京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

佐藤直樹著『細胞内共生説の謎』を読む

2019年03月24日 | 評論

佐藤直樹『細胞内共生説の謎』ー隠された歴史とポストゲノム時代における新展開:東京大学出版会 2018年刊行

 

  リン・マーギュリス(Lynn Margulis, 1938- 2011年)は、米国の女性生物学者である。ミトコンドリアや葉緑体の起源に関して細胞内共生説(symbiosis)を唱えた。細胞内共生説は、どの生物学の教科書に載っており、その提唱者とされるマーギュリスは生物進化に興味ある人ならその名を必ず知っている。マーギュリスは、異なるタイプの細胞が順次細胞内共生を行おうことによって、現在の真核細胞ができたという連続細胞内共生説を唱えた(1970)。彼女によると、古細菌に、まず好気性のバクテリアが入り込んでミトコンドリアの祖先となり、それと相前後してスピロヘーター様の細菌が共生して、波動毛の祖先となることによって真核細胞の基本ができたという。さらに、藍藻の祖先が細胞内に共生することにより葉緑体の起源となり、それが進化して高等植物の細胞を生じたと考えた。マーギュリスは、スピロヘーターの共生が、真核生物細胞のもつ最も基本的なメカニズムである「有糸分裂」の起源となり、さらには減数分裂、とりもなおさず真核生物の「性」の起源となったと主張した(今ではこれは否定されている)。

  共生の契機になったのは、微生物間の「食う食われる」という関係であったとマーギュリスは言う。大型の嫌気性古細菌に食われたATP合成能力のある好気性のバクテリアと光合成できる藍藻が、消化されず残って、連続して共生進化したものが、現在のミトコンドリアと葉緑体を持つ真核細胞の起源だと言うのである。細胞という工場の敷地内に自己増殖する自家発電所と農園を設計し、代謝の産業革命がおこったというわけである。最近になってUCLAのジャーメス・レークは、放線細菌とクロストリジウムといった原核生物間のレベルでも細胞内共生が起こり、二重膜を持つグラム陰性の原核生物が生じ、これにマーギュリスの共生が起こって真核生物が出現したという仮説を発表している。

  マーギュリスが最初、この説を出した頃には、信ずる人はほとんどいなかったが、今では、ミトコンドリアと葉緑体の共生説に関しては、大部分の生物学者が認めている。以前から、マーギュリスの共生説に似た説は提出されていたが、彼女が抜きん出でいたのは、ミトコンドリアや葉緑体などのオルガネラの遺伝子の少なさを、遺伝子伝搬というダイナミックな解釈で説明したことである。最初に取り込まれた共生バクテリアの遺伝子が、宿主の核遺伝子に次第に受け渡されていって、現在のような短いサークル状の遺伝子になって残っていると考えている。その後、爆発的に発展した分子生物学が、それをサポートしてくれたことも彼女にとって幸運であった。

 1938年シカゴ生まれのリン・マーギュリスは有名な宇宙天文学者のカール・セーガンの最初の奥さんであった。シカゴ大学の学部時代に学生結婚をしたが、天才同士の「共生」はむつかしかったようで、二人の子供をもうけた後に離婚している。その後、リンはニック・マーギュリスと再婚する。カールも若くて美しいアン・ドルーヤンと再婚し、『はるかな記憶―人間に刻まれた進化の歩み』 (朝日文庫1997年)という、いささか退屈な本を二人で書き上げたが、1996年に病気で他界した。リン・マーグリスも2011年に脳梗塞で亡くなった。

 ところで冒頭に挙げた佐藤の著書は共生説に歴史的スポットを当て、共生説の最初の提唱者は実はマーギュリスではなくて、ロシアの生物学者コンスタンティン・メレシコフスキー(Konstantin Mereschkowski, 1855-1921)であると主張する。その話の要点は以下の通り。

 メレシコフスキーはワルシャワで生まれ1875年にサンクトペテルブルク大学で動物学を学び、世界を転々として研究を続けた。1904年カザン大学の私講師となった。この頃、地衣類の研究から共生の問題に関心を持ったとされている。1908年には植物学の特任教授になるも、1914年まわりとのトラブルのせいで退職。その後、ジュネーブに移住したが自殺してしまう。かなり変わった学者のようであった。1905年には共生説について、ロシア語の論文を、1910年にはドイツ語の、さらに1920年にはフランス語の論文を発表している。当時のロシアには無政府主義者のクロパトキンを始め共生という概念が底流にあったという。ルイセンコが生物学界を牛耳るまでは、革命ロシアの生物学は創造的な異色の人材で溢れていた。メレシコフスキーは藍藻と色素体の比較を綿密に行った。真核細胞の細胞核もミクロコッカスという細菌に由来すると考えた。しかしミトコンドリアについては細胞内共生を考えなかった。ミトコンドリアの共生説はリヒャルト・アルトマン、ポール・ポルティエ、イバン・ウオリンなどが唱えていたが誰も取り上げなかった。マーギュリスを待つまでもなく多数の生物学者がすでにオルガネラの共生説を唱えていたのである。

  マーギュリスは1970年の論文「真核細胞の起源」で、メレシコフスキーの論文 を引用し色素体(葉緑体、白色体、有色体)の細胞内共生起源に関しては自明であるとしている。この論文の骨子は有糸分裂の進化(この説は現在では否定されている)を述べてもので、色素体の獲得説は「おまけ」のように付け加えられている。共生の概念も述べられているが、メレシコフスキーやレーダーバーグがすでに述べたことを整理しているにすぎない。いわば彼女の色素体の共生起源説はメインテーマを主張するための前提で述べらえたもので、論文の本質ではなかった。それではどうして、メレシコフスキーらを差し置いてマーギュリスが細胞内共生説の筆頭者になったのか?それはミトコンドリア、葉緑体、鞭毛などの細胞内器官のすべてに共生原理を適応させたダイナミズム(たとえ間違っていても)と前に述べた分子生物学の潮流といった背景があったせいである。さらには当時の冷戦構造もあって共生説の起源をロシアにすることは西側の科学界は好まなかったようだ。

 著者の佐藤直樹氏は現在、東京大学大学院総合文化研究科の教授である。学者らしい綿密な歴史的考証を重ねて論を展開している。ロシアを含めた西欧の自然科学の創造性の起源は歴史性と多様性にあるようだが、日本は共生説のような破格な学説を唱えるスケールの大きい学者が出る風度ではなさそうである。しかしながら、このように共生説の背景を緻密に考証、整理して発表してくれる律儀な研究者は出る。

 

注1:『9/11爆破の証拠―専門家は語る(9/11 Explosive Evidence - Experts Speak Out:90分)』(Richard Gage 監督主演) を「プライムビデオ」で見ていたら、コメンテーターの一人にLynn Margulisが登場して驚いた。仮説が最小の可能性しか持たない場合は、科学的とは言えないと言って、「貿易ビルの崩壊に関する委員会報告」を批判している。彼女のパソコンの画面には「仮説による原始細胞のサイトスケルトン」の図が出ていた。 (2019/05/01)

注2:無核細胞ー有核細胞ー有核細胞オルガネラ細胞ー多細胞ー社会性集団といった進化は複雑化、重層化を特色としているが、これの必然性については、ダーウインもそれ以降の生物学者も説明していない。

注3:共生説に対して当然内生説というのがある。中村運(甲南大学名誉教授)は内生説の一種である膜進化説を唱えた。それによると、藍藻の一種が先祖となり、それの膜小器官がDNAを断片化させたまま、核、ミトコンドリア、葉緑体などに分化したという。この説では動物細胞は葉緑体が喪失したものからできたということになる。(中村運 『生命進化40億年の風景』化学同人、1994)

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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