先週末、大阪フィルが指揮者・井上道義氏のもと「大ブルックナー展」を開催するので、兵庫まで出向いて来た。
最初「大ブルックナー展」とは、随分と大袈裟と思ったが、よくよく考えたら、いかにも井上氏らしいウィットに富んだ命名である。実は、今回の会場となった兵庫県立文化センターが創立10周年にあたるらしく、それを記念してブルックナーの交響曲にチクルスで今後挑んでいくということ。指揮者:井上道義は、昨年より大フィルの常任となったものの、昨年は不幸にも大病を患い、それを克服しての演奏となる。増してや、大阪フィルでブルックナーと言えば、御大朝比奈隆のイメージがどうしても強く、しかしあえてこのオケでブルックナーをやることの覚悟は相当だったのではないかと推測する。それにしても、昨年、半年近くの闘病と聞いていたから、実際御身体は本当に大丈夫なのかと案じての当日となった。
さて、今回の会場、兵庫県立文化センターへは、その10年前に一度来ている。確かここのホールの専用オケが創設され、それを記念して音楽監督の佐渡裕氏の指揮でのコンサートであったと思う。その中身はトンと記憶になく、ただ響きの良いホールで聴きやすいと思ったことだけが思い出される。
会場に着くと、やはりチクルス初日ということなのか、熱心な関西のファンが今や遅しとエントランスに押し掛けていた。前売りは完売と聞いて、会場内はほぼ満席状態。ここでは中高年層の方々が多く見受けられたが、ご婦人も多いことには驚いた。きっと井上氏のファンなのかとも思いながら、いよいよ定時となった。
客席に目をやりながら、おもむろに大フィルのプレーヤー達が現れ、チューニングが始まった。しばらくぶりの大阪フィル。メンバーも随分と入れ替わって、弦楽器にはかなり女性奏者が目立つようになっていた。そして指揮者、井上道義がさっそうと左そでから現れたが、以前より随分痩せてしまい、細く小さく感じた。(後でわかったが、10キロ痩せたらしい)今日のアントンKの席は、前方2列目の中央で、指揮者のすぐ後ろの席だから、井上氏の息使いや、表情が良くわかるが、この日の井上氏は、今こうして振り返ると、いつもとは違う、どこか神がかっていたように思えてならない。
実際に演奏について、以下に書いて記録しておきたいと思う。
井上道義の指揮では、今までそんなに数多く聴いてはいない。それでも第九やマーラーなど、好きな楽曲には足を運んでいたが、どれも一様に特徴的な印象は残らなかった。激情型の指揮者であることは、すぐにわかったが、曲を通じて何が言いたいのかが分らず、自分の中では一番好ましくない無難な演奏だけで終わっていた。しかし、この日の井上は、指揮台に上がった時から今までとは違っていた。第一楽章冒頭から、何て自信に満ちた響きなんだろうか。席が指揮台の下ということを差し引いても、特に弦楽器の音色の均一な美しさが際立ち、低音から高音までの響きは、今までの大フィルのような時に大味になる部分は無くなっていた。その弦に乗せて木管楽器、特にObが雄弁でチャーミング、安定した音色を奏でていたと思う。井上は、クライマックスへの登り坂でもインテンポを励行し、巨大な音の建造物を作り上げていたが、このあたりから、アントンKは、今聴いている演奏はとてつもない名演かも?と思い始めていた。
そして第二楽章:スケルツォ。さらにオケは安定しており、安心して身をゆだねられた。ここでは、ティンパニの雄弁なこと!聴いていて気持ちいいし、一拍目のアタックが効いて、オケ全員を引っ張っているように感じたほどだ。弦のピッチカートも物を言い、要所要所で自己主張する。ここでもテンポは、遅めに感じたから、各声部が絡み合いよく聴こえていた。トリオでも、落ち着き払っており、弦が流れるように歌い、ハープがほとばしる。一番ブルックナーを感じる箇所かもしれない。
第三楽章:アダージョ。ここでは、冒頭の弦楽器の扱いにまず参ってしまった。ppでゆっくりしたリズムを刻んでいくのだが、テンポは遅く重く、しかし正確なリズムを永遠と刻み、まるで人間の静かな呼吸のように思えてならなかった。このあたりの解釈は、チェリビダッケの影響を受けているのかもしれない。第二主題に入ると、ガラッと音の色が変わり、生きる勇気と喜びを教えてくれる。Vnのソロの箇所で感極まるが、ここの音楽は、そんなに浅はかではないのだ。アントンKには計り知れない深遠なものをいつも感じる部分でもあるから。そして音楽が大きく熱くなり、いよいよクライマックスを迎えるが、井上は、大見得を切る分けでもなく、オケを絶叫させることもなく、とても自然体で頂点を迎えた。この解釈も実は、チェリと同じに取れる。つまり、第8の頂上はフィナーレにあるというもの。その予感は的中してしまった!
第四楽章:フィナーレ。冒頭の弦楽器の奏法にまず驚嘆。ここは、弦楽器群が伴奏でその上に管楽器がテーマを誇示するといういわゆるブルックナースタイルで開始するのだが、ここの弦楽器の弾き方、井上の弾かせ方といったほうがいいかもしれないが、この部分の装飾音符の扱いを原音の4分音符に8分音符のトゥリル対し、16分音符2連として弾かせていたのだ。しかも、一拍目にアクセントを付けさせ、大きな音で目一杯弾かせていた。Vn群、特にコンマスのチェ・ムンス氏は、全身全霊でこの箇所を演奏し、全てのオケを牽引していたが、そのアクションは、前例がないくらい気迫に満ちており、とにかくぶっ飛んだ!リズムに合わせて、両足を屈伸運動のように上下に動かし、井上の求める音を奏しており、フィナーレが始まってほんの1分足らずで、ノックアウトされた気分になった。どこかで、コンマスのオーバーアクションに閉口したと読んだが、それは大きな間違いであり、あの箇所で、井上の要求した音を追求した結果であると思いたい。テンポは相変わらず重厚な解釈で一貫しているので、音楽が大きく分厚く層が厚い。この部分、この弦楽器の解釈を聴いて、アーノンクールのCD演奏を思い出していた。このCDでも、フィナーレの冒頭は、同じような奏法で演奏している。もう一言付け加えるならば、この解釈をティンパニまで徹底して欲しかった。ちょうど第1主題との経過部の合いの手の部分(練習番号Aの手前)の撃ちこみが、残念ながら、通常聴くようなトゥリルとして聴こえた。続く第2主題も、ゆったりと歌い、金管の重厚なトーンが響き渡る。それに加えて弦のピッチカートの雄弁なこと。この雄弁さは、全楽章にわたり言えることだった。その後、第3主題へ向かった経過部の足取りもよく、このくらいのテンポだと、第3主題への全休符が大変生きてくる。そしてこの楽章、一番アントンKのツボにハマった第3主題が始まる。弦楽器群は、p記号なのに、mfで押し切り、しかも、一音一音確かめるように、マルカート、いやテヌートかもしれないが、ブツブツと音が切れ、木管が奏するテーマがより強調されていた。相変わらず、テンポは遅く落ち着いていて、この付近に連続する全休符や、フェルマータの生きること!真のブルックナー音楽がまさに生まれていた。特に、第3主題の二群と言われる部分のハーモニー(L)は絶品だし、Mへの移行時の全休符の長いこと。そしてピッチカートで始まる展開部への経過はこの演奏での白眉ではなかったか。そしてNからの展開部では、井上=大フィルの独断場だった。まさにそれは、90年10月にサントリーホールで聴いたチェリビダッケの8番の演奏を彷彿とさせるのに十分であったのだ。ティンパニ奏者は、これ以上叩けないだろう最強の音でオケ全体を引っ張り、この音を聴いた途端、90年当時のミュンヘン・フィルの巨漢ザードロを思い出してしまった。弦楽器は全力でマルカートを弾き切り、Hrnの合いの手の強調、逆に、TrpやPosの4分音譜を短く、しかもアクセントを要求。(200・202小節)井上節全開であった。あと是非とも触れておきたいことは、再現部へ向かう経過で、(Zからの部分)第1主題が戻ってくるが、KlやHrnに現れる三連譜の扱いについてだ。通常では、聴こえないケースが多いし、もちろんテンポにもよる所が大きいが、この三連譜が綺麗に聴きとれたのである。同音の三連譜で、しかも譜面上スラーが掛っているため、中々意識していないと聴き逃すところではあるが、朝比奈がそうであったように、さすが大フィルと聴いていて嬉しくなった。
以上、長々と書いてきたが、やはり今後もブルックナーを聴いていく以上、井上と大阪フィルとのコンビには、注目せざるを得なくなったというのが、今の心境である。この演奏会で、アントンK自身も井上道義に対する見方も少なからず変わったし、おそらく今回の演奏会、今年聴く演奏会の中では(まだ1月ではあるが・・・)ベスト3に入るのではないかと確信している。6月の第7、12月の第4と続くようだが、健康に留意して益々我々を楽しませてくれることを心から祈っている。
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2015(H27)-01-24
井上道義 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団「大ブルックナー展」第1回
ブルックナー 交響曲第8番 ハ短調(ノヴァーク版)
兵庫県立芸術文化センターKOBELCO 大ホール