昨日は佐賀の放課後等デイサービスこどもひろばさん主催の藤家寛子さんの講演会に行きました。
この講演会は3部作で行われたもので、昨日はその最終回、3回目の講演でした。
題は「就労・投薬の問題を考える」で、藤家さん自身が投薬で体験したこと、就労するにあたり、どのように行動したかや現在仕事についても触れられました。
私が印象に残ったのは、「支援では、生きていく方法を教えてくれない」というようなことを言われたことです。
人は、どこかに住み、食事をしたり、疲れたら体力を回復して、そうして生き続けていかねばなりません。
そのためには、一人暮らしするにせよ、実家というようなところで暮らすにせよ、社会の中で自分の力を発揮して、収入を得ていくことが必要です。
でも、支援の場では「この支援を受け続けて行きさえすれば良い」ということが前提。
人が広い社会の中で生きていく方法や社会で生きていくにはどうすれば良いのかという視点が欠落し、支援者の目の届く範囲で暮らすことが前提で支援が進んでいくことを藤家さんの話を聞きながら改めて感じました。
そして、支援に繋がった当初は必要であったであろう「個別支援」が、本人の状態が変化していってもそのまま継続される怠慢さ。
支援の場というのは、通う人を成長させようとする場であると共に、そこで働く人々の生活の糧を得る仕事場である矛盾を孕むことも経営する者の目を濁らせるのかもしれないなぁと思うことでした。
もう一つ、印象的だったのは、藤家さん自身は「等身大の自分が見えていなかった」と語る青春時代や若い頃も常に「今、何ができるか」ということを模索し、体力が最悪でも、そのとき、そのときのベストを尽くそうとしていたということです。
それは、幼い頃に、家の酒蔵のお手伝いをしていたときから、「私にできることはないかな」と大人の仕事を観察し、自分の仕事を見つけて「いらっしゃいませ」と酒蔵の入り口でお客様にご挨拶をして、おもてなしをしていたという話と繋がっているなぁと私はしみじみ思いました。
まだ子どもだけど自分に何ができるか、今の自分は最悪だけど何ができるか。
力が足りないときでも、「私に何ができるのか?」と小さい頃から試行錯誤する質だったことは前へ前へと進む力になったのではないでしょうか。
そういう話から、将来像がとてつもないようなことでも、本人ががむしゃらに突き進めるように、体力をつけ、体を整える手伝いができるといいかなぁ、と思うことでした。
藤家さんが今と過去を行き来して語る話は、個人的な話なのだけどその俯瞰して語る視点は個人の枠を超え、人はどう生きるべきか、という普遍的な問いをそれぞれへ投げかけてくれる時間となった気がします。
最後に、ご自身の根を下ろす県内に食い込んでいる「偏った療育方法に一石を投じる」という覚悟をもって、藤家さんの3回にわたる講演会を企画された放課後等デイサービスの管理者の井出直美さん。
その行動に賛同する方々が、それぞれ自分の力を発揮して、施設や支援に縛られず、自由に生きていける地域の子どもたちを増やしていかれることを遠くからですが願っております。
がんばりましょうね!