どうしたら「鉄道ファン」のような綺麗でクリアな写真が撮れるんだろう?
当時、高校生だったアントンKは、毎月発売される「鉄道ファン」を見ていつもため息をついていた。自分と何が違うのだろう?もちろんこの頃はまだ駆け出しの身。大きく見開きになったモノクロ写真に憧れ、少しでもこんな風に撮影したい、撮影出来たら、と夢見るカメラ小僧だったことを思い出す。
大学に進学し当然のように鉄道研究会に入会すると、こと写真については衝撃的なことばかり。特にペンタックス67というカメラとの出会いはとてつもなく大きかった。それまではずっと35ミリ版を使っていた訳で、これとブローニフィルムの何が違うのかも理解できていなかったアントンKは、一気に暗黒から解放された気分になったものだ。今思えば諸先輩方に伺い、今まで気づかなかった事をたくさん教わったおかげなのだが、こうしたプロセスも、今さらながらの恥ずかしさと、反対に誇りにも感じることができる。
こうなると、とにかく早くバケパンを手に入れ撮影したいと考えていたが、手に入れてからはいよいよバケペンとの修行の道が始まったのだった。この頃の撮影を思い返すと、今やっていることが恥ずかしく思えてくる。大袈裟に言えば、1コマ1コマに魂を注ぐ思いでシャッターを押していたと言ってよいか。10枚撮りのフィルムは、1枚1枚大切にシャッターを切り、フィルムが浮かないように、光が入らないように大事に大事に裏ぶたを開けフィルムを出し入れする。今やフィルムの出し入れの仕方もうる覚えになってしまったが、当時は何事も緊張の連続だったように感じている。
バケペンでの撮影は、1996年を境に途絶えてしまったから、かれこれもう20年近く経ってしまった。後半になってようやくブローニカラーポジフィルムも装てんできるようになったが、1500本近くになるバケペンで撮影したモノクロブローニフィルムは、アントンKの鉄道写真の原点であり、教科書であり、そして自分にとっての生字引なのだ。Ⅱ型を買わず、当初のまま修理しながら使ったボディも、今では埃をかぶって棚に鎮座している。いつかまたコイツにフィルムを詰めて線路端に立ちたいと考えているが、そんな機会は訪れるのだろうか。
今回は、そのバケペンで撮影した中からのもの。
「バケペンは流しの決まるカメラだ!流せ!」
当時尊敬する先輩にこうアドバイスを受け、とにかく流し撮りを果敢にチャレンジしていた時期があった。今のデジタルのように、撮影直後に結果がわからないから、現像するまでドキドキして待ったことも懐かしく思い出される。この時の手法が今でも活かされていることは間違いない。あまり背景を殺さずに適度に表現を残しながら、被写体を明確に浮き上がらせる。カメラを動かしながら、1コマ切りのシャッターチャンスをベストのポイントで決めることも試練だった。
掲載写真についても、今こうして見ると、当時のアントンKに向かって言いたいことが多いものの、まだ駆け出しの頃の写真として載せておく。ED75は、ヒサシ付きの50番代。次位のオハフ61の開けっ放しのドアがいかにも国鉄している。
1980-03-26 ED7592 東北本線:藤田-貝田にて
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます