長く鉄道趣味を続けてきた中で、悔やんでも悔やみきれない汚点は数々あれど、まずその一つに「オリエント急行」がある。
今から30年以上も前の話になるが、今にして思えばその時代はバブル景気真っ只中にあり、アントンKには、とても慌ただしい時代だったように思い出せる。公私共に時間が足りず、いつも苛ついていたようにも思えてくる。演奏会は、マーラーなどのチクルスが軒を並べ、海外からのオーケストラの来日が相次ぎ、スケジュールを把握するだけでも大変だったことも思い出せる。そんな時代背景だった当時、ヨーロッパに走るオリエント急行用の客車を来日させ、一定期間ではあるが日本中を駆け巡るという超特別な企画列車が走ったのだ。このオリエント急行の日本での最終列車のけん引機を、復活したばかりのD51 498が担い、上野からEF58とともに発車した快挙は、後世にも語り継がれるほどの有名な話となった。そしてこのツアーの上り最終列車にEF5861が登場したことも語り草となっている。
アントンKは、当時鉄道撮影は継続していたものの、仕事に割く時間がかなり増えてしまい、思うように動けなかった時期と重なっていく。今だからこうして解ることだけれど、当時にしたら、それでも必死にやり繰りしていたはずなのだ。日本中を駆け巡ったオリエント急行も、最終運行のD51とEF5861は撮影が叶ったが、関東地方で数回のEF65PFをどうにかカメラに収めただけという体たらくに終わっている。この結果には、やはり思い出せば出すほど悔しい思いが募るのだ。無理してでも北海道や大好きなED75でオリエント急行の雄姿を拝みたかった。もう二度と見ることが出来ないと思うとなお更そう思えてしまうのだ。
掲載写真は、駄作しかないストックの中から1枚載せておく。この日本ツアーは、ちょうど今の時期の日の短いシーズンだったためか、撮影条件は厳しく、また天候に恵まれず困難を極めたことを画像から振り返ることが出来る。東京区の65PFがヘッドマークを掲げて大森付近を通過する、この1105号機は、スノープロウを付けて今なお現役。素晴らしいことだ!
日本走行用に20系客車から改造されたとされる客車を最後部にオリエント急行が走り去る。美しく優雅だ!
「夢をもう一度・・」と願わずには居られない。
1988-11-28 9103 EF651105 オリエント急行 JR東日本/東海道本線:大森-蒲田(学校踏切)