日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

痛みでも学習する。

2015-10-01 18:32:26 | 本の紹介
 車が完全にダメになり、
日々、車屋さんにいく日々です。

 旦那どんは、毎日、長距離通勤だし、
部活の荷物を運んだりするし、車はなくてはならないものです。

 趣味のジムカーナも続けるためにも、
我が家ではバイクを積めるトランポになる車は必須です。

 そんなこんなで、車を選ぶのには時間はかからず、
どうやってもいるモノなので、さっさと見積もりをしていただいて、
買う算段をしています。

 楽しみな反面、ふぅ~という気持ちも入り交じり、
なんだか複雑な心中です。

 車の定期点検、大事かもなぁ~と思った、
今回の突然のエンジンご臨終事件でした

 痛みと学習というと無関係なようですが、関係があるのですね。
『皮膚感覚の不思議』という本を読んでいます。

 

 その中に、「痛みから学ぶ」という項目に次のような箇所がありました。

 脳には、「ノシセプチン」という物質があって、
この物質は痛みを感じると増えることから、
痛みを増幅する作用があると考えられてきたそうです。

 ところが、このノシセプチンは記憶や学習にも関与していることが明らかだそうです。
要するに、ある程度の痛みを感じるからこそ、そこから学習し、
二度と同じような刺激に近づかないように記憶するはたらきが脳にはあるということだそうです。

 そうやって、「痛みから学ぶ」ルートがあるので、
知覚神経のルートのどこかに欠損があって、脳が痛みを感じられないという先天性無痛症という病気では、
体のどこかが傷ついても、感覚としての痛みを感じられず、
痛みに関する防御反応が欠如しているそうです。
そういう子どもは、「ぶつけると痛いから気をつけよう」という認知が育たないそうです。

 痛みがいやで、慎重になったり、丁寧になったりする場面もあるわけですから、
色々な部分の認知力にも影響しそうですね。

 他にも、子どものころに痛みをあまり経験せずに過ごしてしまうと、
危害が及ぶ刺激から逃れる反応が遅く、かつ不十分になるそうで、
危険から自ら距離を置くことができなかったり、
他人に危害を加えた時の相手の痛みも理解できない、
などということもあるそうです。

 まさに、私は小さい頃そうだったなぁ、と思い当たることがありました。
私は、一人っ子で、大人の中で転ばぬように、痛い目に遭わないようにと大事に育ててもらったと思います。

 そんなふうなので、危害を加えようとする同い年の子どもの存在などに無頓着でした。
幼稚園のときに、暴力や嫌がらせをする男の子に首の後ろに鉛筆の芯でないほうで、
皮膚をねじられて、ものすごい青あざをつくったことがあります。

 その子が来るのに、一緒に遊んでいる子が気がついてくれると
「逃げるよ!」とばたばたわけもわからず、逃げていたのですが、
ひとりでぼんやりとしていて、ねじられ放題なときもありました。

 一緒にお風呂に入った母が、
「なんね!この青あざは?」と気がついて、しどろもどろあったことを説明し、
「いやだ!と思わんのね!バカ!嫌なことは嫌、って言いなさい!」と、
しこたま怒られたことがありました。

 きっと、私は自分に危害を加える人もいる、ということを
幼稚園ではじめて知ったのだと思います。

 言いたい放題、好き放題な今の姿からは、想像できないかもですねぇ。
人は、発達し、成長するものです。

 …これって、後退じゃないですよね





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