暖かくなってくると、人も活動的になりますね。
猫も体調が安定して、元気になります。
元気に動き回り、よく食べてくれる姿に、
暖かさのありがたさを感じる日々です。
感覚の過敏さは治るよねぇ…。
そんな本が花風社から出版されます!
感覚過敏は治りますか?
学校で支援員をしているときに、
感覚が過敏なお子さんと接することがありました。
その感覚の過敏さは、学校の中ではよくある休み時間の友だち同士が騒ぐ声に対してだったり、
図工の時間の糊や絵の具の匂いに対するものだったり、
体育の時間に使うボールの表面の凹凸に対しての感触だったり、
食べ物、味覚に対するもの…、様々でした。
私、個人的にはあまりそういう敏感さはない方なので、
はじめの頃は、「ああ、そうなんだ!それは大変だねぇ。」と、
その敏感さ故にできない、という訴えを気の毒に思っていました。
そういう過敏さ故に、できない、ということは仕方がないことなのだろう…。
はじめのうちはそう思っていたのですが、
同級生の大きな声に耐えられないと訴えるその子が、
自分の興味のあることには興奮し、驚くような奇声をあげることがありました。
また、ボールの凹凸が嫌だという子が、
少人数で遊んでいるときには、ボールの凸凹も大丈夫な感じで、
楽しそうに遊んでいることがありました。
そういう様子を見ていると、
過敏なのだから!と周りの人に配慮を求めたり、触らなくて良い状況を作って遠ざけるなど、
それだけだと本人の持つ敏感さはかわらないけれど、いいのかなぁ?
何か、きっかけがあると、無理せずにその過敏さを乗り越えられるのではないかなぁ、
そんなことを考えるようになりました。
それで、お子さんによっては、取組めることを取組んだこともありましたし、
お子さんの通っている病院の先生の判断で、
「決して、無理させないでください!」という場合もありました。
でも、社会の中で生きていくときに、
道具で解決される過敏さだけでない、様々な過敏があるのは、不自由だと思いませんか?
また、過敏さ故に諦めなければならないことがあるのは不自由だと思いませんか?
まだ、手元にもない、読んでもいない本ですが、
感覚過敏に悩む方、そういう人と接する方がラクになる本だと、
これまでの花風社の本を読んでいて、そう確信しています。
読んで、実践して、ラクになりましょう!
猫も体調が安定して、元気になります。
元気に動き回り、よく食べてくれる姿に、
暖かさのありがたさを感じる日々です。
感覚の過敏さは治るよねぇ…。
そんな本が花風社から出版されます!
感覚過敏は治りますか?
学校で支援員をしているときに、
感覚が過敏なお子さんと接することがありました。
その感覚の過敏さは、学校の中ではよくある休み時間の友だち同士が騒ぐ声に対してだったり、
図工の時間の糊や絵の具の匂いに対するものだったり、
体育の時間に使うボールの表面の凹凸に対しての感触だったり、
食べ物、味覚に対するもの…、様々でした。
私、個人的にはあまりそういう敏感さはない方なので、
はじめの頃は、「ああ、そうなんだ!それは大変だねぇ。」と、
その敏感さ故にできない、という訴えを気の毒に思っていました。
そういう過敏さ故に、できない、ということは仕方がないことなのだろう…。
はじめのうちはそう思っていたのですが、
同級生の大きな声に耐えられないと訴えるその子が、
自分の興味のあることには興奮し、驚くような奇声をあげることがありました。
また、ボールの凹凸が嫌だという子が、
少人数で遊んでいるときには、ボールの凸凹も大丈夫な感じで、
楽しそうに遊んでいることがありました。
そういう様子を見ていると、
過敏なのだから!と周りの人に配慮を求めたり、触らなくて良い状況を作って遠ざけるなど、
それだけだと本人の持つ敏感さはかわらないけれど、いいのかなぁ?
何か、きっかけがあると、無理せずにその過敏さを乗り越えられるのではないかなぁ、
そんなことを考えるようになりました。
それで、お子さんによっては、取組めることを取組んだこともありましたし、
お子さんの通っている病院の先生の判断で、
「決して、無理させないでください!」という場合もありました。
でも、社会の中で生きていくときに、
道具で解決される過敏さだけでない、様々な過敏があるのは、不自由だと思いませんか?
また、過敏さ故に諦めなければならないことがあるのは不自由だと思いませんか?
まだ、手元にもない、読んでもいない本ですが、
感覚過敏に悩む方、そういう人と接する方がラクになる本だと、
これまでの花風社の本を読んでいて、そう確信しています。
読んで、実践して、ラクになりましょう!