ぶりに見た気がする。

この凧をあげていた子は、
2時間くらいはあげていたのではないだろうか。

昔遊びは、単純だけれど、
目を動かしたり、風を読んだり、
走ったり、止まったり。

友達の凧と絡まないように、距離を取ったり。

体を総動員しているなぁと感心する。

ゲームじゃなくても、
子どもは楽しいことには集中するものですね。

お正月からあれやこれやと、
同時進行で本を読んでいる。

この本は、教室に来ている、
コミュニケーションは取れるけれど、
いわゆる、言葉としての発語はない子への
参考になるかなぁと読み始めた本です。

本の通りに全てのお子さんが行くわけではないし、本でのやり方がどうなのか、正直よくわからない。

ただ、本を読みながら著者の方が、
お子さんと気持ちを通じ合いたいなぁと
きっとその一心だったのだろうなぁと
思いながら読み進めた。

だから、やり方をこの本で、というよりも
本の中のエピソードを読みながら、
教室のお子さんはどうだろう?と、
エピソードと現実のお子さんの像を行き来している。

言葉が話せさえすれば、聞けさえすれば
生活がうまくいき、
周りとうまく過ごせるとは限らない。

言葉を自分の中でどう受け取るか、
受け取った言葉をどう解釈して、
どう返すかが大事なのかなぁと
現実の生活を送りながら思うことです。

受け取った言葉を
自分の中で豊かにできるように、
そんな土台を育んで行くことを
大切にしたいな、と思います。