2019年製作 インド 138分 G
インド南部ケーララ州の片田舎に日本製ロボット“クンニャッパン”がやって来た。便利な機械を拒み続けていた老人の心は、ロボットの登場によって徐々に和らいでいくが、やがてロシアに働きに出かける一人息子との関係にも影響が出始め……。(あらすじ紹介より)
南インドに暮らす頑固な老人と日本製ロボットの交流を描いたSFコメディ作品。ケーララ州はアラビア海に面するインド南部の街で、ITや宇宙開発が積極的に行われいるそうです。日本製と言いながら会社はロシアにあり、作品の随所に日本への皮肉が見られてあまりいい気分にはさせてくれません
スブラマニアンは、父のバスカランと二人暮らしです。頑固で持病のある父の介護もあり、なかなかいい仕事に巡り合えずにいます。そんな時、日本企業のロシア支社での仕事(何故ロシア??)が舞い込んできます。父を残していくのが心配で、ヘルパーを頼みますが、何だかんだと難癖をつけ暴言を繰り返して次々と辞めさせてしまいます。父は、ただ愛する息子と一緒に暮らしたいだけなんですね。そのためには家の近くで仕事を見つけて欲しいの。でも、息子の方は自分の能力を活かせる仕事がしたい。とうとう反対を押し切って家を出たスブラマニアンは、父を心配しながらも日系ロシア人のヒトミと付き合い始めます。従弟のプラサンナンから父が相変わらずヘルパーとうまくいっていないことを聞いて憂いていた時、勤め先で介護ロボットのモニターを提案されたスブラマニアンは、これを受けることにします。一時帰宅してロボットを起動させ操作を教えますが、バスカランは最初は拒否します。でも一緒に暮らすうちに、家事だけでなく、健康管理やチェスの相手もしてくれるロボットに親しみを感じていくのね。
ロボットはクンニャッパンと呼ばれ、近所の人たちにも受け入れられていきます。
裸のままでは可哀相と言われたバスカランは、ルンギー(下半身を覆う布)を履かせ、シャツも作ってやります。家事を手分けする様子は息子と暮らしているかのようです。まさにバスカランにとってはもう一人の息子になっているんですね。昔好意を持っていたサウダーミニとも、クンニャッパンの助けを借りてSNSで交流するようになります。
このまま平和な生活が続くかに見えましたが、クンニャッパンを敵視する近所の男が役所に通報して没収されてしまいます。スブラマニアンが会社と政府に根回しして解放されますが、会社は、クンニャッパン以外のロボットに誤作動が発生して利用者を殺害する事件(冒頭に登場するシーンがここで繋がりました)が起きたことをきっかけに、ロボットを回収することにしてスブラマニアンに通告します。
ヒトミを伴って帰ってきたスブラマニアンは、バスカランに事情を話しますが、クンニャッパンを息子のように可愛がっている父は拒否してクンニャッパンを連れて森に逃げます。そこへ密かにつけてきたクンニャッパンを敵視する男が現れ、ロボットの頭部を引きちぎります。GPSで追ってきたスブラマニアンはそれを止めようとしてロボットの自己防衛機能が作動して逆に首を絞められてしまいます。クンニャッパンの手を掴んで引き離すバスカラン。スブラマニアンの操縦するバイクの後ろに跨るバスカランは息子の背に「クンニャッパン」と呟きます。彼の目にはスブラマニアンではなくクンニャッパンの姿が映っていました。
登場するロボットは機械というより中に人間が入ってるとしか思えないチープさがありますが、それが逆に人間らしさを醸し出していました。
旧いカースト制の観念の名残があり、川での沐浴や昔風の家の作りや、親の面倒を子供が見るのは当たり前の風習の一方、人々はスマホやネットを普通に使いこなし、フェイスブックやスカイプも難なくやっています。このちぐはぐ感がインドの現状なのかな。
最初は皮肉の利いたコメディと思って観ていましたが、しかしこの結末は・・・。バスカランにとって、身近で共に暮らし面倒を見てくれたクンニャッパンの方が実の息子より大事な存在になっていたのね。人間であってもなくても、バスカランにとってはそれが一番大事なことだった。
頑固で皮肉屋で息子を縛り付ける父親に見えていたバスカランでしたが、本当は息子の愛情が欲しかっただけの孤独を抱えていただけ。スブラマニアンも、結局は我が身の幸せが一番大事なわけで、それでいてロボットに父親の愛情を奪われることへの警戒心や嫉妬もありで何だかなぁ・・でもそれが人間の感情の皮肉でもある。
コメディというベールに包んだ風刺作品というのが正解かも。