京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

「古池や蛙飛びこむ水のをと」は名句か駄句か?

2024年08月19日 | 日記

「古池や蛙飛びこむ水のをと」は名句か駄句か?

 

 

 小学校の教科書にも載っている有名な俳句である。

この句は知られる限り3種類の表記がある。(芭蕉句集:日本古典文学大系 岩波書店1979)

古池や蛙飛びこむ水のをと(波留濃日:蛙合あつめ句)

ふる池やかわず飛こむみづの音 (芭蕉図録)

古る池や蛙飛込む水のおと(池田市「柿右衛門文庫」所蔵の芭蕉真筆の短冊)

 この中で真筆の短冊の表記が一番この句にふさわしく思える。

 

 小西甚一によると、これの初案は「古池や蛙とんだる水の音」だそうだ。天和元年(1681)か2年の頃の話である。上五をどうするか芭蕉が迷っていると、其角が「山吹や」はどうかと提案したのに、芭蕉はそれを採用せず「古池や」としたそうだ。支考の「葛の松原」という俳書に書いてある話だから本当だろう。小西によると「飛んだる」は当時の段林派の影響がみえるという。貞享(1684) 三年三月に芭蕉庵で催した「蛙合」二十番の際に「飛び込む」に改作したらしい。

 古池にカエルが飛び込めば、ポチャンと水音がするのはあたり前だから、其角は山吹の取り合わせで景色に奥行きを与えようとした。それを拒否して芭蕉はあえて「古池や」とした。池を注視させることにより、水と空気の波紋を視覚と聴覚で表したのであろう。まあまあの写生句ではあるが、いまでは小学生でもこんな句は作らない。どこの句会に之を出しても誰も採らないだろう。しかし、当時はこのような「斬新」な作品はまったく見当たらなかった。

   正岡子規も「古池の句の弁」で同様の趣旨のことを述べている。子規はその時代の蛙の俳句を多数ならべ、「悪句また悪句、駄洒落また駄洒落、読んで古池の句に至りて全くその種類を異にするの感あらん」と述べている。

ただ、この俳句は作られてから、芭蕉自身もコメントしたことはなかったし、弟子はだれも言及しなかった。ようするに完全に無視されていたのに、どうして人口に膾炙し俳句の代表のようになったのか?子規も不思議なこととしており、芭蕉はあの世で不満を述べているっだろうと言っている。

 江戸期の前衛的名句、現代のただ事凡句といえよう。

 

参考図書

小西甚一 「俳句の世界ー発生から現代まで」 講談社学術文庫1159( 2010)

正岡子規 「古池の句の弁」(明治38年10月「ホトトギス」)

 

 

 


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