オカモトトゲエダシャクの幼虫と思える。
成虫は、春に出現し茶褐色地に白帯があり、
翅を折りたたむようにして静止し、とまっていると人型のようにも見える。
(参照http://okiraku-camera.tokyo/blog/?p=915)
幼虫は、クルミ、ニレ、ツバキ、リョウブなどの葉を食べるとされる。
オカモトトゲエダシャクの幼虫と思える。
成虫は、春に出現し茶褐色地に白帯があり、
翅を折りたたむようにして静止し、とまっていると人型のようにも見える。
(参照http://okiraku-camera.tokyo/blog/?p=915)
幼虫は、クルミ、ニレ、ツバキ、リョウブなどの葉を食べるとされる。
池田清彦氏(1947年生)はウィキペディア記事 (2019/04/25)によると「 日本の評論家、生物学者。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。東京都立大学理学博士」となっているが、生物学者の間では構造主義生物学の論客の一人として知られている。構造主義生物学とは、今は流行らない観念論の一種で、エンテレキーを前提にした妄説である。すなわち、生物の「かたち」を支配しているものは、物理学的・幾何学的な形態形成場であり、それは生物であるか無生物であるかを問わず、普遍的なジェネリックな「生成的空間」によるものであるとする。物質世界でも生物世界にも、目に見えないある構造が元々あって、森羅万象はそれに従って存在が規定されると主張する。ジグソーパズルにたとえていうと、個々のピースが進化の過程でランダムにできて、折り合いをつけて生物世界が出来上がったのではなく、もともと台(世界)にはめ込み型のようなパターンが存在し、生物はそれに合わせて出来上がっているという。誰がそんなはめ込みパターンを作ったのかという話になると、もちろん誰にも分からんので生気論にならざるを得ない。この学説の人達はモーリス・エッシャーの絵の反転画像にだまされているようなものだ。日本では柴谷篤弘(1920- 2011)がこの説のオピニオンリーダーであった。
池田氏はヒメギフチョウやヒオドシチョウの個体群生態学を本職としていたようだが、単著や共著の多くの著書がある。その中の池田氏、養老孟司、奥本大三郎との鼎談をまとめた『三人寄れば虫の知恵』(新潮社 1996)はまことに愉快な昆虫談義で、庵主の本箱に並んでいる。その後書きで南伸坊さんが書いているように、三人とも虫と虫好きの人の話を、時に脱線し冗談とユーモアを交えて談笑しており読んでいて楽しい。
この池田氏の著作に少し古いが、幾つかのエッセイを集めた『科学は錯覚である』(洋泉社 1996)がある。最初は宝島社から出版 され、後に洋泉社で新版が出されたようである。後書きに「この本はネオダーウニズムや分岐分類学の悪口がかれている」としている。エッセイ集なので様々なテーマが混ざっているが、それなりに面白い問題提議があって、批判的に読むには良い本である。ところが、途中の「おまけ」という部分でK.T(池田の本では実名)というエッセイストの著書に関してぶっ飛びの悪口が展開されている。その部分を幾つか抜粋する。Tはドーキンスの利己的遺伝子の説を俗流に解釈して、いくつか本を出している女性作家である。
「Tの著作を題しか知らずに論評するのもあんまりと思い、その著書を読んでみた。私は驚嘆し、Tをドーキンスの亜流だとばかり信じ込んでいた自分の不明を恥じた。Tの略歴には、京都大学理学部卒業後、同大学院に進み、博士課程を修了と書いてある。京大の大学院の博士課程という所は、論理的な思考能力が全く欠如していても修了することができるのだという事実に、私はいたく感動し、しばらく天を仰いで動けなかった」
「ここに(Tの複数の著書に)見られるのは自分の政治的な意見を、遺伝子の利己性仮説に論証抜きで妥当しようとするヒステリックな意志と妄想だけであると言ってよい。もしかしたら、Tのこの本は、精神病理学者が扱うべき1症例として読むのが正しいかも知れない」
「Tの肩書きは、動物行動学者ということであるが、私にはどうみてもただのアンポンタンとしか思われない」
今までおとなしく酒を飲みながら気持ちの良い会話をしていた紳士が、急に豹変し目が三角になって、「お前はなんだよ」と言って、相手にからみはじめたような雰囲気である。悪口の要件にはまず品がなければならぬ。あるいは少なくとも品を装ったものでなければならない。あまりに露骨な悪口は、聞いている方が白けてしまう。
最後に池田氏はこの章を次のように締めくくっている。「それにしても、Tに完全無欠のスーパースターと言われたドーキンスや、百年先を読んでいたと褒められたダーウィンはいい面の皮という他はない。ダーウィンは死んでしまたので口をきけぬが、ドーキンスが日本語に練達であれば、オレをほめ殺すのはやめてくれ位の事は言うに違いないと思われる。そこで私の希望としては、Tに最大級の賛辞でほめ殺されているもう一人の人物、Tの師であるT. H(これも実名で出ている。現在は物故の京大名誉教授)のT評を是非聞きたいものである。まさかHもTと同じ穴の狢という訳ではないだろうね」と。敵は本能寺にありという事のようであった。
シロハラ (Turdus pallidus)。窓ガラスにぶつかり脳震盪をおこしたシロハラの雌。森や薮の中など暗いところを好むスズメ目ツグミ科。雌雄ほぼ同色で、雄の頭部は灰褐色、体上面はオリーブ褐色、胸から腹は淡い褐色。細いが明瞭な黄色いアイリングがある。嘴は黒く、下嘴や基部は黄色。足は橙色。写真では分からないが、尾は黒く外側3対の尾羽の先端に白斑があり、飛ぶと目立つ。雌は頭部の灰色味が薄く、喉は淡白色で褐色の縦斑があり、不明瞭な眉斑があるものもいる。この個体はしばらくボーッと座り込んでいたが、そのうち元気になって飛んでいった。
静かな鶫(つぐみ)花幻に抱かれいることも 金子皆子
ツマキチョウ (Anthocharis scolymus)のメス
食草のタネツケバナのある湿地周辺でみられるチョウであったが、最近では都市部でもよく見られる。ショカツサイなどが広がったせいかもしれない。名の由来の翅の先の黄色はオスだけのものである。京都付近では4月頃に飛んでいる。飛び方が直線的ですばやくモンシロチョウとは区別できる。
気ぜわしく褄黄蝶飛ぶ真如堂 楽蜂
物理的時間の経過は絶対的なものではなく、観測者の座標系に依存している。そのため、時計の動きは、相対速度、加速度、重力ポテンシャルに影響される。例えば山頂に設置された時計は、山頂の重力ポテンシャルが平地よりも強いため、平地に設置された時計よりも早く進む。これを実証するには、我々が日常使うような時計は精度が荒く全然ダメなので、周波数の高い原子時計を使う必要がある。次世代の原子時計 (イッテルビウム光格子時計)は、光周波数での特定の原子遷移の測定に基づいている。このような原子時計は、感度が高いため重力波の検出、一般相対性理論の検証、および暗黒物質の探索に利用できる。ジオポテンシャルを測るプローブとして利用できる可能性も指摘されていた (McGrewら、2018)。
さらに最近になって、このような原子時計がローレンツ対称性を検証するために実験に利用された(Sanner ら、2019)。アインシュタインの相対性理論の現代的な検証でもあるが、ローレンツ対称性の破れの測定が、非並行的に並べた原子時計の周波数の精密比較において行われた。そしてSannerらは、二つの単一イオン光時計が10-18のレベルで一致することを確認した。ローレンツ対称性の検証のためには10-21レベルでの精度が要求されると結論づけている。
非並行的に並べらえた原子時計AとBが計測した時間をA(t)とB(t)とする。ローレンツ対称性が破れた場合はA(t) ≠ B(t)である(ただSannerらの論文はまだそれを証明していない)。この間、実験者の時間は等質なもので、AやBの装置を設定したりデーターを解析する時間に差はないはずなので、A(t) ≠ B(t)は人の関与(心理的過程を含めた)なしに生じた純粋に物理的な現象である。物の変化や転生に関する物理的なパラメーターを時間と規定すると、時間は比較できる実存と言える。
参考文献
W. F. McGrew, X. Zhang, R. J. Fasano, S. A. Schäffer, K. Beloy, D. Nicolodi, R. C. Brown, N. Hinkley, G. Milani, M. Schioppo, T. H. Yoon & A. D. Ludlow (2018) Atomic clock performance enabling geodesy below the centimetre level. Nature 564, 87–90.
Christian Sanner, Nils Huntemann, Richard Lange, Christian Tamm, Ekkehard Peik, Marianna S. Safronova & Sergey G. Porsev (2019) Optical clock comparison for Lorentz symmetry testing. Nature 567, 204–208.
タチツボスミレ(Viola grypoceras)は、スミレ科スミレ属の多年草。在来種ではごく身近に見られるスミレの一つである。丸い葉と立ち上がる茎が特徴。色は一般に言うすみれ色よりはるかに薄い。茎は地中で短いが、成長すると地表に伸びて立ち上がる。葉は始めは根出するが、茎が伸びると葉もそこにつくようになり、丸っこいハート形で花は薄紫。一方、スミレ(Viola mandshurica W. Becker)の茎は地中で短く、立ち上がらない。葉はすべて根出し、細長い矛型で花は濃い紫。スミレは日本だけで50種ちかくある。
しみじみと神楽岡(かぐらがおかに)に菫咲く 楽蜂
サイズの生物学というのがあって、生命現象と動物のサイズの関係などが昔から知られており、アロメトリーな関係式(y = aW ^ b)で表される。
例えば動物の心臓の1拍の時間 (T) は体重 (W) の1/4乗に比例する。
T = k x W ^ 0.25
体重30gのネズミの心周期は0.1秒だが3トンの象のそれは3秒である。寿命についても同様の関係がある。この関係が成立する理由はよくわかっていない。
個体あたりの標準代謝率は体重に正比例せずに体重 Wの3/4乗に比例する。食料の量もおおよそ体重 Wの3/4乗に比例する。面白いことに、単位重量 (kg)あたりの比代謝率は体重の1/4乗に反比例して減少していく。象はネズミの10万倍の体重があるが、比代謝率は一八分の一である。すなわち象の細胞はネズミの細胞に比べると、たった5.6%しかエネルギーを使用していない。企業的に言うと『大きい会社の社員は小さな会社の社員よりかなりサボっている』ということになる。寅さんに出てくる零細企業のタコの社長は四六時中走り回っているが、大企業の社長は悠々としている。もっとも生理的には、もし象の細胞がネズミ並みに活動すると、体温が100℃以上がってしまうと言う。小さな動物も大きな動物も体温のホメオスタシス(恒温38℃)性の維持を基準に生きていると言うことである。このホメオスタシスを企業的に解釈すると何になるのだろうか?
付記:アロメトリーと言えば、都市の人口とそこの住民が街を歩く速度との間に相互関係があることが知られている。心理学者のマーク・ポーンシテェインによる研究結果で高い相関係数(0.88-0.90)が観察されている。
参考図書
本川達雄 『時間』NHK出版 1996年
少年の日は長く、老人の日は短いという経験則を「ジャネの法則」と呼ぶ(19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネによる)。大脳生理学者の塚原仲晃(つかはらなかあきら)はこれを次のように説明している。「少年期には成人より可塑性が著しく大きく、多くの出来事が記憶に残りやすいのに、老人ではそれが低く、出来事を経験してもそれがすぐ消えてしまい脳に残ることが少ない」。すなわち脳に蓄積された記憶の量が過去の時間感覚のパラメーターであるということである。脳内メモリーが赤ん坊のときの0から死ぬまでに増加するのが、過去と未来の非対称性、即ち意識的なレベルでの時間の流れであるという説もある。これは長期の時間感覚と思えるが、短時間でも時間の感覚の相違がどうして出現するのか説明できない。短時間感覚は別の機構があるに違いない。
参考図書
中島義道 『時間を哲学する』講談社現代新書 Y660 (1996)
ロバート・レビーン 『あなたはどれだけ待てますか』忠平美幸訳 草思社 2002
K.J. ローズ著『からだの時間学』(青木清訳) HBJ出版社 (1989)
付記:(2019/07/22)
高島俊男のエッセイ『長い長い1秒』(『お言葉ですが第11巻 連合出版 2006)に時間を引き延ばして「1秒を10秒」にする話が載っている。寺田寅彦の天文観察、空中殺法、川上哲治の打撃感覚などの例が紹介されている。