京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

時間についての考察:カルロ・ロヴエッリ『時間は存在しない』詳解

2019年12月30日 | 時間学
カルロ・ロヴエッリ 『時間は存在しない』(富永星訳) NHK出版 2019
 
 
この本の著者はイタリア出身の理論物理学者である。専門は「ループ量子重力理論」というもので、これは「超ひも理論」とともに万物の根源の理論の一つとして注目されている。量子重力理論ではとびとびになった特定の時刻しかなく、時間そのものが量子化されている。ここでは、とどまることなく一様に流れつづける古典的なイメージの時間などは存在しない。数学的な手続きででてきた理論なので、素人の我々は「ああそうですか」と聞くしかない。
 
  この本の原著タイトルは「L’ ordine del tempo (時間の秩序)」。各国でベストセラーになったそうである。人は何故か自分の理解できない難解な理論に魅力を感ずるものだ。1988年に「ホーキング、宇宙を語る」が出版され、1000万部を超えるベストセラーになった。もっとも大部分の読者は数ページであきらめたそうだ。一方、ロベエックのこの書は一般向けに平易に記述されているので、挫折なしでなんとか読めそうである(と最初は思っていた)。一章づつ解説していこう(斜体は庵主のつっこみ)。
 
{第一部}
まず時間(time)の定義を行っている。
1)特定の時間(A点、B点)(生物時計、特定の時間帯でのイベント、適応的
2)出来事の間隔(A-B点)(睡眠の間隔など、適応的
3)連続の意識(ーーーー)(意識の問題?生命の寿命
4)継続を計るための変数(標的の速度を計るためのアルゴリズム、適応的
 
第一章
地上の高度の違いにより時間の進み方がちがう(山の上の方が時間の流れが速い)。すなわち時間は相対的なもので、単一性という特徴を失い場が違えば異なるリズムを示す。「たいこの達人」の選曲によってテンポもメロディーもまったく違っているのと同様である。そして、物理学は事物がどのように展開するかを記述する科学で、世界はお互いに影響を及ぼし合う出来事のネットワークである。この関係こそが時間である。
 
第二章
ニュートン力学、マックスウエルの電磁気方程式、重力に関するアインシュタインの相対性理論、量子力学のハイゼンベルグやディラックの方程式、素粒子理論において時間の方向性はない。即ち過去と未来の区別はないとしている(過去と未来は対称)。
一方、ルドルフ・クラウジウス(Rudolf Julius Emmanuel Clausius, 1822年 - 1888年)の熱力学第二法則(熱は冷たいものから温かいものに移れない)が唯一過去と未来の区別するものである。これがエントロピー増大の法則(ΔS>0)である。すなわち熱が発生するところに限って時間に方向ができるように思える。頭でものを考えると頭の中で熱が生じて時間の流れが出来る。負のエントロピーを食って熱を発生する生物にも時間の方向性がある。
ところがそれは浅はかな考えではないのかといって登場するのはルートヴィヒ・ボルツマン(Ludwig Eduard Boltzmann, 1844年- 1906年)である。ボルツマンは我々が世界を曖昧な形で記述するのでエントロピーが存在するといった。過去と未来の違いは結局ぼやけ(粗視化)のせいである(すなわち一種の錯覚だというのだ。なんだか物理学の理屈というより哲学のような話)。
 
第三章
地球から4光年離れた惑星にいる人の情報を得ようとしてもできないので、今は何の意味もないという不思議な議論をしている。光円錐図を提示して宇宙時間の構造を概念化しているが理解困難。ブラックホールの光円錐図はますます理解困難である。
 
第四章
アリストテレスの時間論は「事物の変化があるから時間が実存する。時間は事物の変化に対して己を位置づけるための方法で、変化を計測したものである」とした。時間は動きの痕跡にすぎない。(すべての人がこの世にいなくても時間は実存するか?犬や猫に時間はあるか?ショウジョウバエにも時間はあるか?)人間が暗闇で思考するだけで心のなかに変化が生じて時間が流れる。一方ニュートンはそれとは関係なしに絶対時間の存在を仮定した。これこそが本当の時間であるといった。ニュートンの時間は人が知覚できるものではなく計算と観察によって演繹するしかないものあった。これが近代における時間概念の基準になった。
この二つの時間にかんする考えを統合したのがアインシュタインである。彼の時空理論(重力場)が二つの考えを統合した。それによって解釈すると、ニュートンの数学的な時間は重力場のリアルな実存である。一方でアリストテレスがいつどこでが何かの関係で決まると考えたのも正しかった(アリストテレスは「関係」と言ったのではなく「変化」といったので著者の関係という言い方にはひっかかる。変化は関係のある事が多いがアイソトープの崩壊のように関係のない変化も多い)。ようするに時間と空間は現実のものではあるが、絶対的なものではなく、生じた事柄から独立ではないということ。
 
第五章
時間は連続ではなく量子化されておりとびとびである。最小の時間はプランク時間(10-44秒)。一方最小の長さはプランク長(10-33cm)。時空も電子のような物理的な対象であり揺らいでいる。ある時間に限って予測不能な形でほかの何かと相互作用することにより不確かさが解消される(この仮説は細胞レベル以上の現象に当てはまる論理ではないと思える)。
 
ミクロ世界の時間理論が我々の生活するマクロなそれにスライドできるとは思えない。ただ関係としての時間概念が哲学として応用できるのかどうかはテーマの一つでありうる。(時間と他者 / エマニュエル・レヴィナス [著] ; 原田佳彦訳 参照)。
 
(第2部割愛)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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時間についての考察:時間感覚の生起について

2019年12月27日 | 時間学
 
 
 感覚としての色(color)は実存ではない。物質の表面が放出あるいは反射する光(電磁波)を網膜の視物質が受容し、その神経信号を幾つかのニューロンで変換統合した後に脳の視覚野が生ずる感覚(色覚)にすぎない。電磁波は物理的な実体であるが、それを人あるいは動物が色として感じている。リンゴの赤い色が空中に漂っているのではなく、漂っている実体は電磁波である。こういった意味で色は実存とはいえない。
 
世界における空間・物質およびその変化や運動はどうも実存であるようだ。これらが脳の生み出した幻影や錯覚であるとするのは、世界の多数の人々で同時にそうなる確率を考えるとあり得ない。時間はその変化と運動に付随した物理量のように思える。熱が熱素によるものではなく物質に付随した物理量であるのと同様である。
そして時間が色のように脳で生み出された感覚ではなく、物理量の一種であることを証明したのはアインシュタインの相対性理論であった。物の運動の様態によって時間は短くもなり長くもなる。これは心理的な機構が時間の生成の根源であるとすれば、決してあり得ない事実である。
 
物の変化は千差万別なので人がそれらを数量的に規格化したものが、標準1秒 (second)である。 これは国際度量衡局により規定されたものである。セシウム133原子の基底状態にある2つの超微細準位の間の遷移に対応する放射9192631770周期を1秒と定義している。これはおおよそ人間の心臓拍動の間隔に近いのである。
 
ただ、前にも述べたように時間を受容する特殊な器官はヒトには存在しない(時間に関する考察 XII:時間の受容器はあるか?)。人は視覚(眼)、聴覚(耳)、圧覚(皮膚)などで捉えてなんらかの変化・運動を感じるとる。これから時間感覚が、いかにして生ずるのかが問題になる。
 
 視覚により人がみる物は変化・運動であって時間そのものではない。同様に聴覚で聞くものは音の変化で時間ではない。そして時間がかかわるは運動の変化の早さ(V)である。
 
  V = ΔD/ΔT (ΔDは環境の変化の量、ΔTは観察時間)
  これから
  ΔT =  ΔD/V
 
 時間は変化・運動の中に包摂されるパラメターで、直接に人(ヒト)が感覚としてとらえるのは「早さ」である。これは生物学的に当然のことで、捕食や被食、その他の生活行動においては速度の評価が重要であったからだ。100メートル競争のタイムの確認や認識よりも、ライオンやオオカミより早いか遅いかといった速度が原始人類にとっては大事であった。
 
しかし上記の方程式が示すように、早い遅いの評価には時間微分という脳内アルゴリズムが必要である。脳ではある種のクロック(振動体)が働いていると思える。いわば「脳秒」[1.0brain sec]の単位で動く振動体が脳内時計を刻んでいる(専門的にはウルトラディアリズムという)。このような基準振動体が存在しないと速度の感覚は生じない。このクロックは加齢を含めた生理的な条件によって変化するようだ。年をとると若い頃より間延びして周期が長くなる。そうすると一日や一年が短く感じられる。この振動の単位は単純に心拍ではないかと想定されるが、激しい運動の後でも心的時計はあまり変化しないとされている。机を指で繰り返して叩くタッピング法によって心地よく感じるテンポがある。このテンポが基準振動数になっている可能性もある。
 
ただ時間感覚や時間認識は環境の変化・運動の刺激そのものから生起するものではない。田舎の時間は都会に比べてゆっくり流れてゆくようにみえる。これは田舎の風景やひとの活動がのんびりしているせいだが、こういった時間感(認識)は景色そのもの観察から即時的に生まれるのではなく大脳での言語化(内省)によってである。
 
(視覚・聴覚etc情報)→(大脳での情報の統合と評価処理→時間感覚)→(行動)
 
さらに大事な事は外的刺激なしに時間感覚は生ずる。夜中、灯を消して眼をつぶっても寝付けないことがある。こういうときにいろいろつまらない事を考えるが、時刻と時間のことが気になる。内的な環境すなわち身体的(生理的、生化学的)刺激が時間感覚を生起している。脳内での思考もまた変化の一種といえる。
 
時間 (span)と「今何時?」の時刻(time)は別の仕組みで認識されるのではないかと思える。時刻認識でも体内時計が働き、人の場合は当然知能が関与している。これについては、いつか考察を加えたい。
 
参考図書
一川 誠 『大人の時間はなぜ短いのか』 集英社新書 0460, 2008
この書は錯視と時間感覚を結びつけようとした点でユニークな書であるが、大部分の現象は神経の情報処理の遅延などによって説明できる。時間生成の根本に肉薄しているとは思えない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       
 
 
 
 
 
 
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イグ・ノーベル心理学賞ー口にペンをくわえると幸せになる事の発見とそうはならない事の再発見!

2019年12月18日 | 文化
 イグ・ノーベルはノーベル賞のパロディー版である。昔は受賞者の中にはふざけていると言ってハーバード大学での授賞式をボイコットした人もいた。最近では人気があって、この季節になるとマスコミでよく報道されるようになった。
 

フリッシュ・ストラック(Fritz Strack)博士
(Copernicus Center for より転載)
 
 2019年のイグ・ノーベル心理学賞はドイツのフリッシュ・ストラック(Fritz Strack)博士が受賞した。 ストラック博士は、人がペンを口にくわえると笑い顔になってハッピーになるとして、1988年に論文発表した(参考論文1)。被験者はペンを口にくわえた不自然な状態で、漫画の面白さを判定した。すると被験者は通常よりも漫画を面白く感じたというのである。これは『表情フィードバック仮説』として、心理学の教科書に載りさかんに引用される有名な論文となった。無理にアハハハと声を出して笑うと、何故か気分が明るなりますよという心理療法に似た話だ。
 
 けれどもストラック氏は2013年から大規模な追試実験を組んで同様の実験を1894人の被験者にこころみた(参考論文2)。その結果はペンのくわえ効果なしであった。この論文では比較的誠実ではあるが歯切れの悪い言い訳をしている。いわく、『再現性の失敗は、うまくいく条件と効果を見つける良い機会である。再現性不可が建設的な役割を持つためには、重要な議論をはじめて結論を出す必要がある。効果が 1 つの条件でのみ発生し、別の条件下で発生しないことを示すことは単に効果なしを示すよりも有益である 。しかし、これには専門知識と多大な労力が必要となる』云々 有名になった自分の論文の結果を30年以上もたって、ご丁寧にみずから手間ひまかけて否定した。このなんとも言えない間延びが受けて、イグ・ノーベル賞の受賞に結びついた。
 
 ちなみにこの授賞式にはストラック博士が自ら出席し、事実を2分間で報告したそうである。歴代の受賞者の中には自分に不都合な受賞だと欠席する人もいたのに、それにくらべて誠実な態度だと評価されている。しかし、自ら訂正論文を出しているので当然の事だったのだろう。
この実験以外にも有名な心理学研究で再現性の無い例(「目の前の マシュマロを我慢できる子供の学力は高い」など)が、最近つぎつぎ報告され学会でも問題になっているらしい(日経新聞2019/12/15)。心理学は科学ではないという批判まででている。
 
参考論文とニュース
(1) Fritz Strack, Leonard L. Martin, and Sabine Stepper(1988) Inhibiting and facilitating conditions of the human smile: a nonobtrusive test of the facial feedback hypothesis.  Journal of Personality and Social Psychology, vol. 54, no. 5, 1988, pp. 768-777.
 
(2) Fritz Strack (2017) From Data to Truth in Psychological Science. A Personal Perspective”, Fritz Strack, Frontiers in Psychology, May 16, 2017.(https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2017.00702/full)
 
日本経済新聞2019年12月15日30面 『心理学実験再現つまづく』
特集「心理学の再現可能性」『心理学評論』第59巻1号(2016)(https://www.pri.kyoto-u.ac.jp/pub/ronbun/1056/index-j.html)

 

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強欲は我が内にあり: 史上最凶のねずみ講=バーナード・マドフ事件

2019年12月14日 | 評論
 
 
アダム・レボー 『バーナード・マドフ事件ーアメリカ巨大金融詐欺の全容』 (古村治彦訳、副島隆彦解説) 成甲書房、2010
 
 2008年9月のリーマン・ブラザースの経営破綻にはじまるリーマンショックの激震がおさまらぬその年の12月になって、巨大な金融詐欺事件がニューヨークで発覚した。いわゆる「バーナード・マドフ事件」である。これの顛末についてドキュメント風にまとめたのが本書である。こんなことがありうるのかという話で、庵主は話の展開にのみこまれ一挙に読んだ。

 「マドフ投資の会」は先物取引の高度な投資手法を使い年率10%から12%の配当を上げていると言って金を集めた。しかし、実際には集めた資金は運用せずに、それを配当するというねずみ講(ポンツィ・スキーム)を行った。「あなたの投資総額は増えています」というウソの報告書だけを毎月送ることを続けた。そして相当の「手数料」を取ってマドフ家の贅沢な生活のために使った。最終的に被害者は約1万1000人に及んだ。
マドフ事件ではアメリカやヨーロッパ、日本の大手の金融機関、証券会社、生命保険会社、著名人、福祉財団、大学までもが被害にあった。被害総額は約6兆円に及ぶ。個人の損失金としては一人当たり数十億円から数百億円の損失額である。法人の場合はもっと大きい。
マドフのねずみ講にどうしてこれほどの巨額のお金が集まり流れ込んだかというと、「フィーダー・ファンド」と呼ばれる子供ねずみの投資信託会社(アメリカのヘッジ・ファンド)が大いに活躍したからだ。ここでもだまされた投資家たちがお金を出したからである。被害者ずらしているが、実はファンドはマドフと共同謀議した加害者であると副島氏は解説している。
 
 マドフは汚いビルの一室で営業するチンピラ金融業者ではなく、全米証券業者協会(NASD)の会長でもあり、株式のコンピュター取引を切り開いたナスダック(NASDAQ)の創始者でもあった。こんな大物が巨大なねずみ講を運営して20年間も詐欺金融をしているとは、誰も思わなかったようだ。投資のプロもだまされた。「何か怪しげなことをしているのだろうが、ともかく自分が儲かっているのだからそれでええわ」だった。ねずみ講では、破綻するまでは最初のねずみ達にとって投資した金額よりも多くのリターンがある。ただ途中で気づいて食い逃げすればの話ではあるが。マドフが破綻した後でも多くのねずみは総額としてはもうかっていたのに、約束の配当より少なかったとして訴訟をおこしたそうである。なんという強欲な連中!
 
マドフの経営に早くから疑問を抱き、ハリー・マーコポロスという人物がSEC(証券取引委員会)に告発し続けていた。彼はSECに何度も不正を告発する手紙を証拠付きで送っていた。それなのにSECは動こうとせず何もしなかったという。何もしなかっただけでなく、マドフの会社は安全であるというお墨付きさえ与えていた。
事件発覚後9ヵ月経った2009年8月に、SECは正式の報告書を発表し、「予算や人員に限界があり、経験の足りない職員が担当したので不正を発見できなかった」という驚くべきバカバカしい言い訳をしたそうである。なんと無能で自堕落な金融監督組織であったのか。多分、今でもそうだろう日本では金融庁がSECにあたるが、一体だいじょうぶなんだろうか?
 
マドフは貧しい東欧ユダヤ人の家系であるが、西欧ユダヤ人の金持ちをターゲットに金を稼いだ。しかし、マドフがダマしたのは裕福な資産家や投資会社だけではなかった。息子の命の恩人の家族さえも餌食となった。マドフの息子が別荘の近くの湖で溺れそうになった。たまたまある少年がそれをみつけ、息子を助けた。その少年の父親は配管工であったが、マドフは感謝のしるしとして、その配管工の虎の子の貯金10万ドル(約1000万円)を自分に投資させた。この10万ドルもきれいさっぱり無くなってしまった。
 
リーマンショック直後、投資家たちが一斉に資金の引き揚げを行ったので、返却する金がショートしついに事件が発覚した。マドフは逮捕されて刑事裁判にかけられ、罪をたったひとりで引き受け、懲役150年の有罪判決を受けた。現在、ノースカロライナ州の刑務所で服役中である。マドフは「巨大ねずみ講をつくったのは確かに自分だが、これを維持運営していたのは人々の強欲にほかならない」とうそぶいているそうである。
 
「訳者あとがき」で古村治彦氏は次のように述べている。日本のマスコミはバーナード・マドフ事件についてあまり報道しなかった。それは確実で安全な投資などないということが、この事件により気づかれてしまうからだそうだ。庵主思うに、運用利息が異様に高い日本の投資信託もほとんどがねずみ講なのではないだろうか。まじめな市民はこんなのに近づいてはなりません
ロバート・デ・ニーロ主演の映画「ウィザード・オブ・ライズ」はこの事件を描いたものである。この映画ではマドフの家族関係を中心に話が展開し、経済事犯の本質をえぐる視点はうすい。
 
 
 
 
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環境問題 IV 地球のリズムと気温の変動

2019年12月11日 | 環境問題
 
 
 少し古い本だが、川上紳一 著『縞々学 - リズムから地球史に迫る』を本棚から引っ張りだして読みなおしてみた。「縞々学」とは聞きなれぬ分野であるが、地球が示す様々な周期現象をまとめたもので、環境問題を考えるにはなかなかの参考書である。これによると、気温を含めた地球環境はいままで安定に維持されていたものではなく、地球史的にはかなり上下に変動していたことが分かる。
 
地球が示す周期は12.4時間の潮汐サイクル、一日(24時間)の自転による日周リズム、、月の公転による14.8日の半月周期や29.5日の月周期、さらに地球の公転による1年の周期などがある。いずれも地球の局所あるいは全体の温度はこれらによって変動する。もっと長いサイクルとしては南方振動といわれるエルニーニョやラナーニャがあり、太平洋を中心に大規模な気候変動がみられる。前回述べた太陽の黒点周期は約11年で、これにともない穀物の収穫量が変動するともいわれている。
 
図1太陽の黒点数と平均海水表面温度変動(参考図書より転載引用)
 
太陽黒点は11年周期以外に長期変動や樹木のC14の変動を分析すると、約88年のグライスバーグ周期というものが見られるそうだ(図1)。これが地球表面温度ときれいな相関があるとされている(この図をみるとC02の増加はあまり関係ないようにみえる)。さらに長大な周期現象としてはミランコビッチサイクルが知られており、これは数万年単位で繰り返されている。
 
図2過去の地球の平均温度の変動(参考図書より転載引用)
 
今、地球温暖化防止が声高にさけばれている。この一世紀余で気温が0.7度C近く上昇し今後それが続くと、異常気象現象が続発し南太平洋のサモアのような小島が海没すると危惧されている。しかし、このように時間のスケールを拡大して気温をトレースすると、1度ぐらいの狭い幅ではなく数度の幅で変動していることがわかる(図2)。
この一世紀の気温変動は、図2の上から2番目のグラフにおける黒抜き部分にすぎない。この間の気温上昇には人類が出した炭酸ガスをはじめとする温暖化ガスがいくばくか関わっているのは、間違いないだろうがどれほどそうなのかは確かでない。 
確かでないからバンバン放出してもよいというのではなく、人類の生産活動を総体として反省しエネルギー問題を考えようと言うのが庵主の考えである。
 
現在は第四紀最終氷期(ウルム氷期)が終わり約1万年後で、間氷期の比較的温暖な時期にいる。次の氷期が到来がいつかについては諸説ある。現在は間氷期の終末で氷期が急速に来るという説や、まだだいぶ先の話という説もある。ようするによく分かっていない。
 
参考図書
川上紳一  『縞々学 - リズムから地球史に迫る』 東京大学出版会、1995
清水勇、大石正編著 『リズム生態学ー体内時計の多様性とその生態機能』東海大学出版会 2008
 
 
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ペイオフについて考える:銀行預金はほんとうに安全か?

2019年12月09日 | 日記
不稼働口座に管理料(口座維持手数料)をかける案を某大手銀行が検討していると報道された。銀行は「お金を預けていただく」というのから「お金を預かってやる」といった姿勢になってきた。アベノミクスのおかげでマイナス金利時代となり預金者からお金を預かって、そのお金を貸し付けて利ざやを稼ぐといった本来の銀行の商売がうまくいっていない。地方銀行は経営危機におちいっているものもあるそうだ(朝日新聞Digital 「地方銀行7割が減益、収益モデル崩れ、日銀への恨み節も」2019/05/19参照)。
 
 銀行が万が一破綻した場合に、ペイオフがあるので銀行に預けておいても大丈夫だと思っている人が多い。これが1000万円までの貯金とその利子に限定されていることを知る庶民は意外と少ない(庵主もそうであった)。おまけに1000万円が払い戻されるのには、なんだかだと手続きがいって1年近くかかる可能性が高い。
 
2010年9月に破綻した日本振興銀行がペイオフの適用を受けた最初で唯一の例である。藤原久敏氏の著『あやしい投資話に乗ってみた』を読むと、南大阪にあったこの銀行の支店はなんとも言えない安物の事務所で著者はそこを訪れて愕然としたそうである。この銀行は定期預金専門だったそうであるが、貸し倒れとずさん経営などで破綻した。
この銀行の破綻時5800億円の預金のほとんどがペイオフ限度以下の預金で、約3% (3500人)が1000万を越えていた(総額で120億)。中にはマンション購入費としてたくわえていた資金の4000万円を預けた老夫婦もいたそうだ。総額が意外と少なかったのは、銀行が良心的(?)に1000万以下に預金をおさえるように預金者に指導していたからだという説がある。信じられないが、破綻を予想して運営し後始末を預金保険機構にまかせる魂胆だったと言う。
 
 ともかく現在、普通預金の標準利率は0.001%で、1000万円預けて年100円、定期預金の利率は0.01%で年1000円の利息である。ハイリスクハイリターンの商品に投資し、失敗したら自業自得といえるかもしれないが、こんな些少な利息で恐るべきリスクを預金者は抱えこんでいる事になる。まさか自分があずけている銀行が倒産するなどとは思わないから、平気でいるわけだがはたしてそうだろうか?上記の藤原氏は日本振興銀行の定期利息が他に比較して異様に高いので警戒したが、何か起こったとき本のネタになると思ってお金を預けたそうである。
 
 藤原氏はペイオフのない決済預金(これは利息が付かないが普通預金も同様の状態)にすべしと言っている。庵主もまったく同意見である。あるいはタンス預金するか貸金庫にあずけてもよい。なにも知らないで、地方銀行に有り金(多分1000万以上はあると思う)をほとんど預けている田舎の父母にも、そのようにすすめるつもりだ。
 
ペイオフが発動される前までは、銀行が破綻しても原則全額が払いもどされていた。それゆえにペイオフは庶民のことを考えて作らえた制度ではなく、強欲で無能の故に経営破綻した銀行の責任を一般庶民に背負わせようとする金融業界のたくらみに違いない。くわばらくわばら。
 
参考図書
藤原久敏 『あやしい投資話に乗ってみた』 彩図社 2014
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カワウ(川鵜)とサギ(鷺)と囲碁

2019年12月08日 | ミニ里山記録
 
カワウ (Phalacrocorax carbo). ペリカン目ウ科。大きな黒い水鳥で木の上に集団で巣をつくる。くちばしの先はかぎ状で、足は全蹼の水かきを持つ。群れで溜まる場所をいくつか持っており、そこで休息と睡眠をとる。夜明けには採餌のために隊列を組んで餌場に向かい、夕方になると再びねぐらに戻る。白いほうの鳥は小鷺か中鷺か?。宇治市の宇治橋「三の間」付近で撮影した風景である。

漢字の「烏鷺(うろ)」(カラスとサギ)は黒石と白石を使う囲碁の事を意味する。野外ではカラスとサギが集まる光景がよく見られる。さらにカラスとウとサギの三者が集まっている写真もある(すなわち烏鵜鷺ウウロ)。相手の色が反対でも黒と白の鳥が集まるのは何か適応的な意味があるのだろうか?

囲碁といえば庵主もへぼ碁をよく打つ。棋風は無謀な攻め型で最後には足下をすくわれて惨敗するケースが多い。勝負の結果よりも、一局で納得できる合理的な手が1手でも打てればよしとする(それで勝てたときは一番嬉しい)。

最近は若者が囲碁を打たないので囲碁人口は減少の一途だそうだ。電車に乗るとスマホ片手にゲームをしている若者が多いが、囲碁は古くしんきくさいと感じるらしい。しかし、これは思考力を養うのにはよい。元参議院議員の藁科満治さんはアマの高段者であるが、その効用について次のように述べておられる。一部変えて紹介する。

脳を使うので思考力が付く。
構想力、集中力、瞬発力が養成される。
勝てばストレス解消になり負けても反省力が身に付く。
礼儀に始まり礼儀に終わるので作法が身に付く。
高齢者のボケ防止に役立つ。
手談といって言葉の通じない外人とでも楽しむ事ができる。
囲碁を通じて人間関係を継続できる。
 
まことに、いいことずくめであります。

最後に囲碁十訓(唐代の囲碁名人伝)も転記しておく。
不得貪勝(貪って勝とうとしてはいけない)
入界宜緩(敵の勢力圏では緩やかにすべし)
攻彼顧我(攻める時には自分を顧みよ)
棄子争先(石を捨てて先手を取れ)
捨小就大(小を捨て大を取れ)
逢危須棄(危険になれば捨てるべし)
慎勿軽速(足早になりすぎるのは慎め)
動須相応(敵の動きに応じるべし)
彼強自保(敵が強ければ自らを安全にすべし)
勢孤取和(孤立している時には穏やかにすべし)
 
このように打てれば、今頃は自分も高段者のはずだが、残念ながらそうはなっていない。

参考図書
藁科満治 『囲碁文化の魅力と効用』 日本評論社 2008


 
 
 
 
 
 
 
 
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蜂の巣に毛布を巻いて冬支度

2019年12月07日 | ミニ里山記録
蜂の巣に毛布を巻いて冬支度
 
 
今日は節気の大雪(たいせつ)にあたる。
ニホンミツバチの丸洞の巣に毛布をまいて防寒する。
いままでの経験ではここで越冬できるコロニーは50%ぐらい。
コロニーの規模、貯蜜の量、冬の寒さ加減、巣の場所などに左右される。
この季節でも気温が12度C以上だとポツポツと働き蜂が巣口から
飛び出していくのが観察できる。たまに黄色い花粉をつけて帰ってくる
個体もいる。この季節はサザンカとツバキぐらいしか咲いていない。
彼らは寒さに負けぬ働き者達だ。
 
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環境問題II 中世のペストと太陽黒点

2019年12月02日 | 環境問題
 
 
 太陽黒点の数は年により増えたり減ったりするが、それにはほぼ11年の周期がある事を発見したのはドイツのジュワーペである。19世紀の前半のことである。その後、イギリスの天文学者ウオルト・マウンダーは黒点活動をくわしく調査し、1645-1715年までの70年間にこれが異常に低下していることを明らかにした。この時期が、いわゆる中世のマウンダー極小期(ミニマム)と呼ばれるものである。通常であれば4-5万個も見られるはずの黒点の数がわずか30個しかみられなかった。
 
この期間、地球は全般に寒冷な気候に見舞われた。ヨーロッパ、北米大陸や他の温帯地域の冬は酷寒で夏も冷夏が続いた。黒点の減少は太陽活動の低下を表すが、これにともなって太陽風と磁場が弱まる。地球には宇宙放射線が降りそそいでおり、それが雲核を形成する。太陽風はこの宇宙放射線を吹き飛ばす役目をしている。太陽風の低下は、結果として地球の雲の量を増加し気温を低下させる。これが太陽黒点の少ない時期は気候が寒冷で湿潤な理由である。それ故に、この期間は「中世の小氷期」と呼ばれている。
 
マウンダーミニマムは、気候の寒冷化とともに当時のヨーロッパにとんでもない試練を与えることになった。ペストの流行である。黒死病と呼ばれたこの病気が都市を中心に蔓延してヨーロッパの人口は半減したといわれる。何故ペストが流行したのか?その原因は、太陽活動の低下による寒冷化と湿潤な気候により穀物の収穫が激減しネズミが餌を求めて都市部に入り込み、ノミを媒介にしてペストをはやらしたからである。
 
この中世の小氷期において、人々は暖房のために森林を乱伐したので木材が枯渇した。そのために代替エネルギーとしての石炭の採掘と利用がさかんになされるようになった。まさに必要は発明の母といえる。これによりイギリスにおける産業革命の基盤の一つが成立したのである。
 
この話をまとめると、太陽活動の低下→黒点の減少→太陽風と磁場の低下→地球の宇宙放射線の増加→雲の増加→地上平均気温の低下→作物収穫の減少と森林破壊→ネズミの移動→ペストの流行と中世社会の崩壊→農村から都市への人口移動と石炭の利用→産業革命→現代文明の興隆となる。なんだか「風が吹けば桶屋がもうかる」といった話のようだが、いずれもまともな学説として出されている。
 
人類の歴史において気候が社会の仕組みをかえた例は多い。太陽活動は約200年の周期で変動しているといわれる(ただそれほどはっきりした周期ではない)。いつか来るであろう極小期における世界の経済や政治に及ぼす影響はいまのところ予想できない。ただ地球温暖化よりも深刻であることは確かだ。この場合、冬場はいたるところ凍りついた世界となる。
 
補遺:中世の寒冷期の一方で、「中世の温暖期」(Medieval Warm Period)というのもある。これは、およそ10世紀から14世紀にかけて続いたヨーロッパが温暖だった時期を指す。この時期にはイングランドの南部地方でもブドウ畠が広がり、グリーンランドは文字どうり「緑の島」であった。一方、モンスーン地方では洪水や干ばつが続いた。地球の気候というのは安定したものではなく平均気温も上がったり下がったりしていた。この一世紀の温度上昇の一部はCO2によることは間違いないが、それが主因かどうかは確かでないと思える。
 
参考図書
坂田俊文 『太陽を解読する』 ー環境問題の死角を探る 情報センター出版局 1991年
 
桜井邦明 『夏が来なかった時代-歴史を動かした気候変動』 吉川弘文社 2003
 
 
 
追記(2022/02/24)
 
太陽活動と疾病との関係を研究したのはソ連時代のロシア人アレキサンダー・レオニドビチ・チジェフスキイであった。彼は地上の生態的現象の多くを太陽黒点の出現周期(11年周期)と関連ずけて論じた。彼の研究には「とんでもない科学」にかたずけられる話ようなもあったが(例えば赤血球の連銭状態)、因果律に合理的な説明がされる現象もみられた。彼の業績は、フェリックス・ジーゲリ著「太陽のバイオリズム」(東京図書:浦川よう子1976)に詳しく述べられている。
  
 
 
 
 
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動物は数をかぞえる事ができるか?

2019年12月01日 | 日記
 
 
人間は幼児の段階から1、2、3、4……と数をかぞえている。抽象化された数の概念がどのように獲得されるのかよくわからないが、他の動物はどうであろうか?
 
今福道夫氏(京都大学名誉教授:動物行動学)著の『おとなのための動物学入門』(昭和堂 2018年出版)に、これに関するおもろしい話がいくつか述べられているので紹介する。
ハーバード大学のマーク・ハウザーはアカゲザルにリンゴの切り身を選択させる実験で、サルが4個までは数の多い方を選択することを明らかにした。ただ4と5個、5と6個の区別はできなかった。1、2、3、4たくさん.....という感じである。一方、ハトは50ぐらの数をかぞえることが、スキナーボックスを用いた実験で明らかになった。鳥はあまり頭が良くないとされているが、そうでもなさそうである。
 
さらに動物に計算できるかどうかの実験が、やはりアカゲザルをもちいて行われた。物を並べて提示し、スクリーンで隠し陰で適当に一個を取り除のぞく。その後、スクリーンをあげてサルの表情を観察する方法により、彼らが1+1=2の計算をしていると結論された。ただ、これは足し算計算をしているのではなく、単に空間配列の予想能によるものかもしれない。またエリザベス・プラノンたちが行った研究で、図形の形によらず数の大小を認識しているらしいことが明らかになった。すなわち少なくともサルは数の概念を持っているようである。
 
アカゲザルのように群れで暮らす動物はおたがの個体識別とともに数概念を進化させたものであろうが、系統的に動物のどの段階までこれがあるのか興味あるところだ。たとえば魚類についてはどうだろうか?さらに社会性昆虫のミツバチはどの程度まで数をかぞえているのだろうか?いろいろ研究してみる価値はありそうだ。
 
追記 (2020/08/17)
正高信男 『ヒトはいかにしてヒトになったか』岩波書店 2006
 
本書に動物の計数能についてのおもしろ観察と実験が紹介されている。
ライオンが群れ同士戦うときは、おたがいに頭数をかぞえあって、相手が多いと、その場から撤退するそうである。ただこの場合も人のように1,2,3....という抽象数の計測ではなく、●、●●、●●●...といった視覚イメージの比較を行っている可能性がある。
ネズミの迷路実験で、3回連続で操作して成功すればエサをそのたびにやる。そして4回目はエサをやらないようにする。そうすると3回連続後の走行テストでは、迷路を走るスピードがダウンする。これは数をかぞえる予測行動ではないかと思われる。
 
 
 
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