日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

都落ち。

2019-10-04 00:08:00 | 発達応援
今日は久しぶりの雨でした。
油断していたら、前回のアップからだいぶ日がたちました。書こうと思ってることはあったのに。

で、その一つ。

もう先月の地元の新聞。




こんな講演があったらしい。

で、こんな取り組みが開始されたというニュース!ニュースなのか?




10年前の私なら、「やっと地元で学べる!」と喜んで行っていただろうなぁ。

講演会に行ったわけではないから、新聞の内容を読んで知る範囲での感想ですが、
「ASDは社会性とコミュニケーション、イマジネーションという三つの面に特徴がみられる」とか「感覚の偏りを合わせ持つ」とか「脳のタイプが違う」とか10年前に支援員として研修で習ったことから一歩も変化はなさそうな内容だったのだなぁ、と遠い目になりました。

そして「今できないことが生涯できないわけではなく」(当たり前じゃん!)「成長や周囲のサポートにより、礼儀正しく真面目な青年として暮らす」「スケジュールで予定管理することで混乱を防ぐなど困りごとを減らすことは十分可能だ」など、これもまた、本人不在の他力前提の支援論全開。

支援の方向性として「生活の質を向上させ、困難や苦しさをできるだけ減らすこと」だそう。

自分の力で「困難や苦しさ」を乗り越えた後に「生活の質の向上」が来るという考え方はないのかなぁと素朴な疑問。

一体、どうやって生活の質を向上させるのだろうか。困難や苦しさをできるだけ減らす、ってどうするのだろうか?
その具体的方法は、講演会で示されたのでしょうか。その方法が、もしかして「TEACCH」?

そのTEACCHのことを「生涯にわたる支援が特徴」と新聞は紹介しているけれど、それは幸せなことだろうか?

年老いた方が「できれば自宅で、自力で生活したい」と言うのに、若い力が溢れた人が「生涯にわたる支援」を喜ぶのだろうか?障害があれば、それは仕方のないことなのだろうか?

私は、そうは思わないから、親御さんや本人が自分で自分の力を育む方向の支援を提供したいと思っています。

その一つが、毎年一度開催している栗本さんのコンディショニング講座でもあります。

困難も苦しさも自分で乗り越えて行く方法を身につけていけば、へこたれても、復活できると思うのです。

柔軟に自分で生きる力をつけて欲しい。

先進の地から地方へやってくるものは、最先端とは限らないし、良いものだとも限らない。選択肢が増えたと無邪気に喜ぶだけではなく、「治ってる?」という視点が大事ですね。









コメント
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