アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

思い出に残る客車列車のこと~EF80

2021-03-26 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

普通客車列車シリーズ、続いては常磐線を走るEF80けん引の客車列車。

国鉄時代には、客車を使った普通列車が晩年まで存在し、上野駅の地上ホームは日中でも賑わいを見せていた。当時は東北線や高崎線にもEF57やEF58が牽く普通列車があったが、今回の常磐線の普通客車列車は、EF80のけん引だからかあまり話題にも上がることなく、消滅していった印象がある。アントンKにとっては、当時興味があったEF80の撮影の際に乗車して、お世話になった記憶があるが、いつも車内は混んでいてデッキに居座った想いが過る。

今回は、都内で撮影したハチマルの普通列車を掲載。この列車の後に、お座敷列車を牽いてEF80が来ており、おそらくこちらがメインの撮影だったと思われる。これだけ時間が経つと、メインとして撮りに行った臨時よりも、この手の馴染みのある定期列車の方が懐かしく思えるのはどういうことか。当時の田端区には、EF80の初期車が数多く配置されていたが、どれもヒサシが付いていて、厳つい顔つきになっていた。どちらかというと、ヒサシの無い原型が好みだったアントンKだから、ヒサシ無しのカマ配置が多かった内郷区のハチマルを狙いに遠征していたことが蘇ってくる。

次回は、いよいよED75の客車列車を出して、一端閉じることにしよう。

1982-08-25   422ㇾ    EF8021              常磐線:北千住-綾瀬


思い出に残る客車列車のこと~EF70

2021-03-25 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

さて自分が乗車しながらの撮影旅行で、思い出に残っている普通列車たち。次は北陸旅行時に乗車したEF70の普通列車だ。

当時、まだ北陸線の主であったEF70が健在で、最後の活躍をしていた時代だった。関東からは米原起点で北陸線へと入り、同線内は出来る限り普通列車で移動し撮影地を巡った。まるで東北線のように、次々と電車特急や急行電車が行き交い、華やかな印象この上なく、その合間に客レの普通列車がのんびりとやってくる。時間軸が無くなったように、各駅に停車ごとに優等列車を退避、我が道を行くといった味わいのある旅だったことを思い出す。

掲載写真は、北陸線でも琵琶湖に近い湖東線をいくEF70の普通客車列車。ここ北陸線では、列車の進行方向に関わらず集電パンタグラフが決まっていて、いつも北側(下り方)を上げていた。3月も目前だというのに、山に囲まれていてまだ寒かった想いがこの写真から蘇ってくる。

1982-02-28      523ㇾ   EF70 52         北陸本線:余呉-木之本


思い出に残る客車列車のこと~ED71

2021-03-24 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

昔の客車列車の思い出は、アントンKの場合、どうしても東北地方が多くなってしまう。東北・磐西・磐東・奥羽・常磐と、当時を思うと雑形客車の宝庫だった北に目が向いていたからだ。普通列車に乗車し、客レの旅をしばし堪能した後、目的地となるローカルな駅で下車、撮影地を探しながら、線路端を歩く。当時は、国土地理院の1/25,000の白地図から、目ぼしいポイントをあらかじめ探し、日中の光を考えながら撮影地を選んだものだった。そんな撮影するまでの工程も、今や懐かしく感じてしまう。

今回は、東北線での普通客車列車から1枚掲載。余命少なくなったED71の客車列車。ED71末期の運用で、この時もう数えるほどしか走っていなかったと思うが、福島-松川間の短区間に通勤通学用か何かの上り列車があった(下り列車は回送で福島へ返却される)。これがED71の運用として残存しており、何度か狙ったことがあった。掲載写真は、その下り列車の回送列車だが、原型ライトの一次型がやってきて嬉しかったことが思い出される。これぞ東北線の客レ!アントンKの中では、いまだにそんな想いがあるのだ。

1982-10-15  回1525ㇾ   ED71 7       東北本線:松川-金谷川


思い出に残る客車列車のこと~EF71

2021-03-23 17:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今でこそ鉄道撮影に自動車はセットで考えることが多くなったが、まだ自動車免許も持たない若き時代は、全て鉄道利用が当たり前、バス、タクシーも乗らず、ひたすら重いカメラバック(銀箱と呼んでいた)を担いで撮影ポイントで歩いたもの。こう思うと、何て今は体たらくなのかと感じるが、現代を生きる鉄チャンスタイルは、さっと車で乗り付けて、目的の列車をパチッとしたら、すぐに居なくなるスタイル。あるいは、目的の列車のみに固執して、今撮影した列車を自動車でさらに追いかけるようだ。

アントンKも、こんな撮影ももちろんこんな撮影スタイルを実行したことはあるが、本来自分が考える鉄道撮影の在り方からは、外れてしまっているといつも感じてしまうのだ。コマ単価という考え方があるそうで、目的画像にいくら費用を費やしたかと考えるらしい。確かに少しでも安価で旅行したいと思うのは、昔も今も同じだが、費用と時間をかけることで、新たな感動や発見が生まれると思うのだが、そんな考えは現代には通用しないのか、少し切なく感じてしまう。たまには、効率の悪いことでも進んで実行してみることも、あっていい。そう思うのである。 

アントンKが若き時代、福島から板谷峠を越えるため奥羽線の普通列車に乗車。赤岩ー峠ー大沢と全てスイッチバックで駅に入る。一つ一つ進むことに時間がかかるが、まさにこの時間が、この場所での日常であり、時の流れがゆっくりに感じる。その輝かしい時間を持てたことが懐かしくもあり誇りでもある。

1980-03-24      427ㇾ     EF71 9+ED7811  奥羽本線:関根にて

急行「大雪」に乗って早朝の網走駅へ到着。自分の乗車した編成には、憧れの客車「オロハネ10」が組成されていて感動。しばしの旅情を楽しんだ。

1978-08-25      517ㇾ  急行「大雪」  網走にて 


運用離脱に一喜一憂する仲間たち~EF65PF

2021-03-22 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

ダイヤ改正が施行され10日が過ぎた。今回の改正は、機関車ファンの間ではちょっとしたエポックメーキングな改正ではなかったろうか。前出したDD51の定期運用廃止、愛知区EF64の関東運用廃止など、いつになく変化が大きな改正だった。

ここでは、EF65PF型を話題にしたい。旅客会社である田端区のEF65PFも改正で大きな影響を受けたよう。そして貨物機である新鶴見区のEF65PFに至っては、徐々に国鉄色、いわゆる原色機が増える一方、今回の改正で余剰が発生したようで、原色に復活することなく退いていった65PF達がいるようだ。

アントンKがいつも新鶴見界隈でお世話になっているお仲間たちの中には、いわゆる65フリークの方々が多い。それぞれ好みの機番を毎日調査しながら、全ての列車番号ごとに写真に写して記録しているのである。先日もそんな場面に出くわしたが、ここまで自らの日常を犠牲にして挑んでいる彼等は、目が輝き、趣味の世界に没頭しているのであった。いや、犠牲にしているのではなく、率先して眠らず、喰わずでシャッターを切っているように思えてしまうのだ。こんな仲間たちが身近にいるアントンKだから、少しは見習いたいところだが、そこまでの情熱はまだ奮い立たないでいる。日々の記録の大切さは十分解っているつもりだが、今のアントンKには、こんなお仲間と他愛もない話で過ごす時間の方が心が和み楽しく思えてしまうのだ。

さてEF65PFの話題から、今回最若番の2050号機の運用離脱でブルーになった仲間たちに向けて1枚掲載しておく。アントンKからは、らしく更新前のお姿を・・

1996-06-20  4074ㇾ  EF651050  JR東日本/東海道本線:根府川-早川